NEOOITA

2002・2 Vol.43

●特集
大分で暮らす外国人たちの応援歌
 取材・文・井上裕子 撮影・竹内康訓

 かつて大友宗麟の時代、当時の大分は南蛮船が別府湾を出入りして、まさに「グローバルな」地域文化が花開いたところだった。
 このような土壌を持つ大分県にあって、近年は立命館アジア太平洋大学の開学やW杯サッカー大会の開催など、外国との交流の機運も高まり、外国人が県内各地で活躍する姿を目にすることが多くなった。県内在住外国人の数も、ここ10
年で4,000人足らずから六千人余りにまで増えている。
 それぞれ大分に住み始めた理由はさまざまだが、大分に何らかの魅力を見出した彼らの多くは、この地でいきいきと暮らし、地域の人びとと交流を深めている。そんな中から3人にスポットを当てて、彼らの姿を追い、その声を聞いてみた。


 
 
マーサ・ジョハンソンさん

「足がむずかしいわぁ」「うーん、上手、上手」。陽気なチカさんは、マーサさんとお喋りが弾む。
 「みなさん、今日は馬を作ります。まず、土をあんころ餅みたいに丸めますよ」
 マーサ・ジョハンソンさんの明るい声が、広い部屋に響く。粘土を前にしたお年寄りたちが、彼女の顔をじっと見入っている。
 弥生町の近藤医院デイケア「こすもす」での陶芸教室。70代から90代まで、心身に何らかの障害を抱えるお年寄り13人が、近郊から集まっている。カナダ人のマーサさんは、大分市の郊外に工房を持つ陶芸家で、毎月1回、こすもす苑で指導にあたっている。
 「はい、足はカンタンよ。こうやってヘビを作って切りましょう。さ、できあがり」。彼女が手際よく粘土を丸め、細長い足をつけてテーブルに置くと、「ほんとじゃ、馬じゃなぁ」「ちゃんと立っちょるわ」と口々に感嘆の声がもれる。

 お手本を見たあとは、各自が作品を作る番だ。ちょっと丸めては周りをきょろきょろ見ている人。手がうまく動かない人。戸惑ったような表情で目の前の粘土をぼんやり眺めている人もいる。
 「こすもす」のスタッフたちが横で手助けをし、マーサさんは各テーブルを回りながらみんなに声を掛けていく。
 「あーそれ、いいポーズね」
 「足を少し直してあげましょ」
 彼女がちょっと声を掛け、作品に手を加えると、みんなの顔がぱっと明るくなり、目が輝く。それはもう不思議なほどの変化だ。
 「私はお年寄りと子どもが大好き。みんなすごく純粋だから」とマーサさんは言う。彼女があまり楽しそうに教えるので、みんなにもそんな気持ちが伝わっていくようだ。

3つのグループに分かれて作品づくり。マーサさんがテーブルを回って手伝う。
片手でぼちぼち丸めては眺める。
「なんか変じゃなぁ」

(左)「これ、馬に見えるかねぇ」
(右)「ほほっ、立った立った」

 「私、前世は日本人よ」と彼女は真顔で言う。子どものころから日本に興味があり、日本の焼物をはじめ日本的なものにとても惹かれた。ラテン語やドイツ語は上達しなかったが、日本語は割と楽に習得できたとも言う。
 趣味で習っていた陶芸を本格的に学びたいと、日本にやって来たのが11年前。大分に住んで9年になる。「大分の田舎が好き」と言う彼女は、大分市中判田の山あいに古家を改装して住み、窯を開く。カナダの国旗の楓にちなんで、「青楓窯」と友人が名付けてくれた。「青楓は若い楓よ」とマーサさん。
 山と畑に囲まれた家は、陶芸にも愛犬2匹が遊び回るにもうってつけの豊かな自然に恵まれた所だ。ここでじっくりと自らの作品を作り、大分や福岡のギャラリーで定期的に個展を開く。そのかたわら自宅や公民館、老人施設などで陶芸を教え、今後は小学生に英語で陶芸を教える教室もやってみたいと言う。「自分で作るのも教えるのも、好き」というマーサさんがなかでも楽しみにしているのは、「こすもす」など老人施設での陶芸教室だ。
 
薪窯をバックに、愛犬・滝ちゃん、花ちゃんと。

夜遅くまで作品づくりに没頭することもしばしばだ。
 ある教室では、半身不随の体で何にも興味を示さなかった男性が、マーサさんが何度か通ううち、左手だけで粘土をこね始めるようになった。今では必ず教室に顔を出し、不自由な体で熱心に作品を作っているという。「私の仕事の中で1番のサクセス・ストーリーね」と彼女は嬉しそうに笑った。
 大分では陶芸を通じて大勢の友人もできた。ひとり異国の地で暮らすマーサさんを、何かと助けてくれるのはそんな友人たちだ。2年前には知人の陶芸家やその仲間とカナダへ渡り、カナダの大学で陶芸のワークショップを開くという試みもした。将来はカナダと日本で陶芸の交流ができるような、国際的な陶芸工房を開くのが、目下の大きな夢だ。大好きな大分の「田舎」でたくさんの仲間を得て、夢は世界へと広がっていく。
爽やかなブルーと白が基調の作品。最近は御影土などを使った渋い色調の作品も多く手掛ける。
 
 
 
 
 
小野ジラポーンさん

   
   
授業の休憩時間は仲間の先生たちとお喋りが弾む。タイ旅行で気に入った歌のCDを買って帰ったスペイ ン語の先生ランディーさんに、タイ語の歌詞を教えるジラポーンさん。後ろで見ているのはベトナム語の先生レーさん。

タイの大学で教育学科に学んだというだけあって、教師ぶりも堂々としたもの。
 小野ジラポーンさんは、タイのチェンマイ生まれ。結婚して日本にやって来たのが18年前、2人の子どもを育て、大分に住んで15年半になる。
 「普通の主婦」として生活を送ってきたジラポーンさんに、高校で祖国タイの言葉を教えてほしいという話が舞い込んだのが、2年前のこと。別府羽室台高校に県内初の外国語科が設立され、第2外国語の授業でタイ語を、との要望だった。
 「頼まれたら断れない」性格のジラポーンさんは、毎週1回、庄内町の自宅から別府まで通い、高校1年生にタイ語を教え始めた。学生からそのまま主婦になったジラポーンさんにとって、それが生まれて初めての「仕事」だった。
 「最初は教えるのがとても嫌だった」と振り返る。2年目の現在は1年生と2年生の授業を受け持ち、「社会が広がって楽しい。私の生きがいになりました」とにっこり。
 「私はタイ人として、生徒たちにタイの文化や習慣など、すべて”本物“を教えたい」というジラポーンさんは、授業中は「ここはタイ」と、行儀作法もすべてタイ式、講義もできるだけタイ語で行う。
 「サワディーカー」と両手を胸の前に組んでタイ式の挨拶をするところから授業は始まる。私たちが見学した1年生の授業は、これまでに習った「色」を表す言葉の復習だった。色紙などを使いながら授業が進められるが、文字も発音もなかなか難しそうである。生徒は女性5人。「ヒロコ」「アユミ」とみんなを名前で呼び、母親が娘を諭すように、優しく、ときに厳しく話しかける。
 「私は生徒たちを愛しているから、せいいっぱいほめて、怒ります。生徒は自分の子どもと同じです」とジラポーンさん。居眠りしている生徒がいれば、廊下に立たせる。「あなたたちが豊かな生活をできるのは、おじいさん、おばあさんたちのお陰」と、折に触れ、お年寄りを敬うことも教える。生徒たちには「優しくてきちんとした先生」という評判だ。

少人数の授業はアットホームな雰囲気だ。
タイ語の挨拶「サワディーカー(こんにちは)」。
タイ語は難しいので、絵入りのカードなどで楽しくわかりやすく。

 別府羽室台高校の外国語科には、第二外国語として、他に韓国語、中国語、マレー語、スペイン語、ベトナム語があり、それぞれの国の人たちが講師をつとめる。各国語の先生が顔を合わせる準備室には、共通語の日本語で賑やかな会話が飛び交い、実に国際色豊かである。ときにはジラポーンさんの自宅に集まって自国料理の持ち寄りパーティを開いたりと、先生同士の交流も楽しいひとときだ。
 長い大分生活の中で、母国語を生かしたボランティア活動も続けてきた。その核となっているのが車いすマラソン。出場選手の通訳を14年にわたってつとめ、大会のときは家族そろってボランティアに出かける。「私たちは健常者だけど弱虫。選手たちに元気をもらいに行くんです」。昨年の一村一品交流でタイのタクシン首相が来県した際にも、通訳などのボランティアをつとめた。故郷タイの人びとからは、大分との交流に期待する声が多く、ジラポーンさんも楽しみにしているという。
 地元庄内の地域にもなじみたいと、交通安全活動や餅つき大会に参加したり、お年寄りからコンニャクや漬け物作りを習ったりと積極的。しっかり大分の地に根を下ろそうとしているのが感じられる。
 「大分は自然が故郷チェンマイと似ているので大好き」というジラポーンさん。「特に春と秋は空気の匂いがそっくりで、ホームシックになることもあるけれどね」とにっこり笑った。

ジラポーンさんの自宅に先生たちが集まって、持ち寄 りパーティ。タイやマレーシアなどの珍しい料理が並んだ