2001・2 Vol.39
新世紀巻頭特集 ・ 環 境
小さな歩みから広がった「環境」運動の輪
 取材・文・井上裕子 撮影・竹内康訓
21世紀が幕を開けた。みんなが、前へ、前へと突っ走ってきた20世紀終盤、息切れしてようやく気付いたのが「環境」という、とてつもなく重くて大きな問題だった。
海、山、川、田んぼなど身近なところで、自然が悲鳴を上げ、 危険信号を点滅し始めた。
何かしなければ。早くしなければ。そんな気持ちは、誰もの心の中に、 きっと少しはあるはず。でも、その「何か」を見つけようとしないまま、 21世紀に足を踏み入れてしまった人が、ほとんどかも知れない。
そんな中で、自分たちの生活の場から「環境」問題を真剣に考え、真っ向から 取り組んでいる人たちの活動にスポットを当ててみた。彼らの始めた小さな歩みは、それぞれに人を動かし、地域の環境を守るための大きな「輪」と なって広がり始めた。

■森林と環境
山を守るための第一歩は森林の応援団を作ること

 「森林ボランティアをやりたい人は多いけど、ある程度技術がないと山で役に立たないよね」
 「森のために何か自分にできることを、と思って参加するのがボランティアでしょう?労力とか金銭とか、自分のできることで協力すればいいんじゃない」  
  小雨が降る昨年十月末の夜、中津江村鯛生にある環境教育センター(旧鯛生小学校)グラウンドの片隅で、焚き火を囲みながら熱い議論が飛び交っていた。
 「筑後川源流を考える樵(きこり)の会」が主催する一泊二日の「フォレスト・キーパーズ・キャンプ」の座談会だ。昨春から始まったこのキャンプは、この日が三回目。林業関係の仕事に就く村内の有志たちが、林業に関心を持つ人を都市部から募集し、林業の作業や山村での暮らしぶりを体験してもらおうというキャンププログラムだ。年四回、植林から伐採までの基本的な作業を指導し、合間には筏やツリーハウス作りなどの遊びも交えて、夜は参加者と主催者が山についてざっくばらんに語り合う。
 樵の会のメンバー四人は、全員が東京、大阪、福岡などから中津江村に来た、いわゆるIターンだ。村内の田島山業に勤めるリーダー、杉山博文さんはキャンプ最初の挨拶でこう語った。
「今、林業は大変辛い状況にあります。だからまず林業の現状を知っていただくために情報発信をして、皆さんから知恵を貸していただければと考えました。これをきっかけに、少しでも深く山に関心を持って勉強していただけたらうれしいです」  
フォレスト・キーパーズ・キャンプでは、参加者全員が実際にチェンソーを使う体験をした。
 宿利さんの講義は実践的でためになる。
「森林は自然と私たちの生活との接点。自然と人間が対話する一種のメディアだと思う」と語る田島山業の田島信太郎社長。
 参加者は二十名余り。昼間は、大分県林業改良指導員の宿利政和さんが「 ”やま“ってつくるもの?」と題して講義を行ったあと、全員が自己紹介。田舎暮らしにあこがれて来た、森林ボランティアに興味があった、山歩きが趣味など動機はさまざまだが、山や森のことを気に掛ける気持ちは強く伝わってきた。
 熱心に講義に聞き入るキャンプの参加者たち。
 この日はチェーンソーの使い方の実習も行われた。手取り足取り教わりながら丸太を実際に切ってみると、これがなかなかの快感。こんな実習ひとつでも、山作業への興味は深まるものだ。翌日は実際に山に入って伐採などを経験。次は二月に炭焼きの実習が予定されている。
 中津江村を含む日田地区は日本三大林業地帯のひとつだが、杉山さんが言うように、林業が「辛い状況」にあることは、宿利さんから配られた資料を見るとわかる。杉を植えて住宅材を作る場合の投資額と収入の比較例だ。造林、下刈り、間伐、枝払いなどの作業にかかる費用を、木材販売で得る収入から差し引くと、助成金を受けても、一ha当たり、なんと五十九万七千円もの赤字になる計算である。
 原因は国産材価格の下落だ。国土の六十七%を森林が占める日本は木材資源が豊富にも関わらず、輸入材に押されて自給率は二十%を割り、国産材価格は下がる一方。しかも植林から出荷まで四十年。これでは放置する方がマシとなり、林業従事者は減り、間伐などの手入れをしない山はどんどん荒れていく。
 山が荒廃すれば環境へのダメージも深刻だ。緑のダムといわれる森林は、良質な水を供給し、台風などによる土砂崩れを防ぎ、大気中の二酸化炭素を酸素に変える働きをしているからだ。
 山に入って仕事をする田嶋山業の小柳幸一さん。
 一年二百日、山で木の搬出作業を行う杉山さんは、この仕事を始めて七年目。海外で植林ボランティアも経験し、山仕事がしたくて業界に飛び込んだ。
  「実際にやってみて、林業のハンパでなく厳しい現実が見えてきました。山には広葉樹を植えた方がいいというが、じゃあ今立っている杉は誰が伐るのか。最近は森林に興味を持つ若者は多いが、現状では雇えない。そんな中でこのキャンプをやって人とのつながりができたのがうれしい。都会の人、田舎の人、プロ、ボランティア、それぞれ山をめざす理由は違っても接点はあるはず。それが見つかれば山が面白くなると思うんです」
樵の会代表の
杉山さん。
津江杉の間伐材作業を手がける溝口伸弥さん、池田陽子さん、松本健一さん。鯛生金山前の山村工芸館「木木(きき)」にて。
参加者も主催者もキャンプでは皆仲間だ。 福岡県から毎回参加している井上香苗さんは幼稚園の先生。「子ども達にはいつも山の話をしています」 豪快な焼き肉はキャンプの一番の楽しみ
 樵の会の松本健一さんは、田島山業の木工部門で、間伐材の杉を加工して器を作る仕事に挑戦している。「林業を助けるための木工、という点に惹かれました。以前から森林インストラクターにも興味を持ち、通信教育を続けています」と言う。
 先が見えないと言われる林業をあえて選び、都会から人口わずか千四百人足らずの山村にやってきた若者たち。彼らの試行錯誤は始まったばかりだ。「森の応援団という言葉を心に残して帰ってほしい」と宿利さんは言った。山を守ろうと声高に叫ぶより、一歩山に入り、森と触れ合うこと、山の仕事を知ることが何より力になることを、彼らのキャンプは教えてくれた。
 

■土と環境
自然循環の輪を取り戻す古くて新しい農業

 植物や動物など地球上の生物は、死ぬとそれをバクテリアが分解し、土に戻す。その土に植物や農作物が芽を出し、動物や人の排泄物を養分にして、太陽のエネルギーや山からの水などをもらいながら育ち、それをまた動物や人が食べる・・・ひと昔前までの農業には、そんな「自然循環の輪」が存在していた。
 ところが化学肥料や農薬が登場して、土には自然の自浄作用の立役者であるバクテリアが棲まなくなり、自然循環の輪はとぎれた。尿やふんは廃棄物と化し、土には力がなくなり、農作物や家畜は病気がちになった。
 「もう一度、昔のような自然循環の輪を取り戻さねば」。二十世紀も終わるころ、そんな思いに駆られた人々が集まって作ったのが、久住町の「くじゅう地球村」だ。
 くじゅう地球村は、町内の養鶏場と牧場から出る家畜排泄物を堆肥化し、有機野菜などの栽培に生かす「地域資源循環型」の農業をめざす法人組織。町内で養鶏業を営む荒牧洋一さん、荒牧さんを手伝っていた内山隆雄さん、医師の加藤暢士さんら有志が集まり、九十九年七月に立ち上げた。農園長は内山さんだ。
 
 
  トマトと花のハウスが並ぶ「くじゅう地球村」。
「昔の人が持っていた堆肥の技術を生かしたい」という荒牧さん(右)。加藤さん(左)はよきアドバイザーだ。 農場長の内山さん。
 地下水に腐殖土を入れ空気を送って作る生物活性水が、BMW技術の基本だ。
 くじゅう地球村ではトマトの有機栽培がメイン。そのベースとなるのが、BMW技術というものだ。これはバクテリア(B)を利用して、ミネラルバランス(M)に優れた「生物活性水」と呼ばれる水(W)を作る技術。それを応用して、家畜の尿を液肥に、ふんを堆肥に変える。つまり畜産排泄物を「循環」させて農業に生かすのである。
 バクテリアの働きを利用して尿から作られた液肥は無臭で、家畜に飲ませると腸内の善玉菌がふえ、排泄物の臭いが少なくなる。鶏舎にまくとふんの腐敗を防いで発酵させるので、完熟堆肥が早くできる。植物に散布すれば、根を強くするという。
 この技術を久住町に紹介したのは加藤さん。賛同した荒牧さんは九十二年、全国に先駆けてBMW技術を生かした養鶏場「グリーンファーム久住」を作った。プラントの運用・管理を担当したのが内山さんだった。
 「最初は鶏舎の臭い、つまり畜産公害をなくすため始めたのですが、ふんからいい堆肥がとれるとわかり、農業に生かせればと考えました」と荒牧さん。
 五棟の鶏舎で計三万五千羽の鶏を飼うグリーンファームでは、一日三tものふんが出るので、これを完熟堆肥に変えて販売。くじゅう地球村のトマト栽培に利用するほか、県外からも有機農家の人達が買いに来るという。  
 
  飼料、飲み水、環境に配慮した健康な鶏を育てる「グリーンファーム久住」だ。
(上)ふんの臭いが少ない鶏舎では、鶏のストレスも少なく健康に育つという。

(下)上の下の部分。すざましいふんの量だが、意外に強烈な臭いはない。
 生物活性水を飲ませた鶏の卵は、コクがあり、箸でつまむと白身と黄身が一緒に持ち上がる濃さに驚く。
   
 もうひとつ、くじゅう地球村の有機農業に一役買っている所が、町内の「志賀牧場」だ。
 経営者の志賀義弘さんは三代目。九十四年からBMW技術を導入した牛のふん尿処理を始めた。ここでできた液肥や堆肥は、くじゅう地球村で作る作物の大切な土や栄養分となるほか、自らの牧草地や田畑に使ったり、近隣の農家に出したりと活用されている。臭いをかいでみたが、とてもふん尿からできたと思えないほど、臭いはない。
 
 牛のふんが良質の堆肥になる。
 牛の尿とふんは、分けて回収。
 ふん尿処理の大切さを力説する志賀さん。
    「近くに住宅があるので、肥溜めの汲み取りの臭いが気になっていました。この仕事を始めたときからふん尿処理問題はいずれやって来ると思っていたし、循環型農業ということがずっと頭にあったんです。もやもやと思っていた矢先にBMW技術のことを知り、導入を決めました」と志賀さんはいう。
 「コッホやパスツールが出た二〇世紀は細菌を殺す研究をする時代だったが、二十一世紀は善玉菌をどうやって利用するかを研究する時代」と加藤さん。

 化学肥料でなく、自然のバクテリアを利用してできた液肥や堆肥を使って作るくじゅう地球村のトマトは、消費者にも「昔のトマトみたいに味が濃くておいしい」ととても評判がいい。  
 昨秋からはパンジーやビオラなど花の苗作りも始めた。生物活性水を与えて花を育てると、根のしっかりした苗ができる。
「大切なことは、BMWなどの技術やトマト栽培のノウハウじゃない。その根底にある、自然の循環という考え方です。二十一世紀に人類が生きていく上での基本的な種が、その中にあるような気がするんです」。くじゅう地球村のスタッフたちがトマトや花の栽培を通じてめざすものは、自然循環を根底にすえた二十一世紀のライフスタイルなのである。
  
花の苗は細長い”アイポット”で育てる。このまま鉢に植えてもいい。  気温差の大きい久住はトマト栽培に適している。

■里山と環境
人と自然の共生の歴史を刻む、中世のムラの景観を残す

 昨年十月、初めて訪れた豊後高田市の田染荘には、どこか懐かしさに満ちた里山の風景が広がっていた。緑深い山々に囲まれ、いびつな形で連なる水田、曲がった道、こんもりと茂る林・・・。
 ここは鎌倉〜室町時代、勢力を誇った宇佐神宮の荘園のひとつで、中世の荘園村落跡がそのまま残る所。全国でもほとんど失われた歴史的景観だという。
 その日は収穫祭が行われていた。地元小崎地区の農家らで作る荘園の里推進委員会が募集した”水田オーナー(領主)“が集まり、地元の人達も加わって総勢二百五十人余りのにぎわいである。
 晴れ渡った空の下、鎌で稲を刈る人、昔の足踏み脱穀機に挑戦する人、藁こづみを作る人、餅をつく人・・・。笑い声が響く中、一反二畝の水田はあっという間に刈り入れが終わった。
 田染荘の中心をなす小崎地区は、人口約百五十人(五十二戸)、平均年齢六十五歳以上。この小さな集落が、「開発」でなく、「景観保存」への道を選択するまでには、実は長い道のりがあった。
 「十年位前からここを文化財にという動きはありました。でも先祖からの遺産を後世へという考えは理解しても、農家は高齢化で機械に頼らざるを得ず、圃場整備を望む声は多かった」と言うのは、現在、推進委員会事務局長を務める河野英樹さん。
 昭和三十年代終わりごろから全国で始まった圃場整備は、狭い水田を方形の大規模区画に変え、機械化へ対応を図った事業だ。農村の過疎化が進む中、近代化による後継者の確保には一定の効果はあったものの、昔ながらの里山の風景は急激に失われた。
 田染荘には水の湧く地がある。ここを天引(あまびき)の社として祀り、人々は自然の恵みを神に感謝した。
 美しい山々に囲まれた田染荘での収穫祭。この環境を生かして整備する「田園空間博物館」構想も進んでいる。
 都会の子ども達には稲刈りも楽しい体験だ。  多くの人が脱穀も初体験。
 圃場整備か、先祖伝来の景観か。苦渋の選択の結果、一昨年夏、景観保存を決めた。田染荘の価値に注目し、保存運動を続けた県内外の専門家の力も大きかった。別府大学文学部教授の飯沼賢司さんもそんなひとりだ。
 「田染荘には館跡やお宮、墓地などたくさんのものが残り、背後に人間との関係が残っている。古文書が多く現存している点でも優れた価値があります。  
 田舎の”自然“は、人間が自然と共生していく中でできた風景。だから人の温もりを感じてほっとするんですね。国東半島には中世のムラの遺跡が多くあり、そこには人間の生活の原点がある。我々はそれをメッセージとして二十一世紀に残して行かねばならないと思います」
 水田オーナー募集は、今の水田を守る第一歩。オーナーには年間三万円で田植えと稲刈りを体験してもらい、地元の米や農産物を送る。
 「これで都会に出ている若者が帰る気になってくれれば。誰でも故郷が可愛がられているとうれしいもの。そんな地域づくりをするのが我々の務めと思っています」という推進委員長・河野精一郎さんの言葉に、人々の新たな夢がこめられている。
 
 新米でついた餅は最高。

■干潟と環境
カブトガニが教えてくれる 海の環境S0S
 写真提供:土屋康文
 杵築市守江湾には、全国でも少なくなった大きな干潟が広がっている。ここに棲むカブトガニが近年、激減しているという。
 カブトガニは、昔は瀬戸内海から北部九州に多く生息していたが、今はほとんどの生息地で絶滅。守江湾でも以前は漁師の網をたびたび破る厄介者だったが、「そういえば最近見らんなぁ」という声が上がるほどだ。
 杵築市では、九十二年に杵築市カブトガニ保護対策委員会(後に同推進委員会)を組織し、当時水産係長だった西原繁朝さん(現耕地水産課長)を中心に調査・保護活動を進めてきた。
 カブトガニの卵は砂浜に産みつけられ、ふ化した幼生は干潟に移動して幼生時代を過ごす。西原さん達が、産卵調査や干潟での幼生調査などを地道に進めるうち、県外から専門家の協力などもあり、マスコミでも取り上げられるようになった。
「調査をするうち徐々に数が減りましたね。漁師に頼んで網に掛かったカブトガニの記録を取っていますが、最初の年は三人で二百五十三匹、昨年は四人でわずか十数匹でした」と西原さん。
 
砂地に産み付けられたカブトガニの卵。 つがいのカブトガニ。
5回の脱皮を終えた六齢幼生。 うまれたばかりの一齢幼生。
 九十六年には、市民保護団体「杵築市カブトガニを愛する会」も発足。
 九十七年の台風による八坂川の氾濫後、河川改修の際は、カブトガニの産卵地確保のため、代替地が江頭川と八坂川の河口に造られた。
 江頭川に造られた人口産卵地
 カブトガニ館にはカブトガニの生態に関する資料などが展示されている。
   愛する会の会員で、住吉浜リゾートパーク取締役営業企画部長、住吉浜海岸研究プロジェクトリーダーなどを務める釘宮浩三さんにお話を伺った。 「カブトガニは、環境悪化を見るための”環境指標生物“。干潟や湾全体の自然系の変化を、カブトガニが教えてくれます」
 ”生きた化石“といわれるカブトガニは二億年以上も同じ体の形態を持ち、安定した生活を送ってきたが、そんな生物の生存が脅かされているということは、環境が大きく変化しつつある現れと考えられるのである。
 水産省のレッドデータブックによると、県内にいる四種の絶滅危惧種のうち、守江湾にはカブトガニとアオギスの二種が生息。ハイビスカスハマボウなど希少植物もあるという。生物が豊かに生きてきた海なのだ。
  「愛する会では、カブトガニの産卵観察会や一齢幼生観察会、海の生物勉強会などの催しを行って市民の参加を呼びかけ、環境保護への気運を高めることをめざしてきました。市民でもこの海岸にどんな魚や貝がいるのか知らない人が多い。親子の環境学習などで、わぁこんな生き物がいるんだ、何ていう名前?という驚きや好奇心が生まれる。そうやって環境に対する価値観が芽生えていけばと思います」
 カブトガニというひとつの生物を愛することから始めてみれば、自分たちの海に愛着が湧き、地域の環境へと関心は広がる。親子で気軽に環境を話題にできたら、大きな一歩だ。
 
 カブトガニを愛する会では、毎年産卵時期になると、産卵地の清掃を行っている。
 住吉浜リゾートパーク内のカブトガニ館で海の環境や生物について語る釘宮さん。
「環境」という大きな問題へ、
それぞれの、 小さな第一歩
       

  「私たちが先祖から受け継いだ遺産を、いかに後世に引き継いでいくか、難しいですね。過疎の問題などもありますし」。田染荘の景観保存について、推進委員のひとりは、にぎやかな稲刈りの様子を見ながらそう言った。
 「どうすればいいかがわかっていれば、わざわざ人を集めてキャンプなんかしません。いろんな人に 会って知恵を借りたいんです」と言ったのは、中津江村でフォレスト・キャンプを主催するメンバーのひとり。「自分たちが歩いて来た所が道になるのは楽しい。手応えはまだないですけど」という他のメンバーの声もあった。
 八坂川の改修工事で新しく作ったカブトガニ産卵場では、今のところまだ産卵の報告はない。「可能性が残るということで代替地を作ったんですが、果たして成果があるかどうか、まだわからないですね」と、関係者も心配げだ。  環境という大きなものに向かって歩き始めてはみたが、まだみんな手探りの中を進んでいるというのが、取材で感じた印象だった。それでも、”第一歩“を踏み出すことで、地域を巻き込み、人々の意識を高めることができたことは、大きな成果だ。
 「大切なことは技術じゃなく、自然循環という”考え方“。その中に、二十一世紀に人間が生きていくための種みたいなものがあると思うんです」。この、くじゅう地球村のメンバーの言葉が、これからの環境運動の核になるような気がした。
 すべてが緩やかに環っていた自然界の営みを、もう一度取り戻したい。わずかに残っているものを守りたい。人々のそんな”思い“こそが、地域の環境を救うカギに違いない。


 

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