2001・4 Vol.40
●特集
シニア&シルバー世代が輝く21世紀
 取材・文・井上裕子 撮影・竹内康訓
 21世紀、「中高年の時代」は確実にやって来る。2010年には県内で4人に1人が65歳以上になるという統計も出ている。しかし、「中高年」というのは、あくまで年齢の話。気力では若者を凌ぐ人たちも多く、最近の中高年たちは、海外旅行にはバンバン行くし、山にも登るし、仕事に勉強にボランティアにと、まだまだエネルギーがいっぱい。無気力な若者達が増える中、21世紀は元気な「中高年パワー」に席巻されそうな予感すら する昨今である。  
 そんな中にあって、新しい時代を前向きに生きる中高年、「新・シニア&シルバー世代」の人々の姿にスポットを当ててみた。

パソコンは、
21世紀を生きる
中高年のための
新時代コミュニケーション・ツール。
教え、教わる。
シニアのパソコン教室から、
仲間の輪が広がる。

これでいいのかしら」「あら、できましたね」「どれどれ」・・・お隣同士で会話の生まれる授業は楽しい。
 「パソコン」という時流に乗れるか、乗り遅れるか。これはシニア世代にとって、大きなハードルである。若者たちが楽しそうにやっているインターネットに、トライはしてみたいけど、機械オンチだし、若い女性に習うのは気恥ずかしいし・・・と足踏みしている中高年が多い中、「シニアネット大分豊の国」(SNOT)の活動はユニークだ。
 一昨年八月、元公務員や自営業のパソコン仲間四人から始まった同会は、インターネットやパソコンを通じて、シニアの生きがいづくりや仲間づくりを支援しようというボランタリー団体。会員はインターネットに興味のある五十歳以上の男女が原則だが、それ以下の人でもサポーターとして参加できる。初心者には会員がボランティアで指導し、パソコン以外のさまざまなサークル活動も行っている。現在、会員は約二百六十人という。
 
モニターとにらめっこするみんなの顔は真剣だ。
 この「シニアネット大分豊の国」の支部第一号として、昨年十一月、挾間支部がスタート。今年一月に、挾間町、別府大学と三者共催で「シニアのためのパソコン教室」を開講した。町民を対象に三十名の参加者を募ったところ、倍の六十名もの応募があり、急きょ一日二講座に増やしたという、大人気の講座である。
 パソコンの電源の入れ方から始まって、文字の入力、インターネットや電子メールの利用までを学ぶこの講座は、無料で週二回、四週間にわたって開催。講座最終日の三月一日、別府大学短期大学部大分キャンパスにある会場を訪れ、教室の様子を拝見した。たまたまその前日、「シニアネット大分豊の国」は、NPO法(特定非営利活動促進法)に基づくNPO法人として認証を受けたところだった。
 最終回のこの日は、インターネットに接続して温泉情報を見るのが課題。講師は、同会挾間支部副支部長の小森満治さんだ。小森さんは二年前に東京から大分へ移り住んだが、東京時代からパソコンを習っていたというベテラン。別府大学商経学科一年の女子学生八名がアルバイトで補佐役をつとめ、受講生三〜四人に一人の割合で傍に付いてサポートをする。五十〜七十代の受講生たちは、一人一台設置されたパソコンの前に座り、真剣な顔つきでキーボードに向かっている。
 
左からシニアネット挾間支部副支部長の小森さん、支部長の丹生さん、会計の川野さん。
「ちょっとこれ、画面どうやって動かすの?」
「あんた、地図が出た?」
「あれっ、消えちゃったぁ」
 隣の人の画面をのぞき込んだり、近くの学生を呼びつけ(?)たり、独り言をつぶやいたりしながら、それでも何とか「伊豆温泉」や「別府温泉」の宿情報にたどり着いていく。最後に修了証書を手にしたみんなの顔は実に晴れやかだった。
 受講者六十名中、最高齢の小野久仁子さん(75)は、一人暮らしをしながら、町内の生活改善グループのリーダーをつとめる活動的な女性。「私はまったく機械オンチなんですが、時代の流れは無視できないと思って申し込みました。習い始めてからパソコンも買い、ローマ字の打ち方からおけいこしたんですが、時間はかかるけど楽しかったです。孫みたいな学生さんが可愛くてね」とにっこり。
(上)お孫さんとのメール交換を楽しみにする谷川さん。
(下)とても70代には見えない小野さん。何にでも前向きな姿勢が若さの秘訣?

 谷川浅喜さん(73)は、「名古屋の大学に通う孫とメールをしたくて受講しました。先生の説明がわかりやすかったのと、何よりみんなが同じようなレベルだったのがとてもよかったです。隣の人と教え合ったりして、なんとかできるようになりました。さっそく帰って孫にメールを送ります」。町会議員をつとめる大津留博子さん(53)は、「インターネットはこれから絶対必要なものだと思い、受講しました。初めてローマ字で打てたときはうれしかったです」
 教わるのも教えるのもシニア、というのが、この教室の大きな特徴。講師の小森さんは、「年輩の方はまず横文字がわからないという人も多いので、それをいかにわかりやすく教えるかがポイントです。例えば『エンターキー』と言わずに、『上から○番目』と言う方がわかるわけ。若い人はそういうことには気づかないですよね。シニアの方は、文字が大きくなったり色が付いたりしただけで手を叩いて喜びます。みんな素直ですね」と言う。
受講生のほぼ全員が修了証書を手にした。
 この日教室で世話役をつとめていた川野茜さんは、この会でインターネットを覚えた一人だ。「ボランティアで教わったから、ボランティアでお返しをしたい。男性は職場でパソコンに触れる機会がありますが、家庭の主婦はなかなかチャンスがありません。でも覚えたいという気持ちはみんなすごくあると思うんです」  
 同じ年代が集まるだけに、ただインターネットを習うだけでなく、これをきっかけに一緒に遊んだり勉強をしたいと、同好会もできた。ハイキングやゴルフ、パソコンでのお絵かきクラブなどは特に人気が高いという。インターネットをきっかけに仲間の輪が広がり、孫や友達との交流が深まる楽しさに、みんな夢中だ。  
 「今後は、地元の小学校で子どもたちにパソコンを教えるアシスタントをするのが夢。今は町内でもお互い顔を知らないおじいちゃんと子どもが多いですが、そうやって交流が持てたら楽しいと思うんです。全国でも一番にやりたいですね」と目を輝かせる小森さん。目下、挾間町に働きかけをしているところだ。パソコンというハイテクな「機械」が、人と人の「心」の交流を生み、世代間のギャップを埋める媒体となる。シニアネットの活動の原点は、ここにある。
 

長年の教育経験と
切り絵の技術を生かして、
子どもやお年寄りと
心豊かに触れあう。

「チャク、チャク、チャク・・・・ほ〜ら、耳をすましてハサミの音をよ〜く聞いてごらん。さぁ、何ができたかな」
「カマキリだぁ」
「クワガタ!すっげぇー」  
 幼稚園児たちの目はきらきらと輝き、廣末さんの手元に釘付けだ。一枚の折紙から、次は何の虫が生まれるんだろう。どんな形になるんだろう。席を立ち上がってハサミの行く先を見つめる男の子、女の子。
「さぁ、この黄色いのは何かな」
「チョウチョ!」
「お花畑で見たよー」
「わぁかわいい。バッジみたい」
自分で作った作品や廣末さんからもらった切り絵を手に、「はい、ポーズ!」
 教室の中はどんどん熱気に包まれていく。「アカデミアの会」大野郡支部事務局長をつとめる廣末忠義さん(66)が、佐賀関町にある学校法人立山学園・佐賀関幼稚園で、三〜五歳児三クラスに得意の切り絵を披露したときのことだ。  
 廣末さんが二つ折りにした紙をザクザクと目見当で切り、パッと広げると、そこに現れるのは、想像もしなかった虫たちの姿だ。飛び跳ねながら、赤や黄色のセミやトンボに大喜びする子どもたち。次から次へあっという間に切って見せる廣末さん。廣末さんがその場で切った虫たちは、子どもたちに引っ張りだこだ。
 「今度はみなさんが作ってみましょう」と廣末さんが言うと、子どもたちは思い思いにハサミを持ち、「ロケットができたぁ」「先生、見て見て!」と大はしゃぎ。あらかじめ廣末さんが用意したチューリップの切り絵に色紙を貼る作業も、みんな大喜びで、午前の時間はあっという間に過ぎていった。
 廣末さんが所属する「アカデミアの会」は、県が主催する生涯学習教室「ニューライフアカデミア高年大学校」や同「婦人大学校」へ入校あるいは卒業した人たちで作る会。生涯にわたって楽しく学び続けながら地域に貢献し、「高齢者の知識とやる気を生かしたいきいき人生」をめざそうという組織である。昭和六十二年に設立され、現在県内十二支部・百十三部会、計四千三百八十人の会員がそれぞれの地域で、福祉施設訪問、地区清掃、歴史学習会などさまざまな活動を続けている。
(上)「これ何かな?」「チョウチョ でしょ。うふっ、かわいいっ」
(下)「わぁ、これもらっていい のぉ。やったー」
 千歳村に住む廣末さんは、二十二歳から六十歳まで三十八年間、小・中学校の教員を勤めた後、県の三重福祉事務所に嘱託として四年間勤務。その間、高年大学校に通い、退職後は、福祉事務所時代に独学で覚えた折紙や切り絵の技術を生かして、ボランティア活動を続けている。 
「在職中、給料分の仕事ができなかったから、今はその恩返しですよ」と笑う廣末さんは、主に幼稚園や小学校、老人会、福祉施設などを訪問して、子どもやお年寄りに教えている。
「ただ切り絵の”ワザ“を教えて歩くんじゃなく、切り絵を通して”出会い“があり、いろんな人と触れ合えることが楽しいんです。例えばこの子たちは六年たてば中学生、十年たったら高校生、二十一世紀の中核となっていく人間だと思うと、今日の出会いがすごい力になる。子どもたちから生命力をもらったような気がします」
「せんせー、できたよー」と次々作品を見せに来る子どもたちに、「おや、きれいにできたねー」と廣末さんはひとりひとりほめてあげる。
 教員時代は社会科と陸上部の指導一辺倒だったという廣末さん、当時を知る人は、「お前がこんなことをするんか!?」と皆一様に驚くという。仕事を離れた今は、時間のゆとりもでき、テニス、木彫、囲碁などの趣味や農業に時間を費やすかたわら、子どもやお年寄りとの触れあいの時間を楽しんでいる。
初めて訪れた立山学園・佐賀関幼稚園では、立山俔子園長以下、先生たちにも大好評だった。「うちの園児たちは虫や花が大好きで、教室に置いてある図鑑がいつも引っ張りだこなんです。今日はみんなほんとに楽しかったようですね」と立山園長。  
 切り絵を通して、教育と触れあいの接点を見つけた廣末さんは、目下、第二の「先生時代」を心豊かに楽しんでいるようだ。
さぁ、何ができるかな」と目の前で切って見せる廣末さんに、興味しんしんで見入る子どもたち。好きなことにはみんなすぐ夢中になる。 廣末さんの作品の下書き。本格的な切り絵には綿密な準備が必要だ。
 

「好きな仕事」と
「よき仲間」は、人生最高の喜び。
誇りと生きがいを持って働き、
愉快に遊ぶ充実のシルバー人生。

黙々と松の木の手入れを続ける弓削さん。手先の器用さはピカイチで、建物のミニチュア作りの腕前もプロ級。
 ”ボランティア“でなく、”仕事“として、自らの生活の「核」となるものを見つけた人たちもいる。  佐伯地域シルバー人材センターに登録して働く、佐伯市在住の弓削良継さん(72)は、同センター「剪定班」のリーダー的存在。市内の造船会社を退職後、造園訓練校で学び、市内の造園会社に勤務した経歴を持つ弓削さんは、六十歳で退職後、同センターに会員として登録。造園の専門技術を生かして、庭木などの剪定の依頼があると出かけて行く。グループ数人で仕事をする場合は、弓削さんが”隊長“役だ。    
 三月半ば、佐伯市内の邸宅で剪定作業中の弓削さんを訪ねた。この日は弓削さんのほか、同じくシルバー人材センターに登録して働く松下恒雄さん(71)、上野熊夫さん(69)、藤原学さん(68)が共同で、松の古い葉を取り除く”もみあげ“と呼ばれる作業を続けていた。四人はいつもよく一緒に仕事をする仲間だ。見事な和風庭園を持つそのお宅では、毎年二回、弓削さんたちに指名で庭木の剪定を依頼するという。庭園のシンボルともいえる端正な松は、ひとつひとつ手で古い葉を取り除き、形を整えていく。専門的な知識と技術が必要とされる仕事だ。四人はそれぞれに黙々と作業を続けている。
 
左から弓削さん、松下さん、藤原さん、上野さん。
 三時のお茶の時間、みんなはひととき手を休め、くつろいだ表情を見せた。陽気で快活な松下さんは、市内の造船会社に勤めた後、若いころから好きだった剪定の仕事を始めたという人。「今は趣味を兼ねてこの仕事をやってるが、自分には最適な仕事だと思う。若いころから今みたいな意気込みがあったら、よかったんじゃがなぁ」と笑う。  
 市内の会社で営業マンをしていた上野さんは、退職後、造園訓練校で剪定の技術を身につけた。農林省の外郭団体に勤務していた藤原さんも、やはり退職後に訓練校で剪定を学び、この仕事を始めた。もともと魚釣りの”ポン友“だったという二人は、「趣味と実益を兼ねた仕事だから楽しい」と口を揃える。
本の松を4人がかりで何時間もかけて剪定する。みんなの呼吸が合ってこそ、いい仕事ができる。
 「まずは”好き“ということと、仲間と”気が合う“ということが一番。歳をとっても、健康で楽しく仕事ができるのは最高やな」と松下さん。四人はお互い家も近くなので、仕事が終わったら近所の居酒屋で「ちょっと一杯」、仕事のない日は魚釣り、というのがお決まり。「釣りはみんな、好きを通り越して”プロ級“ですよ」と上野さんが言う。お互い信頼できるよき仕事仲間であり、最高の遊び仲間、飲み仲間でもある。   
 それぞれに長い会社勤めを経て、今はゆったりと月の約半分を好きな仕事に費やし、残りの半分は気の合う友人たちと趣味に興じる日々。”悠々自適“に見える暮らしだが、それも各々が訓練校などで努力して身につけた「技術」あってこそだ。「仕事の点検と反省(!)を兼ねて、飲んでばっかりじゃわ」と笑う四人の顔に、自らの仕事への気概と誇りが感じられるのが素晴らしいと思った。
本の松を4人がかりで何時間もかけて剪定する。みんなの呼吸が合ってこそ、いい仕事ができる。
 佐伯地域シルバー人材センターは、平成元年に設立され、佐伯市および南郡(蒲江、鶴見、米水津を除く)に住む六十歳以上の健康で働く意欲のある男女四百四十六人(平成十三年二月末現在)が登録している。平均年齢は六十七・九歳。職種は、弓削さんたちのような剪定のほか、除草、筆耕(のしや年賀状の宛名書きなど)、大工、左官、塗装、ふすまや障子貼り、宿直、家事など多彩だが、同センター理事長の高野覚さん、事務局長の狩生永寿さんによると、「シルバーの方たちは、とにかく前向き。年数回開いている、造園や警備、介護、書道、高齢者向けの料理などの講習会が好評で、参加者はとても熱心です。シルバーの仕事はていねいで喜ばれることが多く、指名を受けることも多いですね」とのこと。しかし現状では、人材より仕事の方が不足しているという。  県内にはシルバー人材センターが九地域(二十三市町村)にあって、佐伯地域と同様、高齢者の人材を社会に生かすために大きな役割を果たしている。技術を持って生き生き働くシルバーたちがいて、適材適所、シルバーの能力と時間を有効に生かす職場があること。これが高齢化社会のエネルギーを生んでいく。
 

なばなの「ななちゃん」は、
シルバー農家の救世主。
手軽で力の要らない農業を、
夫婦仲良くケンカしながら、
地道に継続。
 
 深刻な高齢化が進む農家では、まだまだ元気に働けるシルバー世代が農業の重要な担い手である。若いころと違って重労働はできないが、経験を生かした地道な軽作業なら得意分野。そんなシルバーたちにターゲットを絞った作物として「なばな」(食用の菜の花)を導入し、成果を上げているのがJAくにさき西部の生産者たちだ。  
 県内でもとりわけ西国東地域は高齢化率が高く、大田村は県内第一位の四十三・三%、真玉町、香々地町でも三十%を超えており、農業者は減少の一途をたどっている。そんな背景をふまえて、西国東地域では、昭和六十三年、豊後高田市で高齢者と女性だけの生産振興品目として「なばな」を導入。平成二年、地域内の四農協が合併してJAくにさき西部ができ、高齢者を中心に米の転作作目として生産を進めてきた。なばなは施設・設備も要らず、収穫や運搬などの作業も軽量で比較的楽なことから、次第に生産者も増え、栽培面積、販売額ともに増大した。
なばなは次々新しい芽が出てくるので、少しずつ摘んでいくのが日課だ。
 平成十年度には一般公募により「ななちゃん」という愛称もつけられ、平成十一年度には販売額が一億円を突破。平成十二年六月には、なばな部会も結成され、平成十二年度「農山漁村高齢者対策優良活動地域表彰」の生産活動部門で奨励賞受賞と、とんとん拍子で進んできた。現在、部会員二百四十二名中、六十五歳以上が百六十七名と六十九%を占める。  
 三月初め、なばな部会の部会長をつとめる渡辺義彦さんの畑を訪ねた。なばなが最高値となる節句を過ぎ、出荷も一段落したところだが、畑では奥さんの孝子さんが収穫の真っ最中だった。
 「最初に真ん中に芯が立つから、それを摘むと次に子どもができる。枝を二つ残してまた摘むと、孫ができる。なばなはそうやって曾孫まで収穫できるんよ。きちんと外葉を取り除いてやると、日が当たってよく伸びる。こうやってちょっとずつ毎日作業をするのは、年寄りが得意だからね。こまめにやることが、所得につながるんですよ」と話しながらも、孝子さんは手を休めない。十二〜四月くらいまで、朝摘んで夜に出荷準備を整え、翌朝JAに出すのが日課だ。
お互い言いたいことを言い合いながら、元気に畑に立つ渡辺さん夫妻。
 「以前は割烹などが主な消費者でしたが、なばなはほうれん草よりはるかに栄養価も高いことから、一般家庭にも普及して、最近は消費者の大半が一般の人たちですね。うちでは米も作っていますが、ここ数年、米は生産調整が厳しく、価格も下がってあまり魅力がありません。なばなは休耕田の有効利用で、結構所得も上がります。高齢者で腰が悪い人は、一輪車を使って収穫することもできるし、発泡スチロール一箱で約四kgですから、持てる程度に積む量を調整すればいい。自分たちの体に合わせて作業ができるので、高齢者でも作れる作物だと思いますよ」とご主人。  
 周囲を山々に囲まれ、ときおり真木大堂の鐘の音が響くのどかな畑で、夫婦力を合わせて働く渡辺さん夫妻は、今年で結婚四十二年。ケンカもするけど夫唱婦随、息のあった名コンビである。
手間暇かけて箱詰めされ、出荷を待つばかりのなばな。花が開くと商品価値がなくなってしまうので、摘んだらすぐ出荷する。
 七十八歳の安元公徳さんは、なばな部会の最高齢。会社を退職後、米作りを始め、米の生産調整でなばな栽培を手がけるようになったという。作業場で奥さんの菜津子さんと二人並んで腰掛け、朝摘んだなばなをせっせと型枠に詰めて、決められた形に整えているところに伺った。  
 一本一本長さも太さも違うなばなは、六cm角の型枠にきっちりと入るように束ね、長さを切り揃えて出荷する。渡辺部会長の指導で、つぼみが同じ色、同じ大きさのものを束ね、きちんと同サイズに揃えて出荷するきまりだ。「消費者は目で買うから、見た目に価値のある商品を」というのが信条なのだ。
 「手先の仕事で重労働がないから、私たちにも十分できる。金を出して買ってくれる人がいるんやから、こっちも真剣に作らんとな」とご主人。「小遣い稼ぎみたいなもんかしらねぇ。一日二人で仕事してるとケンカばっかりするから、ラジオかけてやるんよ」と奥さんが笑う。
(上)食卓に春を告げてくれるなばな。最近は一般家庭の食卓にのぼることも多くなってきた。
(下)摘み取らずに伸びたなばなは、美しい花で目を楽しませてくれる。
 昼ごろJAくにさき西部を訪れると、今日集荷したなばなの箱がずらりと並んでいた。百八十gのものが二十束入った発泡スチロールの箱には、わずかな温度ですぐに花が咲いてしまうなばなの鮮度を保つため、ひとつひとつ蓄冷材が入っている。丹念に手間暇かけて商品化され、広島を中心に、北九州、博多、久留米、大阪など、主に県外へと出荷されていくなばなは、高齢化時代の農業への新しい足がかりと言えるだろう。  
 シルバー世代、あるいはその予備軍であるシニア世代と呼ばれる人たちが、趣味や特技や時間を生かして、仕事に、ボランティアにと、いきいき活動する姿は、二十一世紀、私たちが進むべき道を明るく示しているように見えた。  
 社会の中で自らの居場所を見つけたシニア&シルバーたちは、長い経験を経てきた分、ゆとりに満ちて輝いている。人間、健康である限り、人生の定年なんかないんだぞと、大先輩たちは静かに主張していた。
毎日並んで一緒に仕事をする安元さん夫妻。1束ずつ重さを量り、丹念に束ねる。気持ちをこめて作った商品は仕上がりも美しい。



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