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▲竹田の肥沃な大地で元気に育っている
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奥豊後古代紫草
蘇生研究会 事務局長
広瀬 正煕 さん
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高貴な色「紫」の染材、また万葉の花である紫草のことは知っていましたが、竹田が栽培地であったことは、知りませんでした。その「紫草」にロマンを感じ、ゆかりの地で蘇生させたいとの思いから、同会をスタートさせました。今では多くの人に感心を持ってもらえるようになり、著名な染織家の先生方が竹田の紫草を使って染めた作品を見ていると、感動がこみ上げてきます。紫草を中心に染色素材の多い竹田が「染色の町」になればと願っています。
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●『まちづくり会社 むらさき草』
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●古代から紫草が栽培されていたことをうかがわせる紫八幡社
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●紫根の絞り汁に布を漬けると、次第に鮮やかな紫色になってくる
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奥豊後古代紫草蘇生研究会
歴史の中で忘れ去られた竹田ゆかりの古代紫草の蘇生を願い、平成12年5月に『奥豊後古代紫草蘇生研究会』を発足。紫草に興味を持つ人が対象で、現在会員は30名。シンポジウムや学習会、染色教室の開催、また交流事業や特産品の開発も手掛け、「色をテーマにした町づくり」に取り組んでいる。

農事組合法人紫草の里営農組合
TEL/FAX:0974-66-2505
E-Mail:info@taketa-murasaki.com
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(写真/小さくて可愛い紫草の花)
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紫草の歴史から
復活への思いが募る
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聖徳太子の制定した『冠位十二階』でも記されているように、古くから高貴な色とされてきた紫。直入郡(現竹田市)は7〜8世紀、紫色の染料となる紫草の栽培が盛んであった。なかでも志土知(しとち)地区は、昔「紫土地」と呼ばれ紫八幡社もあり、土質や栽培環境も良いことから、紫草の栽培地であったことがうかがえる。
紫草は、当時の大和政権や天皇家への献上品、租税として重要な生産品であり、その管理は太宰府政庁が直接あたっていた。このことは、東大寺『豊後国税正税帳』に記されており、海部郡産紫草について記された木簡も発見されている。この歴史的事実にロマンを感じた『奥豊後古代紫草蘇生研究会』の広瀬さんは「竹田、豊後の誇りとして紫草を復活させたい」との思いで、平成12年5月に官民一体となり同会を発足させた。
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栽培に適した豊かな環境で
絶滅危惧種を守る
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紫草の根は紫根(しこん)と呼ばれ、紫色に染める染料や薬用として古くから全国各地で栽培されていた。しかし時代が進むにつれて化学染料の普及により栽培が減少。今では環境省の絶滅危惧種に指定されるほどその存在は稀少である。
紫草は火山灰質の土地や自然環境豊かな場所を好み、標高300〜400メートルの竹田地方はまさに絶好の栽培地といえる。環境の変化に敏感で、葉に土がつくだけでも弱ってしまうほどデリケートな植物。その栽培技術も失われており蘇生はきわめて困難だった。しかし紫草復活の夢を叶えるため、メンバーや農家が一体となり挑戦を続けた。譲り受けた種を志土知の畑に植えてみたものの、染料として使えるほどに成長したものはわずか。そこで、毎年数カ所の畑で栽培し、生育状況のデータをまとめて栽培に最も適した畑を割り出した。その結果、今では栽培総量の約7割を収穫できるまでとなった。
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再生から発展へ
全国に広がる紫草
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平成12年から始まった『奥豊後古代紫草蘇生研究会』の活動では、文献の調査や研究をする一方、志土知地区では西洋種との交配に気をつかいながら試験栽培を行った。
竹田の紫草で染色された絹糸は東大寺大仏開眼1250年祭で、管長法衣(かんちょうほうえ)となり、愛地球博では「豊後しぼり」作品が展示されるなど「紫のゆかり」は多くの人を介し、その広がりを見せている。「歴史の表舞台に登場していた紫草を、郷土の活性化につなげたい」と広瀬さん。時代のなかで忘れ去られてしまった歴史的遺産、紫草の蘇生活動は、今後も地域の活性化を支えていくだろう。
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