2000・1 Vol.35
NEO対談 赤瀬川原平 + 平松守彦
老人力ー
新たな力の発見
赤瀬川原平
田舎暮らしの自給自足的なところは
まさに老人力の生きてくる生活です。
平松・大分県知事
過疎地にも過疎力があると
積極的に考えていくことが必要ですね。
老人力の極致
平松
赤瀬川さんの造語「老人力」 は、高齢者の特性を新たな能力として評価する画期的な見方であり、日本中の話題となりましたが、これまでも作家や画家といった活動以外にも、路上観察学会、ライカ同盟と、ずいぶん幅広い分野でご活躍をされてますね。
赤瀬川
もともとは絵が好きでした。20代の前衛芸術でやり尽くした感じになり、何か面白いことがないかとカメラを持って町を歩き始めました。どこにもたどり着けない階段(このような超芸術物件を役に立たなくなった巨人軍の助っ人外人選手にちなみ「トマソン」と命名)などを見つけて、仲間と「面白いなあ、何なんだろう」と言ってるうちに評判になり、建築探偵藤森照信(東大教授)さん達と出会い、80年代の終わりには路上観察学会へと発展しました。
平松
写真集を見ましたが、題や内容が面白いですね。重要文化財などとは違う、ムダだと思えるようなことや、人間の意識では考えられないものに出会う楽しさがありますね。このような活動から「老人力」のヒントが出てきたんですか。
赤瀬川
そうなんです。「老人力」は考えて作った言葉ではないんです。遊び、シャレ、趣味といったいわば無目的の楽しみで、面白いものを見付けては写真を撮っていた結果です。気に入り、力を感じるものは大抵、できたての新品ではなく、使われなくなったり、少し壊れかけたり、どこか古くなっていたり、目的から外れていっているものでした。
平松
人間の頭で一所懸命に考えて作ったものが、時間の経過とともに考えから外れ、考えられないものになる。意識しないで偶然にできたものって面白いですね。無用の用という言葉もありますが。
赤瀬川
はじめは考えて作るはずですが、めぐりめぐって思わぬものに変化する。老人力の特性もこのような視点で考えると面白くなりました。歳をとると、頭で考えても否応なく外れていくことがあります。物忘れは実際には困る面もあるけれど、忘れることによって思わぬ展開になることがありますね。これを「力」として認めようということなんです。これが「老人力」なんですね。
平松
マイナスの力をプラスにする発想が非常に面白いですね。確かに忘れることにもエネルギーが必要ですし、歳をとると眠るのにもエネルギーが必要です。「優柔不断術」という造語も作っていますが、何もしないでじっとしているのにもエネルギーが必要です。行政組織でも、どんどん目標に向かって前進している時には当然、エネルギーがいりますが、むつかしい問題に直面して、じっと我慢している場合にも、大きなエネルギーが必要です。
赤瀬川
組織にも働きのわるいトマソン社員が必要という話があります。会社で、精鋭だけでやっていこうと、いわゆるトマソン社員を整理したら、残った人のなかに、またトマソン社員ができるという話です。
平松
老人力というと、老人特有の現象のように考えられがちですが、若者の老人力というのか、社会全体が老齢化しているような感じはありませんか。若者が路上にペタッと座ったりとか、若者の温泉ブームとか。
赤瀬川
私の本の読者の反応でも、すごく気が楽になったという高齢者が多かったのですが、逆転的な発想が面白かったという若者も多くありました。やはり若者も何か感じているようです。
平松
昔は、若者と老人の境界があったと思いますが。このような現象は世紀末的なものですかね(笑い)。
赤瀬川
やはり先がみえてきたというのはありますね。現在のように成熟した管理社会になってくると、どうしてもはみ出したいという気持ちが本能的にでてきて、あえてだらしなくしたいというのがあるようです。気持ちは分かりますが(笑い)。
平松
老人力は哲学の話でなく、管理社会に対する遊び心、パロディというような形で若者に共感が広がっているわけですね。私は、老子の「無為にして化す」が老人力の極致と思っていますので、老人の良いところを見習って欲しいですね。
赤瀬川
自然に任せてうまくいくにはある種の勇気がいります。知人の精神科医も達人になると、ああ、そう、とか言って患者の悩みを聴きながら、間をとるのが重要だそうです。間が長くなって先生自身が寝てしまうことがあるそうで(笑い)、それを見て患者は自分が頑張らねばと悟るそうで、間がまさに暗黙の教えになっているのです。老人力の極致です。
平松
なるほど!
過疎力・田舎力の活用
平松
現在、県政の課題に過疎化問題があります。過疎といわれる町は人口が減っていく一方、美しい自然と大きな空間があります。そういうところが逆に、人を魅きつけているわけで、過疎の町にも「過疎力」というものがあると思います。
赤瀬川
そうですね。森閑とした過疎ちで、時間はある。都市の生活は便利過ぎて、なんでもおまかせです。田舎暮らしの自給自足的なところはまさに、老人力の生きてくる生活です。
平松
過疎のトマソン効果ですね(笑い)。過疎地は、高齢者ばかりでエネルギーがないというのではなくて、高齢者に老人力があるように、過疎地にも過疎力があると積極的に考えていくことが必要ですね。一村一品運動の極致も地域の潜在力を見つけだす内発的な精神運動です。今まで忘れ去られているもののなかに大きな力があるはずです。
赤瀬川
ありますね。田舎という存在は、都会があって成り立つものですし、都市という言葉からは若者をイメージします。しかし、現役でバリバリやっているけれど、最近は都市から離れて田舎に住むことに憬れるとか、気持ち良さを感じる人が確実に増えています。これは、田舎に力がある、つまり、田舎力や過疎力があるということです。
平松
田舎は時間がゆっくりしていて、高齢者にとっては最適の場ですし、また、風景そのものが庭園や田園風景のようなところがあります。老人力発想で過疎の活性化を考えることも必要ですね。
赤瀬川
私の家を設計してくれた藤森さんが、長野の山からちょうど良い具合いに表面の腐った倒木を切り出して、ぼくが鉈ではつって、我が家の飾り柱にしたんですが、実に気持ちが良いですね。
平松
田舎には、昔から森林の持つエネルギーが今でも残っていますから、そのようなエネルギーを感じ、大切にすることは、時代の要請ではないでしょうか。田舎のエネルギーをもう一度復活し、見直そ うという時代の要請が環境意識や緑化運動の高まりにもなっていると思います。これから一村一品運動も「むらの生命を都会へ」というスローガンにしました。
赤瀬川
路上観察的な目で見ると、田舎は心や頭がリフレッシュしますし、現実と思えぬ現実に出会えます。例えば、鏝絵、凝った屋根瓦、石橋など。田舎が持っている力を意識する人はまだ少数派ですが、もうちょっと大きな動きになると面白くなると思います。
老人力を持った生活文化
平松
『ライカ同盟NAGOYA大写撃』という写真集は大変面白い ですね。題の付け方も絶妙だし、日ごろ気付かないものの面白さに改めて驚きました。高校一年まで大分市で育ち、磯崎新さんや私の友達の弟の吉村益信さんともお知り合いだそうですね。その頃から、ポストモダンや前衛的なものをやっていたのですか。
赤瀬川
磯崎さんは、兄(赤瀬川隼)と同級です。大きくなってネオダダとか前衛芸術を始めた頃、磯崎さんとも交流がありましたし、吉村さんは同じグループの先輩でした。
平松
大分にそのような流れとか接点の場があったのですか。
赤瀬川
中学の頃から大分のキムラヤ画材店の新世紀群(名付け親は磯崎さん)に参加し、新しいものに挑戦していました。吉村さんには、大きな影響を受けました。
平松
大分には磯崎建築として、県立図書館や別府B-conプラザなどがあります。できるだけ大事にしていきたいと思っています。
赤瀬川
そうですね。大分には鏝絵とか、別府竹瓦温泉の建物とか、古い良いものがあります。昔は、職人が意地を発揮して作っていたから、すごく良いものが残っているんです。今はどうしても経費内に収めるため、機能的になってはいるが、良さや楽しさという点では昔に負けます。
平松
宮大工さんが作った神棚が私の家にもありますが、こういう方が住宅を造れば、今とは違ったものになると思います。
赤瀬川
部分的でもいいですから、職人でないとできないような家、 例えば、鏝絵とか戸袋、屋根瓦などを、地域で張り合って造るようになると面白いですね。私は今でも、万年筆はスポイド式ですし、古いカメラも好きで使ってますが、存在感があります。時計もネジ巻式で、朝起きてまずネジを巻く感触がよくて愛着が湧いています。
平松
最近の製品はみな全自動システムで、一か所が故障すると丸ごと取り替えますが、このような考え方が、社会や組織のシステムまでにまん延しています。直しながら長持ちさせるシステムは、地球資源の保護にもなり、また、使うことによって「味がでてくる」ということにもなります。まさに老人力を持った生活です。
赤瀬川
便利なものもちろん必要ですが、肝心なことはバランスです。物を使い捨てにするような生活習慣は、もう一度考え直し、生活全般を根本的に変える時期にきています。
平松
質素だが、ゆとりのある生活、老人力を持った生活習慣や文化を身につける必要がありますね。文明論としても、「老人力」という本は警鐘を鳴らしているようですね。
赤瀬川
過疎とか、老人とかをゆっくり見直す必要があります。
平松
赤瀬川さんには、ぜひ県内をカメラを持って歩き、大分の「老人力」を発見していただきたいと思います。
赤瀬川原平(あかせがわ げんぺい)
作家・芸術家
昭和12年横浜市生まれ。大分市立金池小学校、上野ケ丘中学校を経て大分県立舞鶴高校入学。武蔵野美術学校中退。昭和35年頃より「ネオ・ダダ」「ハイレッド・センター」の前衛芸術活動が話題を集める。昭和58年頃より、無意味な建造物や物体を「超芸術トマソン」と名付けたほか「路上観察学会」を主催。昭和64年、映画『利休』で第13回日本アカデミー賞脚本賞受賞。小説家としては、昭和54年『肌ざわり』で中央公論新人賞受賞。昭和56年『父が消えた』で第84回芥川賞受賞。平成10年『老人力』がベストセラーに。平成11年『優柔不断術』刊行。著書多数。
本名赤瀬川克彦。美術家として赤瀬川原平、小説家として尾辻克彦。東京都町田市在住。
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