2003.1 Vol.48


平松 先生は日本文理大学の教授になられ、昨年から住民も受講できる「大分学」講座を開講しています。県外出身の先生がなぜこの大分の地で大分学を始めようと考えられたのですか。
辻野  私は大分に来る前は京都市の京都造形芸術大学に勤務していました。専門は政治学ですので、以前から平松知事と一村一品運動に関心を持っていました。また大分県は海や山、温泉などの豊かな自然に恵まれており、いつの日か大分で暮らすことを夢見てきました。三年前、日本文理大学からの誘いを受け念願がかないましたが、実際に住むようになって、大分に生まれ育った人が大分の良さを理解していないのに驚きました。「これはいかん、大分の魅力をいろいろな角度から論じて、素晴らしさを再認識してもらいたい」。これが「大分学」講座を始めるきっかけでした。
平松 先生の大分学は大分県の風土、気候、人間性など幅広い見地から大分の魅力を論じています。大分を学び、大分を楽しむ。私もそういう方向の勉強をこれからすべきだと思っていましたので、先生には先を越されました(笑)。
辻野 私は二十数年間毎夏イギリスで生活し、いろいろな国の人と接しましたが、どこの国の人も必ずお国自慢をします。ところが日本人、その中でも特に大分の人はそれをしません。大分の素晴らしさを理解し、大分こそが九州、日本の中心だと思うようになって欲しい。大分にはそれだけの価値や歴史的根拠もあります。それを伝えることが、「大分学」講座の最大の目的です。
平松 私は昭和五十年に副知事として大分に帰ってきました。当時、どこの県でも県産品愛用運動を行っていたのですが、大分の料理屋に行ってもだんご汁などの郷土料理や県産酒を出しません。良く言えば謙遜なのですが、自らを卑下するところがあって、地域の特産品などを積極的にアピールしないのです。また、県内各地を回って地域住民の意見を聞くと、どこに行っても「ワシのところは道路が悪い。予算もない。行政も何もしてくれない」と無い無いづくしの嘆き節ばかりでした。
辻野 大分は江戸時代から小藩分立でしたから、全県に通じる一貫した価値観や誇りというものがなかったんですね。その結果県民気質もお互いの足を引っ張り合う「赤猫根性」になったのだとも言われているようですね。
平松 「事なかれ主義、無気力感」を払拭しないと大分に明るい未来はない、と思っていたとき大山町の若者と出会いました。これは衝
撃的でした。どこに行っても「よだきい」だったのに、ここは「ウメ、クリ植えてハワイに行こう」なんて威勢がいいのです。当時の農業政策の方針に背を向け、独自の活動をしながら、何とか自立しようと頑張っていました。
 彼らは「大分市が新産都なんじゃない。私たちが住んでいる大山町こそが新産都で私たちが中心なんだ。だから私たちは大山町が中心の経済圏を考える」と言うのです。それを聞いて目からうろこが落ちました。自分たちが住んでいる地域を中心として、新しい経済圏を考えていく、これが地方分権の根本思想です。


辻野 知事は、大山町や湯布院町など独自の地域づくりのエネルギーに触れ「一村一品運動」を生み出しました。理念はもちろんのこと、言葉としても造語の妙がありますね。
平松 当時の大分県に対する世間の認識は「すべって転んで大分県」くらいのもので、これといった名物もありません。これはいかんと思って、なんでもいいから地域で特色ある産品をつくろうと思ったのです。「一町村一特色運動」などでは非常に行政的ですから毎朝散歩しながら考えていた時、「一村一品」という言葉がひらめいたのです。韻を踏んでいますし、「村」には、コミュニティーという意味もありますから、これでいこうと思いました。運動の精神は、「自主自立」で、県から補助金など一切出しませんでした。行政主導では長続きしないし根づきませんから、あくまで地域の人々の発想、自助努力を優先しました。
辻野 一村一品運動を進めた結果、麦焼酎をはじめ、城下カレイ、関アジ・関サバ、シイタケなど全国ブランドの産品が生まれました。またこの運動は、まちおこし、まちづくりの手法として国内外で注目され、あちこちで同様の手法によるまちおこし運動が始まりましたね。
平松 熊本県で当時の細川知事が「日本一づくり運動」を始められましたし、北海道でも同じような取り組みが行われました。海外では中国、韓国、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ベトナム、カンボジア、タイといったアジア各国が地域づくりの手法として一村一品運動を導入しています。
辻野 アジアはどこの国も首都一極集中で、周辺の農村部が疲弊しています。それぞれの地域に誇りを持たせるという意味で、この運動は各国で支持され長続きしているのだと思います。一村一品運動などを通じてローカル外交が展開されるなかで、大分県は各国との交流が進みましたね。
平松 平成三年十二月にマレーシアのマハティール首相が非公式で大分を訪れ、県内の農村地域を視察して回りました。また、十二年には、中国共産党の曽慶紅組織部長(当時)が、翌十三年にはカンボジアのフン・セン首相、さらに翌年にはタイのタクシン首相が大分を訪れ、一村一品運動を学ぶとともに県民との交流を深めました。この他地域リーダーの交流や技術研修員の受け入れなど、個人レベルでの交流も盛んです。国と国との外交も大切ですが、このように地域住民同士のいわゆる草の根交流が大切です。立命館アジア太平洋大学の開学やワールドカップサッカーの開催などは、その延長線上にあると思っています。
辻野 民間レベルの国際交流では大分がおそらく日本で今一番進んでいるのではないでしょうか。
平松 国家に自信を持つより前に、それぞれの地域で自信や希望を待つべきです。私は今年のキーワードに「望」を掲げましたが、県民に希望を持たせるというのは政治家の要諦だと思います。一村一品もそういう意味では、皆に自信を持たせましたし、将来の望みを持てるようになったのではないでしょうか。県民に望みとやる気を与えたというのが、一番良かったのではないかと思っています。



辻野 知事は「アジアとの共生」を唱え、ローカル外交を展開してきました。交通、情報網が発達し、国境のボーダレス化が進むなか、これからは経済をはじめ、様々な分野で地域間交流していくことが重要ですね。
平松 そのとおりです。アジアは、宗教、風土、言語、民族が国によって異なり、極めて多様です。しかし、これからAU(アジア共同体)をつくっていく時代になると思います。その時にアジアとは何なのか、アジア学というか、そういう地域学をこれから考えていく必要があります。
 私は、立命館アジア太平洋大学開学にあたって、「アジア太平洋大学の建学の精神はアジア学の確立にあり」と言いました。それは、地形、歴史、文化、伝統、特産品などの地域の特性を全て含んだ、京都学、大分学、東北学などの地域学という学問がこれから必要になるからです。地域学に最も近かったのが、司馬遼太郎さんの『街道を行く』です。この本は司馬さんのフィールドワークによるまさしく地域学でもあるのです。地域学にはフィールドワークも必要です。先生には大分を歩いてもらい、昔の豊後学といったような学問的な勉強ではなくて、これをもっと掘り下げて、体系的に大分の気候、風土、歴史、人物、環境、これらを全て包含した地域学を構築されることを期待しています。
辻野 知事は副知事を含めますと二十八年間県政に携わってきました。今期で勇退されるとのことですが、振り返るといかがでしたか。
平松 知事在職の二十四年間を振り返りますと「一村一品運動」と「ローカル外交」を県政の大きな柱としてきました。産品、人づくりを伴った「一村一品運動」は、地域が自主自立していく地方分権の走りともいえる運動になりました。自主自立の精神は世界に広がりを見せています。
 これからはアジアが世界の成長センターになります。九州の経済圏は将来的には東京ではなくアジアになると思っています。アジアとの交流を通じて今後九州が発展していくには「アジアとの共生」が不可欠です。ローカル外交を展開し、九州府構想を唱える中で、そういう認識が定着してきたように思います。アジアの基点である九州が今後目指すべきは、アジアをにらんだ環東シナ海経済圏です。「アジアとの共生」、これが最大のテーマになると思います。
 また、これからは頭は常に国際的に考えアジア諸国のことも勉強しながらも、自分たちの行動はしっかり地域に根付いていることが大切です。国というものは抽象的な概念で、皆さんが住んでいる地域が実際の国です。ですから地域で皆さんが幸せに生活していけるように、地域活性化に努力していただきたいですね。
 「グローバルに考え、ローカルに行動する」これを実践していただきたいと思います。


辻野 功(つじの いさお)
日本文理大学教授
1938年 香川県生まれ、1963年 同志社大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了京都造形芸術大学教授を経て、2001年より日本文理大学教授。京都造形芸術大学客員教授。著書に「日本はどんな国か」「国際派人間になるには」「ホームステイはイギリスで」「大分学・大分楽」、翻訳に「世界紛争地図」など多数。