NEOOITA
2001・8 Vol.41
●特集
おおいた元気企業世界へ、チャレンジ
 取材・文・井上裕子 撮影・竹内康訓
長きにわたる景気低迷の中、情報化や国際化の新しい大きな波が日本の企業や地域に押し寄せている。そんなうねりを乗り越える、これまでの常識を大胆に切り換える発想で、地方都市から一大ブームを巻き起こして快進撃を続けるユニクロのような企業もある。
企業の「元気」を担うものは、何だろう。大分の中でそんなキーワードを探しながら、地方から世界を見据えて、魅力ある発信を続ける大分の「元気」企業を取り上げてみたい。



染色した網は遠心分離器にかけて脱水。この網はバルト海に浮かぶデンマークのボルホル島へ輸出される。海外向けであることは、タグに記された数字の前の「E」(=export)で判別できる。
 
 
株式会社 長浦製網所(宇佐市)
今や世界のブランドの”NAGAURA NET”バルト海でニセモノまで出現!?

柳ヶ浦工場では刺網の撚糸、編網、目ひらいまでを行う。最も技術を要するのが、機械の微妙な調整。「雨が降ろうが、何が起ころうが、目加減を変えないのが我々の腕」という。

 九州を代表する漁網製造メーカーとして知られる、宇佐市の長浦製網所。その製品は、ヨーロッパを中心に海外でも”NAGAURA NET“としてトップブランドの地位を得ている。創業は1781年(天明元年)。現社長の長浦善英さんは、「たぶん7代目」という。
 同社の海外進出ストーリーは、今から20年以上も前、右も左もわからないアラスカへ、長浦さんが単身で乗り込むことになったいきさつから始まる。それは1枚の「タグ」が取り持つ縁だった。
 長浦さんの弟がアラスカを訪問した際、手みやげに持参した同社の網が現地漁師の手に渡り、たまたまその網のタグを拾った人が日本へ問い合わせをしてきた。当時、専務だった長浦さんは、さっそく要望された網のサンプルを持ってアラスカへ渡る。これが、海外との取引の小さな始まりである。
 そのころ、沖縄の電燈モグリ漁の漁師から、「夜間、網に付いたプランクトンが光って、網から50cm位の所に魚がいるが掛からない。どうにかならないか」という相談を受け、原糸メーカーの協力を得て研究を開始。5年の試行錯誤を経て、プランクトンが付着しにくく、透明で柔軟性の高い画期的な漁網「モノスト0.5」の開発に成功した。
網の色は各地域の伝統色が基本。オレンジや ブルーはデンマークのタラ網用。
 そこでこの新商品を海外へも売り込もうと、本格的な海外営業作戦が始まる。東京の知人に相談を持ちかけ、まず漁業専門誌「World Fishing」に新しい漁網の代理店募集広告を定期的に掲載。これが功を奏し、多いときは月に15通もヨーロッパから手紙が舞い込んだ。さらに長浦さんは、自ら世界各国を回り、各地の漁網ショーにも足を運んだ。「私は英語はまったくわからんので、つてをたどって各国に通訳を頼める”駆け込み寺“を作り、イエローページ(職業別電話帳)を頼りに営業に回ったんですよ」。意欲あれば、コワイものなしだ。
 世界で最も古い歴史を持つイギリスの漁網会社ブリボード・ガンズリー社に売り込んだときは、「値段が高い」と即座に断られた。そこで同国の漁師スティーヴに試験操業を依頼したところ、彼はドーバー海峡でモノスト0.5シリーズを使い、従来の漁網の数十倍もの魚を獲ってニュースになった。スティーヴは現在もイギリスで同社の販売会社を営み、今ではガンズリー社も彼から買っているという。
 こうやって長浦さんが体当たりでヨーロッパの市場を開拓した甲斐あって、現在、取引先はデンマークを筆頭に、スウェーデン、イギリスなど十数カ国。同社の売り上げの約30%が海外、しかも現地バイヤーとの直接取引である。1984年に本格的に輸出を開始して以来、海外でも着実にその製品が認められ、今やバルト海では”NAGAURA NET“ブランドはニセモノまで出るほどの人気だという。
 漁網というのは、地域や獲る魚の種類、また漁業者の好みによって、目合い(目の大きさ)、目数、糸の太さ、色などが異なり、ほとんどがオーダーメイド。原糸を仕入れ、撚糸、編網、目ひらい、網さばき、補修、染色、樹脂加工、乾燥、仕上げと、長い工程を経てできあがるが、そのすべてを自社で行い、刺網、流し網、定置網といった漁網のほか、建設現場で使用される陸上用安全ネットも生産している。
 「うちは多品種少量生産に対応できることと、特殊な製品が得意なことが強み」と長浦さん。専門家の協力を得て新しい機械の開発を行うなど、常に向上心を忘れない。
 「地方の企業でも、展示会に積極的に参加し、メディアに広告を出し、いろんな人と知り合いになることで、輸出のきっかけは必ずできる」と長浦さんは言う。「採算面では今はギリギリというところ。でも私たちは日本にしかない素材を使い、最高の機械で、日本人の感性を生かして網を作っています。世界の中でも追いつけるところはないですよ」。経験に裏打ちされた言葉には、自信と余裕が感じられた。
多くの海外武勇伝(!?)を持つ長浦善英社長。

どの網も仕上げまでの工程は長く、機械だけでなく多くの人手を要する。

バルト海でNAGAURA NETを使って操業中の、デンマークの刺網漁船。

株式会社 長浦製網所
●代表者/長浦善英●設立/1781年●資本金/1980万円
●従業員/72名
●事業内容/漁網(刺網・三枚網・流網・定置網・底引網・養殖生殖網・海苔網・モズク網)、陸上ネット(土木・建築用安全ネット・スポーツネット・農業用ネット・生活資材ネット)、ロープ(各種合繊ロープ・鉛入りクロスロープ) 直接輸出先=世界13ヶ国
●本社/宇佐市長洲3980●電話/0978-38-1121
 
 
 
 
タカキ製作所株式会社(大分市)
リヤカーからIC関連へ、大変身。技術へのこだわりが成長を生む。

顧客のニーズに合わせて、設計スタッフが 3次元CADを使って機械の設計を行う。

 リヤカー製造から、時代の最先端を行くIC関連へ。大分市のタカキ製作所は、まさに絶妙なタイミングで時代の波に乗り、名実ともに一大変身を遂げた会社だ。
 1952年、「タカキリヤカー製作所」として創業した同社は、その名のとおり、リヤカーから始まって、耕耘機や運搬用の一輪車などを作る、いわば「町工場」だった。変身の転機は、東芝大分工場が操業を開始した70年。同工場のクリーンルーム(無菌室)で使うステンレス製の机や棚などを納入したことが、きっかけとなった。
 「たまたまうちの会社が、溶接技術を持っていたのが生かされたんですね。つなぎ目のまったくわからない溶接、と高い評価を受けて、仕事をいただくようになりました」と同社常務取締役、渡邉喜一さんは言う。
 こうしてわが国第一線の半導体メーカーとのつながりの中で、新たな歩みが始まった。工場で使用する運搬台車製作や半導体の組立、検査作業などを手掛け、クリーンルーム内の機械の改造などの依頼も受けるようになる。

高い板金技術は、創業以来の“売り物”。 あらゆる加工ものを手掛ける。
 タカキ製作所には板金技術があったが、当時のリヤカーは鉄製だったため、専門は鉄。ステンレスの加工は経験がなかった。そこで東芝の技術指導も受けながら何度も試作を重ね、技術力を高めていく。
 こうして実績を積み上げた結果、現在では半導体製造の最終工程で使う多機能テーピングマシンなどの装置を、設計から製造まで、一貫して手掛けるようになり、取引先も東芝をはじめ半導体メーカー各社に広がった。「わが社は東芝の技術移転を受けたお陰で、ここまで成長できた」というのが、東芝大分工場の発展とともに歩んできた2代目社長高木彰二郎さんの思いだ。
 「テーピングマシン」というのは、チリやホコリが大敵である半導体に、保護のためのテープを貼り付けて密封するマシン。機械に装備されたモニターで画像チェックされるため、従来の出荷直前の目視検査が不要になるなど、人員コスト・作業スペースの削減を可能にした、高性能のマシンである。
 最新鋭機は、従来10人以上の人手を要した15工程をひとつの機械の中に組み込んだ「一体機」と呼ばれるマシン。東芝との共同開発によって完成したこの機械は、まさにこれまでの技術力の結晶である。
 「わが社では、小さいながらも装置の設計から組み立てまですべてを自社でやっていることに加えて、実際に製造した装置を使って、半導体の検査・梱包までを行っているのが、他社と違うところなんです」と渡邉常務は胸を張る。
 同社では、その製品の高いクオリティが評価されて、今ではマレーシア、台湾、シンガポールなど、海外にある日本企業の子会社にも装置を納入しているという。
 「創業時からのリヤカーは、今も作ってますよ」
 目の前に現れたリヤカーは、軽くて洒落たアルミ製で、しかも便利な折りたたみ式になっていた。学校の運動部で道具を運んだり、子ども会でおみこしを載せたりするのに使われ、今も需要が結構あるという。「今ではリヤカーを作れる技術者が二人だけになり、これも貴重な技術です」と渡邉さん。  
 リヤカーからICへ。業種は変わっても、タカキ製作所の技術力への意気込みは、変わらない。
機械化の進んだ工場内でも、人間の「手」や 「目」が力を発揮するパートは多い。

一体機を操作する若手スタッフ。若い社員が多いのも同社の大きな特長だ。

タカキ製作所株式会社
●代表者/高木彰二郎
●設立/1952年
●資本金/2000万円
●従業員/250名
●事業内容/精密製造装置の設計 ・製作・販売ほか
●本社/大分市下郡3113番地の7
●電話/097-569-3115