2000・11 Vol.38
                                      
特 集 文化
「文化」がまちを元気にする
 取材・文・井上裕子 撮影・竹内康訓

「文化の時代」と言われる。「文化」という言葉はやたら堅苦しく聞こえるが、「人の心を元気にするエネルギー」と考えたら、どうだろう。何百年、何千年と受け継がれてきた伝統技術や技能を継承するのも文化、私たちの生活にごく身近な“食”や、ポピュラーな“音楽”も文化。「文化」には年齢も性別もない。都会も田舎も、もちろんない。大切なのは“思い”だ。
 大分の中のそれぞれの地域で、さまざまな「文化」を創り、守り伝え、発信することに意欲を燃やしている人たちを訪ね、「文化する」ことの楽しさや濃密なエネルギーに触れてみた。「文化」があるまちは、いつも元気だ。


「守り伝える」文化
伝統の檜皮葺を愛し、受け継ぐ 「職人」の心意気。

 宇佐神宮では、十月半ばから下宮の屋根の一部葺き替え作業が始まっていた。歴史ある建物ならではの風格ある屋根は、檜の樹皮を使って葺く「檜皮葺」と呼ばれるもの。
 社殿建築に多い檜皮葺は、千二百年の歴史を持つという日本古来の伝統的な工法で、その技術を持つ「檜皮師」は、全国でも百名ほどという。県内では中津市在住の櫻井一義さん(72)と、義弟で宇佐市に住む山香正さん(51)の二人だけだ。
 その日は山香さんが屋根の上で黙々と作業を行っていた。「もう私は歳やから、なるべく屋根には上がらんようにしてるんですわ」と笑う櫻井さんは、この道五十年の大ベテラン。京都府出身で、宇佐神宮御用達の檜皮師を務めたお父さんの跡を継ぎ、宇佐神宮はもとより、全国各地で社殿の檜皮葺きなどの仕事を続けている。
包丁を巧みに使って檜皮を切り揃えていく「檜皮ごしらえ」 竹釘を瞬時のうちに下で確かめ、頭から先に出す。実に見事! 竹釘をつき刺し、瞬時に屋根金槌で打ち込む。ものすごい早業だ。
 重厚でやわらかな曲線を描く檜皮葺は、熟練した技術と長い時間をかけて初めて完成する。工程の最初は、檜の立木から樹皮を剥ぎ取る「檜皮剥き」だ。「檜皮は八十年以上たった木からしか取れません。木の内側の白い皮を残して剥ぐと、十年たったらまた取れるんです」と櫻井さん。気候が温暖な九州の檜は樹皮の質がよくないので、材料は主に関西から仕入れるという。
 次は、剥いだ樹皮を切り揃える「檜皮ごしらえ」。これは屋根に上がって葺く作業よりはるかに時間がかかる。先ほどの檜皮を、包丁を使って厚みや長さを均一に揃え、用途に合わせて定型に加工する。屋根の平たい部分には「ひら」(平皮)、端の斜めになった部分には「みのこ」(箕甲皮)など、それぞれ形も長さも違う檜皮を、何種類も用意するのである。
 屋根から下りた山香さんが、実際の作業を見せてくれた。形の違う数種類の包丁を使い分けながら、檜皮を手際よく切り揃える。次は、切った檜皮二枚を少しずつずらして並べ、包丁の先でトン、トン、と小突いて、接着剤も定規も使わずに綴り合わせていく。この綴り合わせは非常に熟練を要する作業だ。
仕事の合間に全国を回って古い建物を見るのが好き、という桜井一義さん。「旅館に泊まったら、必ず朝一番にお宮かお寺に詣ります。東本願寺の桜門は何べんみても好きですなぁ」。京都弁混じりの話し方が優しく響く。
檜皮葺きは植物性の材料であるが故に寿命は短いが、素材の美しさを尊ぶ日本人の美意識にかなうものだった。
 檜皮ごしらえができたら、いよいよ屋根に上がって「葺く」工程にかかる。野地板と呼ばれる裏板の上に檜皮を並べて留めていくのだが、このとき使うのが金釘ではなく「竹釘」。雨水が入ると金釘は腐食するが、竹で作った釘は丈夫なのだという。
 長さ一寸二分(三・六mm)、経一分(三mm)の小さな竹釘を、山香さんは一度に三十〜六十本も口の中に放り込み、一本ずつまるで機関銃のように次々と口から出して檜皮に刺し、屋根金槌で打ち付けていく。まさに”名人芸“だ。 「釘は奥歯の上に入っちょる。舌で触って先と根元を選り分けるんよ。まぁ、猿公みたいなもんやね」と笑いながらも、山香さんは手を休めない。
 檜皮を並べる間隔は、建物によって”三分出し“”四分出し“などと決まっていて、すべて「目見当」で置いていく。「物差しを置いてもろたら、びしっと合うてるのがわかります。職人いうのは、そういうもんです」と櫻井さんがさりげなく言った。
 軒廻りは、檜皮を積み重ねたあと、「ちょんな」(手斧)と呼ばれる斧で美しく切り揃える。これらすべての工程が手仕事、時間も労力もハンパではない。「絵を描く人は鉛筆一本で屋根ができますけど、私らは檜皮を五枚並べては釘を打つんですから、一日一ヘーベー(m2)、ひら(平らな部分)ばっかりでもせいぜい二ヘーベーが限度ですわ」と櫻井さんは笑った。
 原田多加司著『檜皮葺と柿葺』(学芸出版社)によると、全国の檜皮葺建造物は、二千棟を越すといわれるが、ここ十年間で銅板葺などの金属製屋根に変更したものが全体の二割以上。その比率は年ごとに増えていくだろうという。
 櫻井さんに聞くと、宇佐周辺では檜皮葺の屋根は二十五〜三十年で葺き替えの時期がくるそうだが、国宝や重要文化財などに指定されないものは、金額的に三分の一程度ですむ銅板葺などに変わることが多いという。
 近年は兵庫県に檜皮師を育てる学校もでき、若い職人が徐々に増えつつある一方で、技術だけでは保存がままならないというのが現状のようだ。 「檜皮葺は、夏涼しいし、冬暖かい。古くなったら苔も付いて渋くなる。屋根の貫禄が違います」と櫻井さん。温暖多湿な日本の気候風土と調和し、伝統文化を伝える古きよき建物をこよなく愛する生粋の”職人“は、「なんぼやっても満足いく仕事はないもんです。それが職人いうもんやと思います」と静かに言った。

「支え育てる」文化
伝統芸能を興す祭りが生んだ地域の人々の「和」。

 若いヤツらが最近、近所でものを言わんごとなった。朝の挨拶をするような会を作ろうや」
 平成三年、竹田市玉来南部地区に「大野川上流どんかち会」ができたのは、こんなきっかけだった。大野川沿いの五自治会(吉田・恵良・中尾・大正・岩本)で作ったこの会には、現在三十〜五十代の男性二十六名が集う。
 古紙回収や陶芸教室などの活動を行う一方、「地元各地に残る神楽や獅子舞などを集めて、賑やかな”祭り“をやろう」という話が持ち上がった。これが今年で八回を数えた「奥豊後里の賑わい祭り」である。
 そのいきさつを、どんかち会実行委員長・吉良孝則さん、事務局長・伊藤博文さん、事務局次長・吉良君孝さんから伺った。 「きっかけは波野村が神楽フェスティバルを大々的にやったことです。負けたような気がして(笑)、それが刺激になった」
 昔からこの地域には、各地区で神楽や白熊、獅子舞などの伝統芸能が庶民の生活の中にあったが、過疎と高齢化が進む中、「興すよりつぶれる方が多い」という状態になっていた。
 何とかこれを保存し、若い世代に引き継ぎたいと考えたみんなは、周辺地域に祭りの参加団体を募る活動をスタートした。 「とにかく資金がなかった。でもお金を出してやる”イベント“じゃなく、本当の意味の”祭り“をしたいと思ったんです」。竹田市全域と大野郡三町すべてを回った。「文化の保存・継承・振興が目的なんで、手弁当ですけど」と参加依頼に行くと、「いいことだが、金もねーのに出られん」となる。「なんぼ頭下げたかわからん」  それでも初回から五団体の参加をとりつけ、以後、雨天中止の一回をのぞいて毎秋開催を重ねて、次第に地域の人々も楽しみに待つようになった。「その日のためにと一円玉を貯めて持って来てくれた人がいて、祝儀袋をもらうより感激しました」
7mの高さから餅まきをする天のしめは、祭りのクライマックス。これを見たさにやって来る人も多い。
子ども神楽も迫力十分。形も決まってます。
吉田俚楽座で自らも神楽に参加するどんかち会のメンバーたち。 子ども神楽の練習では、上級生がリーダーシップをとる。
 嬉しい”成果“もあった。三十五年間途絶えていた市内入田の「牧獅子」が、この祭りをきっかけに他地区からも人を募り、復活したのだ。今は若い後継者も育ち始めたという。祭りに出たことで地域の人の和が固まったという感謝の声もあった。祭りの成功はもちろんだが、こうして人の和ができ始めたことを、メンバー達は一番喜んでいる。
 吉良さん達は自らの吉田地区で「子ども神楽」を結成し、毎週土曜の夜、小中学生の指導にあたる。「子ども達は集団で遊ぶのも楽しみなんです。今は子ども同士タテの関係を持つ機会がないし、地域の人との交流もない。神楽よりも、むしろそんなことの方が大切かも」と言う。
ところで、当初の目的である”若い人たちの挨拶“は?と尋ねると、「今はするようになりましたね」とのこと。
 平成十二年十月二十二日、第八回「奥豊後里の賑わい祭り」は、子ども神楽四組を含め、計九つの参加団体を迎えて、竹田市玉来の旧南部中学校跡地で今年も盛大に行われた。

「創り楽しむ」文化
もっと創りたい、表現したい。
若手ストリート・ミュージシャン達の夢。

 夜九時。シャッターが下りてがらんとした大分市中心部の商店街では、あちこちでギター片手に歌う若者達の声が響く。都会ではよく目にする若い「ストリート・ミュージシャン」が、大分でも近ごろふえてきた。ひたすら真夜中まで歌い続ける彼らの姿を目にすると、妙に元気が湧いてくる。
  『ルーキースター』のトモカズこと上村大和君は二十四歳。すらりとした風貌と、よく通る声、独特 の雰囲気が人を惹きつける。昼はパチンコ店、夜はラーメン屋でアルバイトをしながら、プロを目指している。
 生活は結構キツキツで、もっと働けば楽になるけど、その時間を音楽にあてたい。ゆとりができると怠けてしまうから、絶対プロになって大きくなるんだっていう気持ちを維持するためにも、この方がいいんです」。空いた時間は、ギター片手に自分の曲作りに励む。
 『まる』のマコトちゃんこと玉野井誠君は、「僕はここで絵をやってるヤツと知り合って、彼が自分の世界を持っているのに刺激を受けた。それで自分の曲を作るようになったんです」。ストリートは表現の場であり、刺激の場でもある。
 離れた所で無心に歌っていた『カラク』の岡田貴裕君と後藤一幸君は、 大分高専の学生。「足を止めて拍手してくれるお客さんがいるとすごく嬉しいです」
 近くのジャングル公園では、『プレシャス』のケイとマサヤが、ギャラリーに囲まれて歌っていた。最近、全国から選ばれたストリート・ミュージシャンのCDに声が掛かって出演した二人は、ファンも多いらしい。
 こうしてそれぞれに歌ってきた彼らが、自分達をアピールしたいとコンサートを企画した。タイトルは「アピール2000」。県民芸術文化祭の「若者文化イベント募集」に応募して採用され、予算が付いた。言い出しっぺはトモカズとマコトちゃん。みんなに声を掛け、十二組が集まった。本番は十一月十七〜十九日。「ガレリア竹町」のドーム広場をメインステージに、力強い歌声がストリートに響いた。
「いつか音楽でたべていけたら」と言うプレシャスの2人。
「音楽のことではマジでケンカすることもある」という『カラク』の2人。
「アピール2000」には音楽の他に絵などをやる若者も参加。
『ルーキースター』のトモカズは歌に存在感がある。
ときどきギター1本抱えてぶらりと県外へ歌いに行くという『まる』のマコト。
 「彼らが商店街を自らのステージにして歌っているのは、とても嬉しいことです。彼らの元気を分けてもらい、私たちも”街は舞台だ!“をスローガンに頑張っていきたい」と大分市中央町商店街振興組合理事長、一井哲郎さんもエールを送る。ストリートから発信する若者達のエネルギーが、大分の街に新しい「若者文化」の芽を育て始めている。
 「みんな小さいころは夢とか憧れとかあったはず。僕だけが夢を持ってるんじゃなくて、みんなが忘れただけだよ」というトモカズの言葉が心に響いた。

「発信する」文化
豊後水道があるから、佐伯の「食」はオモシロイ。

●佐伯に「寿司」あり

「世界一・佐伯寿司」というキャッチフレーズで、佐伯が地元の「寿司」をアピールし始めた。
 そもそも「佐伯の殿様、浦でもつ」と言われたほど海の幸に恵まれた佐伯は、豊後水道という豊かな漁場を控え、江戸時代から沿岸漁業の中心として発展したところ。 「豊後水道は魚の種類が多く、イカだけでも約十種類、エビもカニもウニも時期によっていろんな種類が穫れます。都会の寿司屋は全国から集まった魚を加工して出すのがうまいが、佐伯は地のものがほとんど、というのがいい」と言うのは、大分県鮨商環境衛生同業組合・佐伯支部長を務める「錦寿司」のご主人、岩佐洋志さん。
 同組合青年部会長に就任する「第二金波」ご主人、飯田政裕さんも、「佐伯の海はとにかくスゴい。アンコウもあればフグもある。マグロとイクラ以外はどこにも負けません。日本の三大珍味と言われる魚が、長崎・野母のカラスミ、愛知のコノワタ、越前のウニですが、佐伯は一カ所でこの三つ全部が作れるんです」と、豊かな海の幸を強調する。
 このようにスゴい海を控え、新鮮で旨い寿司が食べられる佐伯だが、県内でも意外に「佐伯の寿司」は知られていなかった。そこで、これを売り出そうと始めたのが、冒頭のキャンペーンというわけだ。
 五月にJR九州が別府-佐伯間に「すし列車」を運行したのを受け、十一月二十二日には県内外から三百五十人を集めて「佐伯・寿司サミット」なるものが開かれた。
 サミットの音頭取りは佐伯商工会議所。同専務理事の宮本孝義さんは、「世界一、と謳ったのは、私達の思いであり、自分達が住んでいるまちへのプライドです。寿司は海の宝の代表選手であると同時に、手作りという素晴らしさがある。佐伯の寿司の元祖は、家庭でお母さんが作ってきた魚料理なんです」と語った。
 あと八年ほどで高速道路が佐伯までつながる。それまでに観光客の受け皿作りをしたい、という思いも切実だ。
 何軒かの寿司屋で自慢の寿司をいただいた。とびきり新鮮なねたが絶品。なかでもアジ、サバ、イワシなどの“青もの”は、佐伯寿司の醍醐味だ。晩秋から冬にかけて、サバ、アナゴ、アオリイカ、フグなどが旨くなる季節だという。熱燗なんぞ一杯やりながら、佐伯で寿司喰う人はシアワセだ。
佐伯で開業して30年という「亀八寿司」の戸秀俊さん。
「第二金波」の飯田政裕さんが作る名物・うなぎ巻は、ご飯に赤いエビのデンプが入って美しい。
「高ゲタに憧れて寿司屋になったんです」と笑う「錦寿司」の岩佐洋志さん。


●パワー全開「うまいもん通り」
 佐伯市の中心部に、「うまいもん通り」という名の通りがある。何だか本当はうまくなさそうで(失礼!)、正直言って最初は心そそられなかった。
「通りに魚を使った居酒屋が十数軒できたので、けなし合うより仲良くしようや、ということで四年前に作ったんです。昔からの名前は『中島通り』だけど、何か食にちなんだネーミングをと、佐伯市民に公募したら七百通くらい来た。その中で一番多かったのがコレなんですよ」。うまいもん通りの飲食店二十二で作る「新鮮の会」会長を務める「喰いまくり会館グリコ」社長、山内正則さんが説明してくれた。  
「なんかそのまんまの名前やなー、という声もあったけど、『うつるんです』という当たり前の名前のカメラが売れよるらしい、と聞いて、よし、真似しようということになった(笑)」
 会の特長は、経営者が全員初代で、年齢も三十代後半と若いこと。それだけに、実にいろんなタイプの店があって楽しめる。自慢料理も多彩だ。
「食いまくり会館グリコ」は若い  スタッフが多く、いつも賑やかだ。
毎朝蒲江から入るウニだから鮮度抜群、
という「吾八」の鋤き簀河原浩二さん。
「おおたけ」で送別会を開いていたママさんグループ。
 生ウニがどひゃっと入った名物「うにめし」で有名になったのが「吾八」。ずらりと魚が並んだネタケースを前に、ご主人の簀河原浩二さんは「佐伯は魚が穫れすぎるんで、どれがいいと勧めにくいんですね」と笑う。
 女性に大人気のお洒落な店が「おおたけ」。取材の日も佐伯の若い子ども連れママさんグループのほか、カップルや女性客が次々とやって来た。旬の魚が主体のメニューは毎日変わり、アンコウのシーズンには自家製あんきもなども。ご主人が出してくれた自慢の一品「アジのタルタル仕立て」は、フランス料理みたいにお洒落だった。


「カナール」の黒木保さんが作る料理は盛りつけも華やか
 「つね三」の暖簾をくぐると、縄のねじり鉢巻きをしたご主人の染矢恒明さんが、ピカピカの笑顔で迎えてくれた。カウンターには常連さんのジョークが飛び交い、なんとも和やかな雰囲気。自慢の「あじ寿司」も、絶品だ。
 和風の魚料理が多い中で、「カナール」は異色のレストラン。ホゴのアクアパッツァ風、白身魚と小エビのムース・スップリ風など、佐伯の魚をイタリア料理風にアレンジしたメニューが新鮮だ。
 店歩きを楽しんでいるうちに、夜もすっかり暮れ、通りの店からは賑やかな声が聞こえてきた。「魚」もうまいし、「人」もうまい。佐伯「うまいもん通り」の”うまいもん“は本物だった。

「つね三」は常連客で盛り上がる
優しい目が素敵な「つね三」の染谷恒三さん