”マリノポリスなどと言う聞こえのいい言葉を聞くと、あすにでも漁業振興の大輪の花が南の海に咲き誇るような錯覚をおぼえる。と言っても、北から南まで海に面した大分県は、昔から「漁業」は県政の大きな柱でもあった。海を忘れて大分県が成り立とうはずがない。華やかなテクノポリス構想の死角でかげの薄くなりかけた大分県漁業に夢をもう一度を願わぬ人はいないだろう・・・。“
20年前に大分合同新聞夕刊に書いたコラムの一節である。NHK大分放送局が作った遠洋漁業のドキュメンタリーをコメントしたものだ。なぜ覚えているかと言えば、海の男たちの情熱が迸り出るような力作であったのはもちろんだが、この直後に第三セクターの情報会社に出向を命じられ、このコラムが執筆の最後になったからだ。命がけの漁法が大分県漁業を支えている驚きと感動を今でも鮮明に思い出す。 |
| その海の男たちに漁師の神様みたいに尊敬と信頼を一身に集めた男がいる。 |
仲家 太郎吉(佐賀関町)がその人。天保10年(1839)生まれ。165年も前のことである。伝説の人と言っていいが関の一本釣りに飽き足らず、朝鮮半島はもちろん遠く中国揚子江、遼東半島、南は小笠原諸島など遠洋漁業の開拓者として知られる。
佐賀関町田中新地で代々漁業を生業とする家に生まれる。父宮吉の遺志を継ぎ漁法の改良に心血を注ぎ、安政3年(1856)、父の果たせなかった深海瀬魚をターゲットにした画期的な延縄(はえなわ)漁法を発明する。延縄とは一条の幹縄に適当な間隔を置いて多くの釣り糸を取り付け、それぞれに鉤(はり)をつけたものを言う。 |
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仲家猛氏 |
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関の近海で試み、鱶(ふか)の大漁を見る。一本釣りの同業者はあまりいい顔をせず、そのことが仲家を遠洋漁業に向かわせるきっかけとなったとも言われる。もともとスケールの大きい男で、「海洋国家日本は四方海に囲まれ漁場に不足なし」と活路を遙か遠くに求めた。
子孫が健在と聞き生家を訪ねた。当主仲家猛さん(80)は曾孫に当たる。
庭の寒椿越しに下浦の海が見える。欅(けやき)をふんだんに使った旧家は太郎吉が新築したもの。座敷の鴨居に表彰状や感謝状が所狭しと掛けられている。日本の漁業に尽くした功績で明治31年に国から緑綬褒章を受ける。仲家家では家宝とも言える勲章を見せてもらった。 |
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| 仲家太郎吉の碑除幕式の様子 |
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| 金牌 |
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| 日本の漁業に尽くした功績で明治31年に国から受けた緑綬褒章 |
<参考文献>
●佐賀関町史
●大分県秘書広報課「大分県の産業先覚者」 昭和45年
●NHK出版「日本とは何かということ」
著者代表 司馬遼太郎 山折哲雄 |
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「エンジンもなく、潮と風を頼りに、帆を捲いて走る船でよく中国まで行ったもんだ」 |
と当主は先祖の大胆な行為を誇らしげに語る。記録によると山東半島の北端の港、威海衛まで遠征したとある。威海衛と言えば日清戦争で日本の艦隊が当時東洋最強と言われた清国の北洋艦隊を破ったところ。
遠洋漁業成功の秘密は漁船の改造にあった。船材を精選し構造を堅牢にしたことは当然として、海水進入防止策を施し順風の時は舵を流し、斜風の時は舵を立てて海中に深く入れて船が風下に偏らぬように工夫した。この太郎吉の改良船は転覆しにくく同業者が競って改良を真似したと言われる。大分県が他県に先駆けて遠洋漁業に先手が打てたのはこの改良船に負うところが大きかった。
2月3日放映のNHKテレビ「プロジェクトX・挑戦者たち」”海の革命エンジン、インド洋の激闘“の中でアジアの漁民に日本古来の漁法を知らせる英字の漁業新聞づくりが出てくる。北海道・紋別のヒラメの通り道に仕掛ける”刺し網“ロープを使い一度に多くのマダイを釣る長崎の”延縄“アジを群ごと一網打尽にする沼津の”巻き網“など北海道から沖縄まで優に30余種。日本の漁業文化は世界一豊かであったと解説にあった。
太郎吉の”鱶の延縄漁“も正にこの中のベスト3には入る代表的漁法であろう。その日本の漁法がスリランカの漁民を救ったとテレビは言った。太郎吉は佐賀関漁業者の利益を計り、後進の指導を兼ねて延縄同盟組合を結成。漁民と大分県の漁業のために生涯を捧げ、明治34年8月7日62歳の人生を終える。
日本の米のため水路づくりに生命を張った南一郎平(宇佐市)、漁業のパイオニア仲家太郎吉。この2人こそ大分県の農漁業を守った功労者としてその労苦を末永くたたえたいものだ。
先日(1月30日)関を訪れた日。太郎吉が愛してやまなかった関の海は穏やかであった。ふるさとの代表的唄にもなった”関の一本釣り“は健在である。関アジ、関サバのブランドは日本一になった。海の豊かさが続く限り大分県の豊かさも続くだろう。
海の豊かさのキーワードを握るのは森の豊かさである。森は海の恋人と言われるゆえん。県南蒲江の海の沿岸部の海底が白くなる磯焼け現象は気になるところだ。漁業就労者の減少と高齢化も。農林水産省は田園空間博物館構想に次いで漁村空間博物館構想も打ち出した。美しい日本の漁村と日本の漁業を守るためである。前者の”田染の荘“のように、後者に名乗りを上げる海のまちはないのだろうか。
(元大分合同新聞文化部長 永松 秀敏) |
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