| 大分では16世紀に、大友宗麟が西洋文明を取り入れ、府内は国際都市として賑わっていた。また、江戸時代、三浦按針(ウィリアム・アダムス)や耶楊子(ヤン・ヨーステン)を乗せたオランダ商船リーフデ号が臼杵市佐志生沖に漂着したが、住民や藩から暖かく受け入れられ、後に徳川家康に外交顧問として重用された。海外と交流することは大分の気風でもある。 |
| ▼一村一品運動で交流 |
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昭和40年頃に早くも大山町では米中心の農業から、付加価値の高い梅栗などに転換し、その収益で外国を見に行こうという「梅栗植えてハワイに行こう!」運動を始めた。以後30年以上にわたり海外との交流は活発に続いており、その成果は農協の直販施設「木の花ガルテン」をはじめ町づくりに有形無形に息づいている。
情報化が進み、一村一品運動が軌道に乗るにつれ、友好親善だけではなく「相互理解、相互利益」を促進し、お互いの地域の活性化を目的とする海外との交流が活発になった。
昭和58年に中国の上海市長の招きにより平松知事が、一村一品運動とテクノポリスについて講演をしたのを皮切りに、アジア、ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、南米、アフリカなどとの国や地域との間で地域間交流(ローカル外交)が活発化し、指導者や生産者、住民同士の頻繁な交流が続いている。特に一村一品運動と軌を一にする「セマウル運動」に取り組んでいる韓国とは、「一村一品・セマウル交流」をベースに各市町村の青少年交流や文化交流、小中高校生の交流などが行われている。2002年ワールドカップサッカーが日韓共催となり、交流に一層の弾みがついた。 |
| ▼21世紀はアジアの時代 |
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平成6年には、人、モノ、情報が自由に循環する九州アジア経済圏構想の実現をめざす「アジア九州地域交流サミット」の第1回会議が別府市で開催された。以降毎年アジア各地で開催され、平成12年の第7回大会では再び別府市に12カ国37地域の代表が集い、アジアの現状と未来について討議した。
また、環境問題の解決が経済発展と同時に重要となってくるなか、平成12年4月に大分で開催された「第51回全国植樹祭」では、アジアに向けて「グリーンネットワーク宣言」を行った。高校生や県民が続けてきたアジア各地での植林活動を、今後さらに国や地域を超えてネットワーク化していくことを提案した。
平成12年に、「立命館アジア太平洋大学(APU)」が開学した。学生の半分は海外からの留学生で、これにより大分の留学生数は飛躍的に延び、平成15年には2500名になる見込みだ。これは全国でも5本の指に入るもので、人口や教育機関の数を考えると特筆すべき数値である。
平成12年に20周年を迎えた「大分国際車いすマラソン大会」には約30の国と地域から400人以上の選手が参加している。
地域間交流(ローカル外交)は、生活・文化などの違う国や地域の間に相互の理解と利益をもたらし共生を生みだしている。
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佐志生沖に浮かぶ黒島(臼杵市)

木の花ガルテン(大山町)

アジア九州交流サミット

植樹祭

アジアでの植林風景

APU(別府市) |