老舗蔵元に新しい風を吹き込んだ15代目
 明治32年創業、今年104年目を迎える日田の老舗醸造元「原次郎左衛門」。原家15代目を継ぐ原次郎左衛門正幸さんは、合名会社まるはら4代目社長として、平成7年、明治・大正期の社屋を観光工場に造り替えるという大英断を下し、さまざまな改革の風を会社に吹き込んできた人である。
  「観光工場を造って3年がかりで改装を重ね、それまで無借金だったのが2億円以上の大借金を抱えることになってしまった。醤油屋で日本一金がかかってるんじゃないかな、ちょっとかけすぎました(笑)」と原さん。しかしこの観光工場が蔵元・原次郎左衛門の大きな広告塔となり、「うちはほんとに変わった」。観光客の反応をみて少しずつ商品を改良していくことでリピートが増え、味噌やめんつゆ、ポン酢、虹色ラムネなどが順調に伸びて売上げは一挙1・5倍に。
とりわけ味噌は客のニーズに応じて味を変えていったおかげで、今では福岡三越などでトップの人気を誇るまでになり、売上げは従来の3〜4倍に跳ね上がった。
 
日田特産の鮎を生かした臭みのない「鮎魚醤」開発に成功
 着実に会社改革を進めてきた原さんが、「鮎魚醤」というニュービジネスに挑戦することになったのは、4年前のことだった。日田は鮎の養殖や加工利用が盛んな所で、知り合いの鮎養殖業者から規格外品や折れた不良品など「売れない鮎」の活用法はないだろうか、と持ちかけられたのがきっかけ。原さんは大分県産業科学技術センターに話を持ち込み、平成12年から鮎魚醤の試作をスタート、翌年からは正式に共同研究に取り組んだ。「でも魚醤は臭いという先入観があって、最初はあまり気乗りがせんかった(笑)」。
  ベトナムのニョクマムやタイのナンプラーで知られる魚醤は中国南部や東南アジア一帯で用いられており、魚類を塩漬けし発酵させてつくる醤油のようなもの。独特の香りと味を持つクセの強い調味料で、日本では秋田のしょっつるなどが有名だ。しかしこれらはすべて海水魚からつくる魚醤で、鮎のような淡水魚の魚醤は世界中どこにも例がない。
  原さんたちは、魚醤特有の発酵臭やクセがない、一般の人もなじみやすい鮎魚醤の開発を目指した。製造工程はシンプルで、鮎をミンチにし、塩とタンパク質分解酵素を添加して約3ヶ月発酵させたものをろ過し、火入れして瓶詰めする。タンパク質分解酵素は20種類ほど試して適したものを選び、雑菌の繁殖を抑える工夫を重ねて製造方法を模索。その結果、淡水魚は海水魚のような微生物を持っていないため加工途中で細菌が死滅し、独特の臭み成分を取り除けることがわかった。魚の油分による油臭も独自の分離技術で抑え、生臭さがなく自然な旨みを持つ「鮎魚醤」の開発に成功。「大分県ものづくり大賞」も受賞した。ろ過の終わった鮎魚醤をちょっとなめさせてもらったら、魚臭さはまったくなく、ほんのり甘い味がした。 
 
 
日本一、世界一の商品づくりで「オンリーワン」を目指したい
 今年3月、千葉県の幕張メッセで開かれた国際食品・飲料展に鮎魚醤を出品したところ、多くの飲食店関係者やデパートのバイヤーなどが味見をして強い関心を示し、サンプルの注文が相次いだ。その後も雑誌やテレビで紹介され、現在は品切れ状態。「あまりの反響ぶりに驚いてます。今までは大分・福岡周辺だった商圏が、いきなり東京がメインになり、今は中国市場からも話がきてる」と原さん。量産化の体制づくりと、鮎魚醤入り焼肉のタレなど新商品の開発を進める一方、シャケ魚醤にも着手し、すでに試作に成功したという。
  「新しいモノを作るのが好き。祖父の代からの性分やね。欠点はきちんと作り上げないうちに次のモノを作ってしまうことかな(笑)」と原さん。「とにかくおいしい商品、日本一、世界一のモノを作ってオンリーワンを目指したい。鮎魚醤も他にないから世界一だね(笑)」。老舗企業のベンチャーへのチャレンジは、まだまだ続きそうだ。


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目次 特集/人が輝く 暮らしが輝く ベンチャービジネス
対談/御手洗冨士夫キヤノン株式会社社長
おおいた文学紀行/津村 信夫・鄙の歌
先人の軌跡 /南 一郎平 −宇佐市−
大分県立芸術会館ギャラリー

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