最近、気に入っているのが「宇佐風土記の丘」の古墳群だ。
県立歴史博物館の建物の前にある、芝生の広がった斜面に愛らしい古墳がいくつか並んでいる。高さ1メートルほどの盛り土の中央に、平たく割った石を組んだ棺桶が組んである。
棺桶は、現在の日本人の成人男子の体格からすると小さく見える。古代人の身体が小さかったのか。膝を折り曲げて埋葬されたのか。それともすぐ近くにある前方後円墳に埋葬されたもっと偉い人の、妻や子どもの墓なのだろうか。歴史の本を読むと古墳は時代が下るほど規模が小さくなると書いてあるのだが、古墳時代のことははっきりとわからないらしいので、ますます想像がたくましくなる。
県北の海辺は11月後半から冷たい風が吹き始め、冬の間は強烈に冷え込むけれど、千数百年前に暮らしていた人々はいったいどんな服を着て、どんな暮らしぶりだったのだろう。そもそも、この平野で稲作を中心とした農業共同体をつくり上げた人々はどこからやってきたのか?この古墳群が川のそばにあるのはなぜか?
そんなことを考えながら畑のあぜ道を歩き、ため池のそばにある鶴見古墳まで歩く。草をていねいに刈り込んである古墳の、美しい乳房のような球形を眺め、そこに登ってまた考え事をする。
ここがなぜ好きなのかと言えば、とても静かな場所だからだ。聞こえてくるのは風の音と鳥の鳴き声だけ。川の対岸にはショッピングモールがあって、そこではウキウキする音楽やゲーム機が吐き出す発射音や呼びこみの声が混じり合い、充満しているだろう。騒がしさと経済はたしかに結びついていて、それは良きことに違いないのだが、時には静けさが欲しい。
古墳は今日の一円は生み出さない。数え切れない時代の変化の中で、あれやこれやをもぎり取られ、その核の部分だけが形を残した空っぽの空間だ。言い換えれば、この先、百年や二百年で価値が変わることはない確かな財産だ。
そこに立つのはとても贅沢なことだ、と思う。 |