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おおいたの昔「相撲の神様 双葉山定次」

かなしみをのりこえて

 双葉山(ふたばやま)は大分県宇佐(うさ)市天津(あまつ)の布津部(ふつべ)という海辺のむらで生まれました。1912年生まれですから、いま生きていれば93歳(さい)です。双葉山(ふたばやま)は本名を穐吉定次(あきよしさだじ)といいます。お父さんは大きな船をつかって広島や大阪へ荷物をはこぶ仕事をしていて、むらではお金持ちでした。ところが定次(さだじ)少年が9歳(さい)のとき、かなしいできごとが一度におそってきました。お父さんは仕事に失敗(しっぱい)して財産(ざいさん)をなくし、お母さんと妹はつぎつぎ病気で死んでしまったのです。
  ひとりっ子になってしまった定次(さだじ)少年は、自分ががんばらねばと、学校の休みにはお父さんがやっと買ったちいさな船の仕事をいっしょうけんめい手伝いました。

怪童

 走るのははやい、川でおよぐのもばつぐんにうまい。そういう定次(さだじ)少年がきらいなスポーツは相撲(すもう)でした。14歳(さい)のときのことです。となり村と自分の村がたたかう相撲大会(すもうたいかい)がありました。自分の村の選手(せんしゅ)たちがみな負けてしまうと、おとなたちは定次(さだじ)少年をむりやり土俵(どひょう)のうえにあげました。となり村の横綱(よこづな)がくみついてきました。「おせ、おせ」とおとなたちがいうので、しかたなく定次(さだじ)少年が怪力(かいりき)でのしかかると、となり村の横綱(よこづな)はきぜつしてしまいました。
  『怪童(かいどう)があらわれた!』定次(さだじ)少年のはなしが新聞にのりました。そして、ちょうど大分市にきていた大相撲(おおずもう)の立波親方(たつなみおやかた)の部屋にはいることになったのです。相撲(すもう)取りとしてのなまえは双葉山(ふたばやま)とつけられました。

こころをきたえる

 はやくつよくなって、おばあさんやお父さんをらくにしてあげたい、とおもうものですから、双葉山(ふたばやま)はあさ、だれよりもはやくからけいこをしました。そのうちどんどんはやくなって午前4時からけいこ双葉山写真をはじめたときは、親方(おやかた)から「うるさくてねむれないじゃないか」としかられたそうです。
  双葉山(ふたばやま)ははじめのころ、あまりめだたない力士(りきし)でしたが、“けいこねっしん”なのでつよい先輩(せんぱい)たちがきもちよくけいこをつけてくれました。おかげで、だんだん体重もふえてつよくなり、相撲(すもう)取りになって3年めには幕下力士(まくしたりきし)になりました。このとき、親方(おやかた)は、ごほうびに双葉山(ふたばやま)を大分巡業(じゅんぎょう)につれていってくれたのです。3年ぶりにあった、お父さん、おばあさん、ふるさとの人びと・・。双葉山(ふたばやま)はうれしくて、とってもしあわせなきぶんになりました。そして、もっともっとつよくなろうと、おもったのでした。
  19歳(さい)3か月で十両(じゅうりょう)。でも幕下(まくした)のときとちがって、つよい力士(りきし)ばかりが相手(あいて)ですから、双葉山(ふたばやま)はなかなか勝てなくて苦(くる)しみます。しかし、20歳(さい)で幕内力士(まくうちりきし)になれました。双葉山(ふたばやま)はけいこで体をきたえるだけではなく、えらいお坊(ぼう)さんの弟子(でし)になって、心をきたえています。勝っても負けてもさわがない、しずかな心をもとうとしたのです。

69連勝がとまった

 日本一の横綱(よこづな)にせいちょうしていく双葉山(ふたばやま)。右目が見えないハンディはどうしたのでしょうか。双葉山(ふたばやま)は、こういっています。「目にたよらない」と。目にたよらないで、何で見るのかというと、「体ぜんたいで見る」「心で見る」というのです。ここが、ふつうの相撲(すもう)取りと、ちがっていたところなのですね。
  昭和11年1月場所から双葉山(ふたばやま)はもうだれにもまけませんでした。昭和14年1月場所まで3年間、双葉山(ふたばやま)は連勝(れんしょう)をつづけたのです。双葉山土俵入り写真
  また勝った、また勝った、双葉山(ふたばやま)は日本中のヒーローになりました。そのいっぽうで、なんとかして双葉山(ふたばやま)をやっつけようという研究(けんきゅう)をしていた人たちもいました。そしてとうとう昭和14年1月15日午後6時、安芸ノ海(あきのうみ)という力士が双葉山(ふたばやま)をやぶったのです。「双葉山(ふたばやま)やぶれる、双葉山やぶれる」ラジオからひめいのようなアナウンサーの声がきこえました。国技館(こくぎかん)ぜんたいがお客さんの声であらしのようなさわぎ。土俵(どひょう)にはお客さんがなげるザブトンやミカンがとんで、目のまえがみえないほどだったといいます。

弟子たちをそだてた

 69連勝(れんしょう)でやぶれたあとも、双葉山(ふたばやま)は7回、優勝(ゆうしょう)しています。そして、日本が太平洋戦争にまけて戦争がおわった年、昭和20年に引退(いんたい)しました。
  引退(いんたい)したあと、双葉山(ふたばやま)は福岡県太宰府(だざいふ)の双葉山道場(ふたばやまどうじょう)でわかい力士(りきし)たちをそだてました。
  1957年、昭和32年からは相撲協会(すもうきょうかい)の理事長(りじちょう)としてかつやくしました。双葉山(ふたばやま)がなくなったのは56歳(さい)のときでした。

宇佐市天津の「双葉の里」という記念館もつくられています。 電話0978-33-5255



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