1999・7 Vol.33

特集1 小さな村にデッカイ笑顔が輝く
 都市に住む人たちは、田舎のあふれんばかりの自然や心豊かに暮らす人々にあこがれる。また田舎の小さなむらで暮らす人たちは、都会からやってくる人々から刺激や情報をもらう。
  お互いが認め合い、生かし合える場ができたとき、そこに本当の「交流」が生まれ、みんながいきいきと輝き始める。
 生徒数六〇名足らずの小さな山の学校に、都会からの山村留学生を迎えて活気づく「竹田市立城原小学校・双城中学校」。
  人口約三〇人の離島で昔ながらのみそを作り続け、全国に顧客を持った「深島婦人部」。2つの小さな地域に生まれた、都市とむらの「交流」活動を訪ねてみた。

竹田市立城原(さばる)小学校・双城(そうじょう)中学校
都会っ子のよさと田舎っ子のよさを生かし合える「山村留学」
小さな学校には子ども達が輝ける舞台がある。
地域ぐるみで受け入れる温かな心がある。
 六月四日、五時間目。竹田市立城原小学校では、恒例の田植えが全校あげて行われた。子どもたちはみんな家で農業を手伝っているので、慣れた様子で泥田に入っていく。

 そんななかに、福岡県の小学校から「山村留学」でやってきた三人の生徒の姿があった。今年で二年目になる長友公佑くん(六年生)と江島菜野子ちゃん(四年生)、今春来たばかりの塚崎達也くん(四年生)だ。

 「次、行くよ」「もう少し右だよー」
 公佑くんは早くも持ち前のリーダーシップを発揮して、下級生を仕切っている。

 またたく間に小さな棚田に苗がきれいに並んだ。三人とも、手も足も、顔までも、泥だらけ。すっかり“城原っ子”になりきって、はしゃいでいた。
 竹田市北部に位置する城原小学校は、裏手に田畑が広がり、校舎の窓からは久住山や大船山が展望できるのどかな所にある。生徒数は五六名。一学年十人前後の小さな学校だ。

  六年前、新入生がたった三人になった。当時PTA会長だった大久保忠士さん(現・竹田市立双城中学校PTA会長)は「何とかせないけんと思った」という。
 翌年、阪神大震災の被災児童を、夏休みに校区内の家庭で受け入れたのがきっかけで、山村留学の話が持ち上がった。

 「やろうぇ」

 ちゅうちょする学校関係者をよそに、真っ先に声を上げたのが、大久保さんだった。
 
さっそく城原小学校山村留学制度準備会(のち実施委員会)が組織され、大久保さんを会長に、校長や歴代PTA会長らが加わって、山里の小さな小学校に都会からの留学生を呼ぶ活動がスタートした。
 まず最初の難関は、留学生を一年間家庭に預かってくれる“里親”さがしだった。

 「よその子にケガでもさせたらどげえするんか」。

  どこの家でもおじいちゃん、おばあちゃんはそろって反対した。それでも何とか説得、新聞等でもPRして、福岡県から三人の子どもが集まった。“言い出しっぺ”の大久保さんは、そのうち二人を預かった。

  翌年は四人、三年目の今年は、居残り組を含めて三人の山村留学生が城原小学校で学んでいる。
 人見知りしない都会っ子たちは、里親の家族や学校にもすぐ慣れ、弱音を吐かないことにむしろ大人が驚くほど。

  菜野子ちゃんと達也くんは、山道を往復三時間近く歩いて通学しているが、「遠くてイヤだなと思ったこと?全然ないよ」という。

  学校では、柿むきや魚とりなど、農村ならではの自然体験学習も楽しみのひとつ。菜野子ちゃんは夏の林間学校を心待ちにしている。
 「幼稚園からずっと同じメンバーだと、刺激や変化がなく、序列意識が固定化してしまう。例えば計算は○○ちゃん、走るのは△△ちゃんと決めてしまって、競争したり考え合ったりしない。

  そこに留学生が来て人間関係に変化が生まれ、活気が出ました」と阿部愛子校長は山村留学を評価する。

 「留学生にとっても、ここだと一時間の授業中に何回も指名される。子どもは自分の存在感を味わえるんですね」
 今年は近くの竹田市立双城中学校にも二人の山村留学生が誕生した。部員一九人の野球部で毎日練習に励む江島陵太くんと榊祐一郎くんだ。

  人数が少ないながら、今年も県大会出場を果たした野球部のために、大久保さんらPTAがグラウンド周辺の草を刈り、隣接するテニスコートを囲む網を張った。「親が頑張れば、子どもも頑張る」と大久保さん。
 ここには子どもたちを地域ぐるみで育てていこうとする温かな心がある。だからこそ、山村留学生も、地元の子どもも、そして親たちもみんなが輝いている。

蒲江町・深島婦人部

分最南端の離島から全国へ夢を広げた「深島みそ」


島に昔から伝わるみそを作り続けて一四年。
みんなでやるから楽しいし喜んでくれる人がいるのが嬉しい。
 大分県最南端にある離島・深島。ここは蒲江港から定期船で25分、周囲6.7kmの小さな島だ。

 日豊海岸国定公園に位置する島の周辺は、九州最北端といわれるサンゴの生息地で、県下でも希少な美しい海である。スキューバダイビングや釣りには格好のポイントで、夏には海水浴客もやってくる。

  しかしこの自然に恵まれた島も、ここ数年人口が減り続け、今はわずか31人になってしまった。

 そんななかで、深島婦人部の女性たちが一四年ほど前から作っている深島みそが、最近全国に広まり、脚光を浴びているという。

 みそ作りの日、島を訪ねた。
 朝一便の定期船で着くと、作業場からよく通る声が聞こえてきた。

 「あげるよー」「はーい」

 かまどの上でもこもこと湯気を立てていた蒸し器のふたを取り、蒸し上がった麦が作業台の上に次々とあけられる。その間に次の麦を洗う人、蒸し器に入れる人、薪をくべる人と、みんなが手際よく動いていく。
 深島婦人部のメンバーは会長の安部ヒサヨさんを中心に、安部ツルエさん、松下キサ子さん、安部サトミさん、後藤留子さんの5人。平均年齢はゆうに60歳を超えているが、みんな元気いっぱいだ。
 メンバーのうち四人は深島の生まれ。「作り方はお母さんから習った」というみそは、代々、島の女性が家で作り続けてきたものだ。

  素朴な甘い麦みその評判は口コミで広まり、当初は150kgほどの生産量だったのが、今では1回150kgを月に2〜3回、年間で3000kg以上を作るまでに。平成7年には町が「深島みそ生産施設」を建ててくれた。

 みそ作りの日は朝が早い。

「四時には起きて、だんなさんのご飯を作って、五時頃ここに来るんよ」

 かまどの前にある東側の窓から、朝日が上がるのを眺めながら薪をくべる。この薪も、みんなで山へ木を取りに行き、割って作る。ご主人達にも加勢してもらうという。
 洗った麦をかまどで約30分蒸し、広げて手でほぐす。これに麹のたねを混ぜ、バットに入れて布団をかぶせ、はなをつけるのを待つ。このときの微妙な温度調整がポイント。経験と勘で布団の数を調整し、真冬はホットカーペットも使う。

 「何枚くらい布団をかぶせるかって?それは企業秘密や」と安部さんは笑う。

 二日後には、かまどで炊いた大豆と米をここに混ぜ合わせ、樽に仕込む。あとは三カ月ねかせると、ほんのりと麹の香りの残る甘いみそが出来上がる。
 「深島かまど白みそ」と名づけられたこのみそは、蒲江町のAコープと二軒の商店に出しているほか、注文に応じて全国に発送する。

  北海道から沖縄まで顧客が広がり、東京や宮崎の飲食店からも定期的に注文がくるという。海水浴やダイビングに島を訪れた客が、買って帰ることもある。  

  午前11時、ようやく仕込みが終わって、みんなで朝御飯を食べたり、ゴロリと横になったり。

 「年を取ると、重い麦を運ぶのがきついと思うこともあるけど、みんなでやるから楽しいなぁ」と安部さんはいう。目下の悩みは後継者がいないことだ。

 昨春、しばらく閉校していた島の小学校に、子どもが一人入学した。ダイビング客や海水浴客も年々増えている。一昨年の秋には、長年深島に通っている大分のダイバー達が島の集会所で水中写真展を開いた。

 ほんの少し、元気がよみがえってきたこの島で、婦人部の五人もまだまだこのメンバーで頑張っていこうと話し会っている。