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| 会場は、ホテルオークラ。知事や関係者の人脈も活用して、招待客は政官界、マスコミ、文化人、芸能人、各国大使など約千人に上った。会場にはしいたけのホダ木や、県産魚が泳ぐ巨大な水槽が飾られ、二百六十六種類、千六百八十四点の産品が展示された。県の名産品を使った郷土料理コーナーには人だかりができ、画期的なイメージアップとともに大分フェアは大成功を収めた。フェアの一番大きな収穫は、フェアに参加した地域住民に、自分たちの産品が東京でも通用することの確信と自信をもたらしたことだった。 このようなPR作戦も効果を上げ始め、一村一品運動は、大分県の名とともにマスコミなどに取り上げられ、全国に宣伝されていった。運動は、同じように過疎化や若者離れに悩む地方の救世主だったのだろう。地域活性化のカンフル剤として、この運動を取り入れた北海道を皮切りに、たちまち全国へと広まっていった。 「全国の自治体の約七割がなんらかの形で一村一品運動に関わっている」 昭和六十三年、自治省の外郭団体の地域活性化センターはこう発表した。自治体間のイベントやシンポジウムなどの交流が盛んになり、情報交換を通して活性化していく地方の時代が始まった。 |
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| 当初から塾に関わり、運営委員長などとして、リーダーの見本となってきた溝口薫平氏は、「豊の国づくり塾」をこう語る。 「当時は、行政に背を向けた若者があちらこちらにたくさん居ました。その人たちは自分の思っていることをズバズバ言う元気のいい青年たちです。そんな若者の近くまで知事は降りて来てくれた。行政のトップがここまで近い存在になったことはかつてなかったですからね。そりゃ、みんな真剣になる。語り合っていくうちに燃えちゃったんですよ。『ああ、この知事とならやれる』って。希望と可能性が見えました。知事もまた、『これなら一村一品運動は行ける』って思ったでしょう。知事の掲げている夢と、地域をおこそうとする私たちの夢が重なり合って、お互いにやろうという気を起こしていったんです。だけど、一村一品運動も一人ではできない。それで、どうやって仲間づくりをし、どういうふうに仲間と一緒にやっていくか?仲間が多いほど情報もパワーも集まるわけですから。それにはやっぱり人材育成だということで、「豊の国づくり塾」へとつながっていくわけです。 |
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「塾」が、一人ひとりに大きな勇気と刺激を与え、塾生は学んだこと、吸収したことを地域での実践に生かしていく。そんな「人間力」を備えた元気な人材が次々と巣立っていった。地域づくりは、人づくりという「一村一品運動」の精神が、大きく実を結んでいったのだ。 「豊の国づくり塾」には、平成元年度に大学院ともいえる「こすもすコース」が新設され、四年度には卒業生が組織する「NEO21塾」が開設された。六年度から県内十二の地方振興局ごとに「NEO21塾・地域塾」、十三年度からは「豊の国21世紀塾」と変遷し、これまで千九百六十一名の卒塾生を輩出している。 また、「豊の国づくり塾」のみならず、現在では「21世紀農業塾」「豊の浜塾」「豊後やる木塾」「商い未来塾」など各分野での人づくりも進んでいる。 |
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豊の国づくり塾入塾式(日出塾)(昭和58年11月21日)
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