メインタイトル:先人の軌跡 別府の伝統空間を格調の三味線音楽で支えた、和製オーケストラ。全盛時代をつくり上げた、
検番三社中の群像たち-別府市-
写真:清元さん 写真:常磐津さん 写真:杵屋さん
清元延巴華(清元) 常磐津常世志(常磐津) 杵屋栄松(長唄)
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第18回大分合同名流会(昭和52年5月29日 別府国際観光会館)長唄「三人道成寺」の舞台
大分合同新聞日曜版(昭和52年6月12日「日本の美を舞う」)
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昭和57年1月
県内各界の名士300人の下に届けられたお願い書
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中央が清元延巴華さん
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注文をすればかくも美しき姿で
(月刊 アドバンス大分 昭和53年2月号巻頭グラビア)
撮影:宮地泰彦
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日本経済新聞 昭和58年2月7日付け朝刊 大分合同新聞社から清元延巴華さんに贈られた感謝状
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鳴り物四世 田中伝兵衛さん 清元延巴華さんの遺影
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第14回博多をどりプログラム
 
”べっぷ花街の伝統が残した貴重な三味線音楽が、関西以西ではもう別府にしか残っていないとすれば、これは紛れもない観光資源。今にも路地裏から三味線の音が聞こえてきそうな浜脇界隈が、高層マンションによる再開発が決まった。しかしマンションの最上階で弾くお師匠さんの三味線の音は路地裏には届かない・・・。“

 もう12年も昔になるが、大分合同新聞発行の月刊誌「ミックス」の”一網打尽“にこんなことを書いたのを思い出す。北浜海岸から渚が消え、湯煙りの見えぬビルの乱立など、近代化の波の中で戦前から受け継がれてきた”べっぷ“の良さが姿を消してゆく。

 別府の伝統風土が生んだ和製オーケストラの気品と格調を誇った常磐津、清元、長唄の別府検番各社中の存続が成り立たなくなって久しい。全国でも類を見ない流派を超えて日本舞踊家が一堂に会する大分合同名流会を昭和35年の第一回から支えたのもこの三社中であった。逆な言い方をすれば、別府が誇る地方(じかた)社中の音に支えられてXお師匠さんたちは育っていったとも言える。

 その地方を支えるのは芸妓を束ねる検番である。ここで厳しい稽古を重ねながら一流の演奏家や唄い手が育ってゆく。その検番の危機が言われたのも20年程前。”温泉と言えば芸妓さん。観光地の花を守ろう“と別府の有志が立ち上がった。

 その中心的役割を果たした梶原三郎さん(当時別府商工会議所副会頭)はいま静養の身であるが「残念ですが20年前に終わったような気がします」という趣旨の手紙を頂いた。そして当時関係方面に配った”お願い書“が同封してあった。そのことを記事にした日本経済新聞昭和58年2月7日付け朝刊に”湯どころ別府、芸者危うし“の見出しでその原因に、地元の経済不況が響いたと書いてある。

 全盛期を支えたまず一人、清元の総帥清元延巴華(のぶともか)さん。旅館富士家の女将としても知られ、ふじ席(置き屋)を経営。満州生まれ。大正の初め父親の故郷大分の鶴崎に帰国。昭和の初め清元巴大夫(東京)に師事。

持ち前の器量の大きさで地方社中の若き日のおふじねえさんは連合艦隊を率いて時々別府に入港する山本五十六大将の大のお気に入りだった。大分合同名流会の功労者でもある。

 昭和58年引退。別府市上原町の自宅マンションに、”あなたは名流会の創設に尽力、県下邦舞会を代表する伝統行事に育て上げ、…これは伝統芸能に対する深い愛情、情熱と芸道への厳しい精進のたまもの…“と言う大分合同新聞社からの感謝状が掛けてあった。

 名流会を支えたもう一人の重鎮が長唄界の長老杵屋栄松(えいしょう)さん。検番大梅席のお母さんとして親しまれた人でもある。もともと四国出身だったが縁あって別府に落ち着き、先輩格の延巴華さんのヒキでこの世界にはいり、当時浮世小路に代表されるべっぷ花街の伝統を支えた。引き揚げ者だっただけに苦労のしみついた人で舞踊関係者から母親のように慕われた。後継者の杵屋六多満(ろくたま)さんは第一線は引いたが長唄全盛時代を築いた功績で大分合同新聞文化賞を受賞している。

 そしてもう一人が常磐津常世志(つねよし)さん。釜山から引き揚げ”扇勝“(置き屋)を営む傍ら常磐津社中を立ち上げ検番の指導に当たる。終始名流会を支える。気品のある撥さばきには定評があった。常磐津の特徴は長唄と並び歌舞伎舞踊と共に発展した。重厚な味に加え飄逸な曲調も魅力の一つ。旋律の技巧の細やかさで扇勝ファンは多かった。

 お三方は既に鬼籍にはいられた。鳴り物四世田中伝兵衛さんも今は亡い。歌舞伎囃子田中流の流れを継ぐ。別府を第二の故郷と決め60年の人生を鼓一筋に貫いた人。邦舞を盛り上げるなくてはならぬ存在であった。えば元別信理事長(現大分みらい信金)高橋豊之進さんら歌舞音曲を支える一芸に秀でた人たちが多かった。そのことが京都の祇園界隈に匹敵する伝統空間を戦前戦後にわたってしっかりと守ってきた原動力でもあった。しかし

今でも芸妓の灯を絶やすまいと頑張っている  その中の一人子花さん(茶房・萬太郎、朝見町)が
”博多をどり“のプログラムを見せてくれた。芸どころの博多は市長や会頭など有志で10年前、伝統芸能振興会が結成され検番芸妓総出演による”博多をどり“が復活している。うらやましいと言った。先人たちがつくり上げた貴重な伝統空間をどう復活させるか。古さと新しさの調和の中にそのカギはある。

 楠港埋め立て地をどう生かすか。駅前の近鉄跡地再開発も課題の一つ。満足な花道も引き幕も迫りもないビーコンプラザでは日本の邦楽邦舞の本格的伝統芸能は守れない。名流会は会場を大分に移して20年が経つ。別府には、博多座に負けない歌舞音曲の本格上演ができる入れ物作りは急務ではないだろうか。

永松 秀敏 (元大分合同新聞文化部長)
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五世清元延寿大夫さん(中央)と清元延巴華さん(右端)
別府検番全盛時代 きれいどころが一堂に  
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第21回大分合同名流会(昭和55年5月18日 別府国際観光会館)
長唄「紀州道成寺」 演奏は杵屋六多満社中、別府鼓調会
写真提供 大分合同新聞社


◆参考文献◆
◎演劇百科大辞典(全六巻、編著者 
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館代表 河竹繁俊 平凡社刊)
◎日本再発見・芸と美の伝承(安田武著 毎日新聞社刊)
◎大分合同新聞日曜版(昭和52年6月12日「日本の美を舞う」)
◎大分合同新聞夕刊「魚眼レンズ」「杵屋栄松さんの死去に思う」(昭和53年4月11日)
◎大分合同新聞月刊誌「ミックス」 コラム一網打尽「花道の一つだになきぞ悲しき」(平成4年8月)
◎大分合同名流会プログラム(昭和35年から平成16年まで)
◎日本経済新聞、昭和58年2月7日付け朝刊「湯どころ別府・芸者危うし」
◎「月刊アドバンス大分」昭和51年3月号 「芸者おふじおもいでばなし」
◎「月刊アドバンス大分」昭和53年2月号巻頭グラビア 「別府検番ヲ守ル会」 

顔写真は大分合同名流会プログラムから


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目次 特集/観光地の隠し技
おおいた文学紀行/「濁流に泳ぐ」麻生 久
先人の軌跡 /検番三社中の群像たち−別府市−
大分県立芸術会館ギャラリー

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