| 1929年12月12日旧満州・遼陽生まれる。(4人姉妹の末っ子) |
| 1946年 |
引き揚げ後、別府の駐留軍クラブでジャズピアニストとして演奏始める |
| 1948年 |
単身上京し、日本のトップグループでピアノ演奏 |
| 1952年 |
渡辺貞夫を迎え、コージー・カルテットを結成。 |
| 1956年 |
26才で米ボストンのバークリー音楽院に留学 |
| 1959年 |
サックス奏者のチャーリー・マリアーノと結婚 |
| 1963年 |
娘「マンディ満ちる」をもうけるが、1965年離婚 |
| 1965年 |
事情により別府の姉に娘「マンディ満ちる」を3年半預ける |
| 1969年 |
現在の夫・サックス奏者のルー・タバキンと再婚 |
| 1973年 |
「穐吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンド」をロサンゼルスで結成 |
| 1974年 |
「孤軍」発表 |
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73年に穐吉が結成したビッグバンドのデビュー作。小野田少尉を題材に能の謡を取り入れ話題となりジャズディスク賞を受賞した意欲的な代表作。日本とアメリカを 躊躇することなく渾然と一体化させた大胆な試みは何年経ても色あせていない。 |
| 1975年 |
「ロング・イエロー・ロード」発表 |
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生誕地である中国・大連の思い出をモチーフに作られたタイトル曲は穐吉の代表作であり、彼女のお気に入り。日本人の精神性をサウンドのカラーに巧みに取り入れ、独自の響きを表したユニゾン部分と、でありながら奔放にスウィングする空間を用意した緻密なスコアは、彼女の独壇場。 |
| 1976年 |
「インサイツ」発表 |
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水俣病をテーマにした3部構成の組曲(21分半)。当時13才だった娘(マンディ満ちる)のあどけない歌声から始まるその組曲は、平和な村が繁栄を謳歌しながら最後は悲惨な結末を迎える様子をドラマティックに表現していて感動的。 |
| 1982年 |
ニューヨークに戻り「穐吉敏子ジャズオーケストラ・フィーチャリング・ルー・タバキン」結成 |
| 1996年 |
著書「ジャズと生きる」第9回ミュージック・ペンクラブ・ポピュラー部門最優秀賞 |
| 1997年 |
紫綬褒章 |
| 1999年 |
第48回横浜市文化賞、大分合同新聞文化賞 |
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国際ジャズ名誉の殿堂入り
「スケッチ・オブ・ジャパン」発表
これまでの人生の中で出会った日本各地の様々な情景、メロディーを独自のスタイルでアレンジ。その中の一曲に「鶴崎踊り」をリリース
里帰りコンサート/大分グランシアタ |
| 2000年 |
第16回東京都文化賞 |
| 2001年 |
「ヒロシマーそして終焉から」発表 |
| 2003年 |
ビッグバンドを解散し、ジャズピアニストとしての活動に専念 |
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庄内神楽との共演「作品名・熊群山物語」(11月)
庄内に伝わる伝説「熊群山の石段」を基に、穐吉が作曲し、庄内町の「雲取神楽座」が舞を付ける。ジャズに日本の笛や太鼓を取入れた音楽と、勇壮な舞を組合せた作品 |
| 2004年 |
東京「めぐろパーシモンホール」で再び庄内神楽と再共演(10月) |
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NHK人間講座「私のジャズ物語ロング・イエロー・ロード」(6〜7月) |
| 2006年 |
渡米50周年記念子サート・「世界の穐吉」帰郷公演 |
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HOPE「希望」発表
反戦、反原爆への一貫したテーマの中、広島から世界平和を祈念し制作された「HOPE」に日本を代表する天才詩人「谷川俊太郎」氏が詩を書き下ろした名曲。娘の「マンディ満ちる」が歌唱。
日本国連加盟50年記念コンサート演奏(12月) |
| 2007年 |
米国立芸術基金ジャズマスターズ賞(1月) |
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※日本の歴史・文化等を取り入れた曲
福島県相馬地方の民謡「かんちょろりん節・チルドイン・インザ・テンプル・グランド」
花魁譚、鴻臚館組曲(福岡市依頼曲)、森田村の四季、全人類の子供たち(横浜市依頼) |
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