サブタイトル:鉄輪温泉の物語性
日本中に温泉はたくさんあるけれど、鉄輪のように湯けむりが惜し気もなく立ちのぼっている土地は他にない。 冬の朝7時頃の鉄輪温泉。
メインタイトル:観光地の隠し技
●神のお告げで蒸し風呂ができた
写真:住職
温泉山永福寺の住職としては3代目、湯浴み祭りで一遍上人のお体を洗う人。若いころはギタリストだった。
   「これは大正時代に誰かに頼んで書いてもらったんでしょう」と河野憲勝住職が笑いをふくんで言う。なるほどかなり素人くさい筆致で、そこがまた面白い。温泉山永福寺に伝わる『鉄輪温泉由来絵とき法話』だ。もう80年以上、お参りにくるさまざまな人たちに見せて説明されてきた掛け軸は、歳月とともにだいぶ傷んでいる。その昔、この法話を聞いた人々の気分になって、ゆったりと物語を聞いてみよう。
@遊行の途中野口の里で深い霧にあい休んでいる一遍上人。と、そこへ白髪の老人が現れて「この辺りは鉄輪地獄の湯気と鶴見山から発する朝霧で視界がきかず困っています」と語る。「それでは地獄を埋めればいかがか」「人の力ではとうてい埋められません。鶴見山の麓に鶴見権現の社があります」。
A一遍上人が鶴見権現にこもって祈ると、21日目に白髪の老人が現れ、「鉄輪地獄を埋める方法が一つある。一切経の経文を一つの石に一字ずつ書いて南無阿弥陀仏を唱えながら地獄に投げ込むのだ」
B以来、一遍上人とその弟子たち、そして村人もまじって熱湯たぎる危険な地獄へ一心不乱に石を投げ込み南無阿弥陀仏を唱え続けた。
C工事の間に台風が来て大洪水が起き、上人も危険にさらされたが、仏法を護る神々が現れて助けた。
Dこうして大変な苦労の末、ようやく地獄は埋まっていったが、一カ所だけ噴気がおさまらないところがあった。
  この『絵とき法話』は、一カ所だけ埋まらない地獄を鶴見権現の神が再び現れて「ここは埋めなくてもよい。蒸し風呂を築け」と教えた、と伝えている。蒸し風呂に入って南無阿弥陀仏を唱えれば、いかなる業病難病も癒えるであろう、と。このとき鶴見権現の神が手渡した誓いの松が火男火売神社に植えられている「神木・相生の松」だという。

《鉄輪温泉由来 絵とき法話 》   下から上へ見てください。
絵ときの絵 9
神のお告げに従って蒸し風呂を築く一遍上人。
絵ときの絵 8
火男火売神社の誓いの松に爪で南無阿弥陀仏を彫る一遍上人。
絵ときの絵 7
再び神のお告げで「そこを蒸し風呂にせよ」。
絵ときの絵 6
ようやく埋め終えたものの、一カ所だけどうしても埋まらない地獄があった。
絵ときの絵
途中、嵐のため洪水が起きて、たくさんの人が命を落とす。
絵ときの絵  
絵ときの絵  
絵ときの絵 4
一遍上人と弟子たち、そして村人たちは神に言われたとおりにして地獄を埋めていった。
絵ときの絵  
絵ときの絵 3
石に一字ずつ経文の文字を書き、南無阿弥陀仏を唱えながら埋めよと教えられる。
絵ときの絵 2
鶴見権現にこもって地獄を埋める方法を神に問う一遍上人。
絵ときの絵 1
深い霧にあう一遍上人。煮えたぎる地獄の湯気と鶴見山の朝霧が原因と知る。

写真:飯沼教授
飯沼賢司教授
別府大学文化財研究所長。委託調査研究や著書の執筆だけでも忙しいと思われるのに、歴史散歩の案内人、田染荘の田植えと稲刈りまでこなしてしまう鉄人。

写真:一遍上人像
温泉山永福寺にある一遍上人像。湯浴み祭りで温泉にお浸けするため、傷まないよう漆加工が施されている。江戸中期の製作。

写真:一遍上人像
蒸し湯の入り口にある一遍上人像。鉄輪の篤志家が寄贈したそうだ。画像に残された一遍上人とはちょっと違う風貌。

写真:一遍上人像
いでゆ坂の上人湯の入り口に祀られている一遍上人。

写真:一遍上人像
白池地獄の庭にある一遍上人の大きな石像。
●一遍上人はなぜ鉄輪へ?
  鉄輪温泉には平成15年に「一遍上人探求会」が生まれ、”ご利益まんじゅう“も売られている。古い歴史をもっと深く知りたいと思えば、町内にすぐれた歴史学者がいる。上代のままの荘園田染荘で米を作り、最近は環境歴史学という新しい分野を開いた飯沼賢司教授だ。一遍上人について「なぜ?」と思った疑問を尋ねた。
  一遍上人が鉄輪に来たという記録は?
  記録として一遍上人が鉄輪に来たということは、残念ながらら残っていないそうだ。しかし、一遍上人が出家した後、最初に訪れたのは豊後の国だという。一遍は河野水軍と呼ばれた伊予の国の一大勢力、河野家に生まれ、13歳で出家している。 
  「なぜ最初に豊後へ来たかというと、豊後の国は鎌倉時代の初めから念仏と深く関わっていたからです。阿弥陀に救いを求めて、南無阿弥陀仏を唱える信仰は、宗派に固定していなくて、広くたくさんあったんですね。大友氏も非常に早い時期に阿弥陀信仰に関わっていて、初代大友能直の墓は大野町田中にあった風早の阿弥陀堂です。
  鎌倉時代中期に活躍する一遍は、豊後に阿弥陀信仰の基盤があることを知っているわけで、最初に豊後を重要な場所として選んでやって来たのは事実です。大友家は三代頼泰の時代で、頼泰のもとで一遍は他阿上人と出会います」
  この他阿上人と鉄輪温泉は後々深いご縁で結ばれてしまうのだが、それは後ほどのこととして。一遍上人が鉄輪を訪れた可能性は?  
  「別府は大友氏の所領が最も集中している場所でした。朝見の一帯、それから鉄輪に関係あるところでは鶴見ですね。鉄輪というのは、鶴見村と竈(かまど)の方との境目にあるんですが、鉄輪の地頭は大友頼泰なんです」 
  おお、これは可能性が濃厚になってきた。

●坊さんと蒸し風呂の関係
 「それに加えて、鶴見村は宗教的な”場“を持っていました。鶴見村は鶴見山のすそ野に広がる一帯なんですが、鶴見山も鶴見村も天台宗の延暦寺領で、火男火売神社も実は天台延暦寺に組み込まれています。火山があって温泉が湧く土地ですから、天台宗の山岳信仰と関わって、行者たちの修験の場になっていたんですね。鶴見村が形成されるのは平安時代の終わりころ、国東の六郷満山と同じころです。鶴見山と鶴見村は天台の修験の場として六郷満山とおなじように考えていいと思います」
  なるほど、なるほど。なんという腑に落ちるお話。『鉄輪温泉由来絵とき法話』が神と仏の物語になっている理由は、この温泉にもともと修験の場としての歴史があったからなのだ。
  では、荒れ狂う地獄が治まった後、一カ所だけ残った地獄から
”蒸し湯“ができるという設定は?
  「温泉は今のようにお湯に浸かるのではなく、蒸し湯(サウナ)が古い形態でした。蒸し湯によってさまざまな病気を治したわけですが、なぜそこに宗教が関わってくるかというと、病気は殺生の報いによって起こると考えられていたからです。蒸し湯に入って南無阿弥陀仏の称号を唱えて病気を治すのは宗教的行為だったわけです」
  厳かであったらしい蒸し湯。今は、別府市営温泉として保たれており、この秋には建て替えが予定されている。 
湯煙   地獄釜
側溝から湯気が立ちのぼる湯のまち。   江戸時代から噴気で煮炊きしてきた。現代の地獄釜。

●重要文化財もあるのだ
    鉄輪温泉まちづくりの隠し技は国指定の重要文化財かもしれない。温泉山永福寺は大分県で唯一の時宗の寺院。もとは松壽庵寺といったが、明治5年に廃寺となり、再興する際、温泉山永福寺となった。
  明治24年の再興にあたって鹿児島から着任した住職河野智元師が絵巻物をもたらした。それが『遊行上人縁起絵巻』だ。時宗の僧たちが踊り念仏を見せながら各地を回って行く遊行の記録で、永福寺にあるものは第五段、「信州善光寺に参籠し、踊り念仏を勤行しているところ」。河野憲勝住職によると、この段は、一遍上人ではなく、二代他阿上人の布教の記録だという。
  二代他阿上人は豊後の出身で大友頼泰の庇護を受け、大友館で一遍上人と出会った人。ちなみに「他阿上人」というのは固有名詞ではなく、代々の時宗の法主の呼び名だということだ。
  温泉山永福寺に大切に保管されていたこの絵巻が、実は中世に転写され、十三巻しか現存されないとされていた重要な写本の新たな一巻であることが判明。国の重要文化財の指定を受けた。この絵巻の複製は宇佐市にある大分県立歴史博物館の常設展で見ることができる。
 
写真:まんじゅう作り 写真:まんじゅう 写真:まんじゅう
路地裏散歩のとき歩きながら食べられるものをと
工夫してできた豚まん。鉄輪豚まん本舗の社長であるこの人、
後藤美鈴さん(右)が「一遍上人探求会」
の事務局長。「明るさと体力が取り柄です。」
 
新発売の“ご利益まんじゅう”
写真:絵巻
遊行上人縁起絵巻の一部(温泉山永福寺蔵)。平成9年、国の重要文化財に指定された。


←戻る
 | 次のページへ→
目次 特集/観光地の隠し技
おおいた文学紀行/「濁流に泳ぐ」麻生 久
先人の軌跡 /検番三社中の群像たち−別府市−
大分県立芸術会館ギャラリー

- 1 - 2 - 3 - 4 -
- 1 - 
- 1 -
- 1 -

VientoのTOPへ