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  あすへの話題-さくら桜 
 桜の歌は万葉集では43首で、むしろ梅の歌の方が多いらしい。ところが古今集になると100首を超え圧倒的に多くなる。どうやら花と言えば桜を指す程に日本人の心を占めるようになったのは平安時代からのようだ。今ではどこでも桜、だれでも桜だが、日本人も案外勝手なもので、近くは戦中戦後燃料として随分切り倒したそうだ。多くの花咲人の努力があって今日がある。
 勝手といえば花の愛(め)で方も人により時により様々だ。満開の桜の下で「こんなものに心を奪われてなるものか」と一途になることもあるし、われを忘れて花の宴に酔うこともある。散る花を見て浮世の試練に堪える力をもらうことも多い。
 花とともにふと彼岸の人を思い出すこともある。若くして逝った弟もその一人だ。「この子は本ばかり読んで」と祖母が心配するほどよく本を読んでいた。思慮深く、心優しい人だった。桜が好きで京都や奈良によく花見に出かけていたらしい。いまだに兄弟揃(そろ)うと「賢いやつほど先に逝くなあ」と惜しんでいる。
 花の散るように逝った少壮官僚のことも思い出される。病に侵されながらも構造改革の一翼を担い、「やらねばならないことがあるから、何としてもよくなります」と言いながらだった。鬼気迫る気迫に見舞いの方が圧倒されたものだ。企業人として頂点を間近にして去った先輩もいる。大胆にして細心の仕事振り、あの人には色々なことを教えてもらった。落花舞う越後路を花を見ては呑(の)み、呑んでは花を見ながら旅した。客は選り好みするが花には目のなかった九段の女将(おかみ)のことも忘れられない。
 たとふれば隅田の春のゆきしごと 虚子
日本経済新聞4月7日夕刊掲載
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