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おおいた文化紀行 もりおうがい 「長宗我部信親」先人の軌跡 酪農経営の先駆者 岩尾 伏次郎おおいたの色彩 墨色(すみいろ)

A Locus of Predecessor-先人の軌跡- 岩尾 伏次郎
やがて日本に乳牛の時代が来る―
の言葉を信じ明治29年日田に大分県第一号の岩尾牧場を起こす
日田郡酪農の父と呼ばれる大分県酪農経営の先駆者

(豆田の街並)明治22年、大分県日田市豆田町で初めて牛の乳搾りが始まった 3人の集合写真
岩尾仁さん、妻の岩尾博子さん、林豊さん生家の写真
岩尾伏次郎生家
 岩尾伏次郎氏(1865〜1933、旧日田郡豆田町、現日田市生まれ)が大分県で初めて牛の乳搾りを始めたのが明治22年(1889年)。百余年前。その牛舎や製品加工のプラントが日田市豆田町に現存すると聞いて出掛けて行った。
  豆田は江戸時代、天領日田の中心地として栄えたところ。観光日田の顔を守る運動が実を結び昨年(平成16年)12月、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されたばかり。古びる美しさとでも言おうか。町並みのメーン通りからちょっと郊外に抜ける田園風景の一角にその建物は残っていた。
  明治をほうふつとさせる堂々とした旧家で、「ここが乳牛がつながれていた部屋、ここが堆肥小屋、ここが乳製品の加工の部屋…」と当主の林豊さんが案内をしてくれた。吹き抜けの天井を左右に渡す梁の重厚さに日本建築の力強さを垣間見る思いであった。

当時の牛舎の写真
当時の岩尾牧場

牛舎跡の写真1
牛舎跡の写真2
今も残る岩尾牧場の牛舎跡
牛舎跡の写真3
搾乳機の写真電気メーターの写真当時使われていたケースの写真
搾乳機
 江戸の儒学者広瀬淡窓の私塾、咸宜園のすぐ近く岩尾病院の岩尾仁医学博士(77)は伏次郎氏の孫にあたる。「祖父は多少癇癪持ちだったが新しもの好きで、煩雑なことはいとわず惜しまず先頭に立って実行する意志の強い人でした」と語り、戦時中は男手が不足し中学生の時、牛小屋の掃除や牛乳配達をさせられたことはよく覚えていると話していた。仁さんが言うように祖父伏次郎氏が酪農事業に踏み切ったのは、当時栄養失調で生命を落とす乳幼児があまりにも多くこれを助けることが全てであった。なぜ日田が牧場経営の第一号だったか。明治初期日田県令(今の知事職にあたる)で赴任した松方正義(後の首相)の私費による「養育館」の設立に端を発する。それには人工栄養として牛乳は不可欠であった。松方は懇意にしていた長崎の牧師に依頼、上海からホルスタイン種乳牛数頭の輸入を実現させる。実は松方に養育館の進言をしたのは咸宜園の塾頭をしていた諌山菽村。その彼を勤勉であった伏次郎が訪ねたことから酪農への接点が生まれ、師匠と仰ぐ諌山に乳牛で新しい時代の農業を切り開いて見たらの助言で決断することになる。
 松方正義と言えば、井路作りなど公共治水事業に大きな功績を残した日田の豪商広瀬久兵衛の全面支援で完成させた広瀬井路(宇佐市)の立役者南一郎平を日本三大疏水事業の最高技術責任者として登用。明治の近代化に尽くした人材を育て上げた政治家として知られる。
 伏次郎が岩尾牧場を起こしたのは明治29年、日清戦争大勝の年であった。牧場経営は順風満帆ではなかった。親類縁者と事業の拡大を計る。しかし放牧の大量乳牛を病気で死なせると言う危機にも見舞われる。
 伏次郎の薫陶を受けた弟子であり後継者の一ノ宮村次によって、県酪農発展の礎ができる。
 大正に入り、伏次郎は農業の多角経営に踏み切る。水田をやめトマト、キュウリ、ナス、玉ネギ、甘藷など蔬菜園芸に乗り出す。伏次郎の薫陶を受けた弟子であり後継者の一ノ宮村次は独り立ちし、後に日田酪農協同組合を結成。豊前、大分の三酪農合併の橋渡し役としてその実績は高い評価を受ける。県酪農発展の礎が出来た瞬間であった。
 伏次郎のまいた酪農の種が大きく花開いていったのである。
 時代をさかのぼれば16世紀の豊後。キリシタン大名大友宗麟にポルトガルの医師アルメイダが乳牛を飼うことを進言。自費で育児院を建立。牛乳で乳児を育てたと記録にある。
前号で触れた西洋音楽発祥の地を裏付けるルネサンス音楽の奨励と共に、保健、健康、栄養の面でも宗麟が顔を出す。もっと遡れば遥か1000年前、平安貴族は「酪」「蘇」「醍醐」「乳餅」と言った乳製品を好んで食していたと延喜式の文献にある。
 大分県酪農・畜産の歴史をひもとくとそこには酪農・畜産推進役と言うか、司令塔と言うか、先見の明のあった指導者波多野俊、佐藤太一、竹光秀正と言ったそうそうたる顔ぶれが見える。今は牧場の数こそ減ったが、牛に自由に行動させるフリーストールパーラー方式を採用。規模の大型化とともに質も充実し、九州でも三指に数えられる牧場もある。 大分市の大分県酪農業協同組合に畑尾常夫代表理事専務を訪ね現状とこれからを聞いた。県内三酪農の大合併が戦後いち早く実現し体力の充実が今日の発展につながった。九州乳業の存在も心強い。酪農は日本の農業の中の重要な要素の一つ。しかし工業製品に比べれば優遇の落差はまだ大きい。飼料などの輸入関税は高い。九州の酪農をトータルで見なおす運動を進めている。その中で大分県の役割りが問われる。原点に却って新たな気持ちで ―と言っていた。かつて九州を世界の食料基地に― のキャンペーンを打ち上げた時代があった。酪農に歴史と伝統を持つ大分県の実力が問われるのはこれからではなかろうか。
鐘を作成している当時の写真寄進した鐘の作成風景 完成した鐘の写真伏次郎が周辺の寺に寄進した鐘


【参考文献】
◇大分県の産業先覚者(大分県発行)
◇大分県農業協同組合史(大分県農業協同組合中央会発行)◇大分県酪農史・県酪と九州乳業
  (古長敏明著 大分県農業振興運動協議会 農振教養シリーズ刊行会発行)
◇大分県畜産史・豊後牛の由来
  (古長敏明編著 大分県農業振興運動協議会 農振教養シリーズ刊行会発行)
◇大分県歴史人物辞典(大分合同新聞社発行)
◇日田天領(坂本武信著 天領日田刊行会発行)

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