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大分県の人口全国34位
 平成12年10月1日現在の大分県の人口(国勢調査)で、このうち男性が576千人、女性が645千人、総世帯数は454千世帯。平均年齢は男性が41.7歳、女性が45.2歳で、65歳以上の老年人口比率は21.8%、15歳未満の年少人口は14.7%。県内在住外国人は4699人で平成7年国調より948人増えている。総面積は6,338kmで、人口密度は192人。

トンネル数全国1位
 1・2級河川の延長も3,066kmで、九州で一番長く、全国でも12番目。標高1,791mと九州本土最高峰を誇る中岳や、くじゅう連山、祖母傾山系、険しい尾根で6つに区切られる国東半島、豊後水道に沿ったリアス式海岸など、風光明媚で豊かな幸をもたらす地形は、道路建設などには多大な苦労を伴う。

「一村一品運動」の指定件数 (平成13年度)
 カボスや麦焼酎などの特産品のほか、ゆふいん映画祭や庄内神楽など、地域づくり活動や文化も含まれる。1979年に始まり、中国では、「一廠一品」、「一郷一品」、アメリカルイジアナ州では「ワンパリシュ・ワンプロダクト」、フィリピンでは「ワンバランガイ・ワンプロダクト」などと呼ばれ海外にも拡がっている。

千世帯あたりのピアノ保有台数全国3位(平成11年総務省統計)
 コンクールなども本格派で、世界的に活躍するピアニスト園田高弘さんが審査委員長を務めるピアノコンクールは、4次予選を経て本選を行う国内でも屈指の難易度、質の高さで有名。また、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチさんが総監督を務め、別府市で開催される音楽祭では、若手ピアニストの指導や、子どものための無料コンサートなど人材の育成にも力を入れている。

稀代の名力士 双葉山定次(ふたばやまさだじ) がうち立てた
 相撲史上不滅の連勝記録
 昭和11年1月場所から始まり、14年1月場所で途切れた。この間関脇から大関、横綱に昇進。優勝12回の名横綱。現在の宇佐市出身。野球界では、別府市出身の、神様、仏様、稲尾様と言われた鉄腕稲尾和久投手が、プロ野球シーズン最多勝利数42勝を記録。佐伯出身の山中正竹投手は、東京6大学野球最多勝の48勝をマーク。足腰と精神が強い大分人。

現存する石造アーチ橋(平成8年7月末)の数
 8連アーチ、橋長116mの耶馬渓橋などが有名。アーチ橋以外にも200基を超える石橋があるほか、山門や民家の蔵の一部にも石工の優れた腕前が披露されている。また、民家の軒下や戸袋に、左官職人が漆喰を材料に鏝を使って家紋や鶴亀、大黒天などを描いた鏝絵が安心院町を中心に県下各地に多数見られる。いずれも、多くは江戸から明治期にかけてつくられた。

大分国際車いすマラソン大会で記録された
 男子車いすマラソン
(42.195キロ)の世界最高記録
 スイスのハインツ・フライ選手が99年大会で記録した。女子では、東京都の土田和歌子選手が2001年に記録した1時間38分32秒が公認世界最高記録。同大会は、障害者に「保護より働く機会を」をモットーに「太陽の家」を設立した中村裕(ゆたか)博士らの尽力により、1981年に世界初の車いす単独の国際大会として始められ、毎年約30カ国から400名前後が参加している。

乾しいたけ生産量全国1位
 2001年の全国品評会で3年連続35回目の優勝をするなど品質面でも全国一の折り紙付き。保存が利くだけでなく、干すことで、ビタミンなどの栄養価も高まり、体に非常に良い食品である。シイタケを使った料理も多彩で、全国コンクールで2年連続最優秀賞に選ばれている。水や湯でもどして使用し、もどし汁も利用する。また、大分はしいたけ栽培の発祥地とも言われている。

温泉源泉(利用)総数全国1位
 湧出量は、北海道に次いで全国第2位となっている。県下各地で湧出しており、古くから浴用を中心に疾病などの治療や観光資源として利用されてきたが、近年ではクリーンエネルギーとして、温泉熱を暖房や施設園芸、地熱発電などへの利用も広がっている。別府市の「湯けむり」の風景は、NHKが実施した「21世紀に残したい日本の風景」の富士山に次ぐ全国2位に選ばれた。 (大分県環境白書) 

種雄牛(しゅゆうぎゅう)「糸福号」の登録された子牛の数
 豊後牛の名声を全国に轟かせた産肉能力日本一の「糸福号」の子牛は、市場価格で10万円以上高い価格で取り引きされ、枝肉の質量でも抜群の成績を残した。2002年1月に久住町にある県畜産試験場で老衰のため死亡した。同試験場と出生地の玖珠町に功績をたたえて銅像が建立され、関係者による法要も営まれた。