大分県庁のホームページ 『新時代おおいた』のバックナンバー
新時代おおいたVol.56(2008年1月発行) 新時代おおいたVol.56表紙
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2008年。
 チャレンジ!おおいた国体・チャレンジ!おおいた大会が開催される記念すべき年の幕開けに当たり、夢の鼎談が実現しました。
 日本を代表するスポーツ選手として活躍してこられた宗茂氏、野村謙二郎氏と広瀬知事が語る、国体のこと、スポーツのこと、そして子どもたちのこと。
 両大会を私たち大分県民はどのように迎えれば良いのでしょうか? そしてどのように未来へつなげていくことができるのでしょうか?
 三人の言葉の中から、そのヒントが見つけられるかもしれません。

広瀬勝貞 大分県知事
広瀬 勝貞 大分県知事
宗茂 氏
宗 茂 氏
野村謙二郎 氏
野村 謙二郎 氏

一巡目国体の思い出

広瀬 明けましておめでとうございます。 今日は大分県が生んだ素晴らしいスポーツ選手お二人からお話を伺います。
  元マラソンランナーでモントリオール以来、3回のオリンピックで日本代表を務められた宗茂さん、そして元プロ野球「広島東洋カープ」の主力選手で、2000本安打を達成されるなど数々の記録を残された野村謙二郎さんです。
  お二人は大分国体には大変ご縁があるそうです。一巡目の国体が開かれた1966年。宗さんは中学2年生で県内一周駅伝の選手に選ばれて、翌年2月臼杵市の代表として走られたそうですが、国体の思い出はありますか。

 臼杵ではバレーボールがあったんですが、ちょうど東京オリンピックが終わって2年目という「東洋の魔女」がすごいときで、毎日応援に行っていました。

広瀬 そうですか。野村さんは、あの年に佐伯市でお生まれになって、ちょうど国体の開会式の翌日が誕生日なんだそうですね。

野村 僕も知ってびっくりしました。生まれた年に国体があって、それから今年また国体があるということで、感慨深いものがあります。

広瀬 実は私も、この年は学校を出て社会人になった記念すべき年なんです。大きな組織の中でなんとなく自分を見失いそうになったときにふるさと大分で国体ということで、何かふるさとが随分大きく見えたような感じがしました。


選手生活を振り返って

広瀬 宗さんは、小さい頃は運動が苦手だったそうですね。

 小学校3年生までは体育が「2」でした。球技が駄目で、短距離が駄目で、運動はすべて駄目だったんです。それが小学校4年生のとき、体育の授業で長距離を走ったらトップに立ちまして、初めて人に勝てた、目立った、ということがあったんです。
  それで将来は長距離を走ろうかと思い始めたときに、県内一周駅伝があったんです。自分が速いと分かってからは、県内一周があるのを楽しみにしていまして、走っている選手を見て「かっこいいな」「自分もこの大会を走るんだ」という気持ちを持ちました。県内一周を走りたいがために陸上の世界に入ったようなものですね。

広瀬 宗さんは1978年の別府大分毎日マラソンで世界歴代二位の記録を出されたわけですが、そこに至るまでには相当苦しい練習があったのではないですか。

 モントリオールで惨敗して帰ってきまして、すごく惨めな思いをしたんです。やはりオリンピックに出るんだったら、世界に通用する選手になって出ないと意味がないと感じました。その意識改革があった2年後ぐらいに別大で記録が出たんです。気持ちが変わって、苦しみを一つ乗り越えて、自分が変わったんじゃないかと思います。ですからオリンピックの失敗がなければ、別大の記録はなかったかもしれませんね。

広瀬 オリンピックと言えば、野村さんもソウルオリンピックに出られて銀メダルを取られていますね。日の丸を背負って試合をするのはどんなお気持ちですか。

野村 今年は北京オリンピックもありますし、よく日の丸の重さという話をするんですが、正直なところ僕はその当時学生だったので、足が震えたり、結果を出さなきゃいけないというより、自分が普通に野球ができていたのかなという感じで、精神的に強くないと駄目だということを痛感しました。それからプロの世界に入ったわけですが、自分がもっともっと練習することによって、緊張した場面でもいかに力を発揮できるか、できないとスポーツの世界では活躍できないんだということを一番感じました。

広瀬 野村さんはどういうきっかけで野球を始めたんですか。

野村 小学生の時に父親がグローブとバットとボールをプレゼントしてくれまして、当時は今みたいにテレビゲームなどなかったですから、とにかくそのバットとボールで遊ぶというのが一つの楽しみだったんです。それがきっかけでした。

広瀬 プロの選手にまでなられたということは、小さい頃から立派なコーチがいらっしゃったのではないですか。

野村 本当に素晴らしい指導者に恵まれまして、ときには厳しく、ときには優しく、いろんなことを教えてもらいました。

対談風景

子どもたちへの思い

広瀬 全国的に子どもたちの基礎体力の低下が問題になっています。私たちもこのことは心配していまして、とにかく子どもさんには外で遊びなさいと、また親御さんには子どもさんを外で遊ばせてやってくださいねと一生懸命呼びかけて、遊びやスポーツを通して、子どもの体力増強を目指しているところです。
  子どもたちの育成・指導という面では、どんなことを心がけたらいいのでしょうか。

 大人たちは環境を整えてあげようとします。しかし、環境を整えるのが大事かというと、決してそうではないと思うんです。環境を整えるよりも考えることを重視した指導が大事なのであって、本人が考えなくても周りが全部整えてくれて自分は競技をやるだけでいいというのでは駄目なんです。
  あまりにも環境を整えすぎてしまった選手は応用が利きません。準備の段階からいろんなものを本人が考えてスタートするということを指導するのが、これからは絶対に大事になってくるのではないかと思っています。

広瀬 自ら考えて、自ら練習をしていくということが非常に大事というわけですね。
  野村さんは、引退セレモニーのときに子どもたちに向かって「野球って楽しいぞ」と呼びかけられました。あれが随分印象に残ってるんですが、今、いろいろと野球の楽しさを教えているんですか。

野村 引退してから野球教室に数多く行くようになりまして、全国を回って主に小学生を教えてるんですが、子どもに頑張ってもらいたいのに、張り切っているのはお父さん、お母さんであるなと感じることがよくあって、すごく寂しい気がします。
  やはり本当に上手になりたい、本当に楽しみたいんであれば、お父さん、お母さんと子どもがしっかり対話をしながら、子どもが自ら手を挙げ、自ら前に踏み出して行くような環境を作ることです。スポーツをやるのは子どもたちですから、自分が楽しかったり、自分が選んだものは一生懸命やるわけです。
  僕は下を向いたり、よそを向いたりする子どもを見ると、こちらを見るまで指導をしないんです。厳しいかもしれませんが、やはり相手の目を見てしっかり話を聞きなさいと、上手になりたいんであれば耳と目で聞きなさいということを、いつも心がけて指導しています。

広瀬 大分県にはたくさんの立派な指導者がいますから、先ほどのお話にありましたように、子どもたちの自発性を引っ張り出しながらやってもらうことが大事だと思います。恵まれた環境を使って子どもたちには元気いっぱい育ってもらいたいですね。

大分国体・大分大会に向けて

広瀬 今年は「チャレンジ!おおいた国体・チャレンジ!おおいた大会」の年ということで、やはり開催県としては天皇杯を獲得したいなぁと思って いるところです。お二人から今、一生懸命頑張っている選手やコーチ、監督の皆さんにエールをいただけますか。

 今は県民の皆さんのため、また周りで応援してくれている人たちのためという思いで、プレッシャーもどんどん自分の中に入れながら、自分のためと思っては頑張れない高い世界へ向かって、頑張って練習して欲しいと思います。
  しかし本番ではそのプレッシャーから解放されて、今まではみんなのためにと頑張ってきたけれど、自分のために頑張るんだという気持ちに切り換えて、自分の力をきちんと出し切って欲しいと思いますね。

野村 僕が考えていたことを宗さんが言ってくれましたので、何も言うことはないんですが、あえて一つだけ言わせていただくと、今年のおおいた国体、決して負けることなく前進していって天皇杯を持ち帰って欲しいなということです。応援になりますが、一生懸命頑張ってくださいとメッセージをお送りします。

広瀬 ありがとうございます。ぜひそういう気持ちで頑張っていきたいと思います。
  国体で天皇杯を取ることは大事なことだと思いますが、もう一つ、楽しいおもてなしの気持ちで全国から来る選手や役員の皆さん方をお迎えして、「大分ってずいぶん明るくて元気だなぁ」という印象を持ってもらうことも大事なことだと思います。ぜひ、県民総参加で盛り上げていきたいと考えています。
  その意味で応援も大事ですよね。お二人は長い選手生活を通じて、ファンや応援をしてくれている皆さんとのふれあいがあったのではないですか。

 私は国体には何回も行きましたが、民泊が思い出に残っていますね。お世話になった方たちとは今でも年賀状を出し合っていて、行って良かったという思いがすごくあります。
  また国体というのは、「あのときのおおいた国体はこうだった」と記憶に残ることが必要だと思うんです。参加しないと記憶には残りませんから、一番いい記憶というのは応援に行くことなんです。応援に行って、実際に見て感動して、そうしてより多くの人の記憶に残る大会になれば、おおいた国体は大成功だったということになるんじゃないかと思います。

野村 選手の皆さんを見かけたら明るく声をかけると、「みんなが声をかけてくれる」ということで大分県のイメージも非常によくなると思いますし、それ以上に心のふれあいが生まれると思います。やはりあいさつは基本ですから、気持ちよいあいさつをすれば、気持ちよいあいさつが返ってきます。それで1日が気持ちよく過ごせますから、頑張って声をかけていただければと思います。

広瀬 いいですね。駅に着かれたとき、また空港に降り立たれたときの「いらっしゃい」 から始めて、みんなであいさつをしたいですね。

炬火台 九州石油ドームに設置される炬火台(きょかだい)のデザインイメージ。応募作品95点の中から大分県立大分工業高校定時制の作品が最優秀賞に選ばれた。
*炬火とはオリンピックの聖火にあたる火のこと。

ふるさと 大分県の皆さんへ

広瀬 今日はせっかくの機会ですから、県民の皆さんにお二人からふるさと大分県への思いをお話していただけたらと思います。

 私は大分を離れてずいぶん経つんですが、やはり自分のふるさとは大分だなと思いますし、大分県が頑張れば自分も頑張れるという感じがします。ですから、自分が頑張れるためにも、大分県の皆さんはぜひいろんな方面で頑張ってほしいという気持ちでいっぱいです。

野村 自分が生まれ育った、そして自分の原点を作ってくれた大分県に、とにかく頑張ってほしいと思います。また、子どもたちがこの素晴らしい条件のそろった大分県でどんどん良いスポーツ選手として育ち、全国で活躍することを祈っています。

広瀬 今日は大変に貴重な素晴らしいお話を伺わせていただきました。県民の皆さんにも良いメッセージが贈れたのではないかと思います。ありがとうございました。
(1月1日放送TOS新春報道特別番組要旨) 南天


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