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ロシアの名バレリーナ
エリアナ・パブロワの愛(まな)弟子として
文化振興への的確な助言を怠らず
戦後第1回全国舞踊コンクールで日本一
文部大臣賞と指導者賞を受賞
大分県洋舞踊界育ての親として知られる

 35年前。大分県芸術祭(7回)の開幕を飾ったクラシックバレエの代表作「白鳥の湖」(全4幕)。県洋舞踊協会(現おおいた洋舞踊連盟)が、「県民オペラ」に続けとばかり「結成10年目」に初めて統一テーマで取り組んだ超大作。担当記者として、3時間にわたる華やかで感動的な舞台を懐かしく思い出す。
 そのバレエ評を執筆したのが、大分県バレエ界育ての親として知られる竹内永さんだった。「はつらつとした若さ、次への飛躍を期待」という愛情溢れる長文の最後に「あの舞台で小さな舞踊家たちの真剣なひとみを私は忘れることができない。終戦後荒れ果てたこの地にそっと埋めた小さな種が、こんなにも大きく成長して花開いてくれたことを私は心から感謝したい」と結んでいる。
 その竹内さんが81歳でこの世を去って4年が経つ。バレリーナ(女性洋舞踊家)として全国に通用する県下では唯一の存在であった。本籍は広島であるが、父親の仕事(釜山日報大邱支局長)の関係で現韓国、当時の旧制朝鮮大邱公立高女を卒業。
 昭和11年。朝鮮半島公演中のロシアを代表するエリアナ・パブロワのステージに魅せられ即入門を決意し上京。彼女は白系ロシアの貴族の家に生まれ、ロシア革命で日本に亡命。横浜、鎌倉と居を移しながら大正初めのバレエ揺らん期に数多くの舞踊家を育て上げる。貝谷八百子、橘秋子、島田広、服部智恵子らはパブロワの直系である。
 竹内は東京、朝鮮往復の生活の中で終戦を迎える。父親の他界などもあり、父方の叔母の居る大分に引き揚げる。身を寄せたのが府内町でルミ洋装店や民芸の店などを営む井上家。好きなバレエでも始めたら?と叔母に勧められたのが大分でのバレエ教室の第一歩。その時の門下生はたった2人。安部峰子(故人)、佐藤朱音(県芸術文化振興会議理事長)の両氏だった。
 その彼女が弟子たちを連れて上京。昭和24年、戦後第1回の全国舞踊コンクールで見事1位の文部大臣賞を獲得。彼女自身は指導者賞を受賞する。これをきっかけに東京でバレエ指導者として本格的なスタートをきる。
 日本はテレビ時代の幕開け。NHKの開局が昭和28年、教育テレビが33年。振り付けを一手に引き受ける。コロムビアレコードからの招聘(しょうへい)、8つの研究所の主宰、生徒の中に後の日本を代表する声楽家、伊藤京子の愛娘もいた。30歳代前半の最も輝いていた時代だった。
 日本のバレエ界に竹内ありの名声はつとに高まっていった。しかしVTRなどのない番組制作。全て秒読みの生放送に追われる生活に耐えられず突然スタジオで倒れる。闘病生活の中で回復がままならずついに東京をあきらめ大分に帰る。断腸の思いだったに違いない。前述の「白鳥の湖」上演の2、3年前だったと思う。
 その後、県民バレエは創作バレエ「朝日長者」(49年)、同「おおいたの祭り」(55年)…と大作、力作を重ねていく。その都度大分合同新聞のバレエ評に必ず竹内さんの名前があった。
 県下文化界きっての論客でもあった。50年代の半ばだったと思う。相談があるというので喫茶店を営む府内町の「ぶんご」にのこのこ出掛けていった。何でも山本峯生県教育長と対談をすることになったと言う。文化施設の貧弱さ、人材が育たない、予算の少なさ、為政者の意識改革など文化復権を迫ったらと突っ込んだ話をしたのを思い出す。対談は大分合同新聞に「地域復権そのはざまに」のタイトルで上中下の3回にわたって大きく載った。文化立県おおいたの現状分析と未来展望の近来にない骨太の対談であった。
 直弟子で言えば佐藤朱音、秦野妙子、くろさあこ。クラシックの笠木啓子、モダンダンスの後藤智江さんら研究所を持つ指導者たちそれぞれの精神的支えでもあった。「感性豊かで個性が強く、天与に備わった豪爽な風格は特異な存在でした」(佐藤)「教えることの責任と重大さを教わりました。先生の創作”月に憑かれるピエロ“は忘れられません。(秦野)「強い個性とステンドグラスのような感性に引かれます」(くろさ)「常に前向きに高いレベルの助言と批判もいただきました」(笠木)「正しい助言の中で、バレエは心で踊るものと言われました」(後藤)
 療養の大分で立ち直らせてくれた精神科医に報いるために晩年、自閉症や分裂症などの精神に障がいを持つ人にクラシックバレエを教え社会復帰に一役買い大分県知事感謝状を受ける。
 自他共に許すパブロワの愛弟子。たぐいまれなバレエの才能に恵まれながら、アクシデントに見舞われ、世界に羽ばたこうとした夢は実現できなかった。しかし大分の芸術文化、特にバレエ文化に大所高所からの的確な助言と指導の功績は極めて大きい。
 お会いする度に言っていた言葉。「文化というものは無限なるカネと時間と労力の消費によってできるもの」。天国でもバレエへの夢を語り、踊り続けているのかもしれない。
バレエは心で踊るもの 指導風景
門下生にクラシックバレエの指導をする竹内さん
記念撮影
竹内永舞踊教室門下生との記念撮影
竹内さんの写真
若かりし頃の竹内さん
授賞式の写真
戦後第1回全国舞踊コンクールで第1位文部大臣賞の授賞式(昭和24年)

文化というものは無限なるカネと
時間と労力の消費によってできるもの



竹内さんの写真
(写真提供:大分合同新聞社)
受賞した門下生の記念写真
戦後第1回全国舞踊コンクールで第1位文部大臣賞に輝いた、竹内永バレエ研究所の門下生たち(昭和24年)
発表会プログラム
参考文献
◎本「七里ケ浜パブロワ館」日本に亡命したバレリーナ  (白浜研一郎著文園社)
◎大分合同新聞 竹内永先生をしのぶ  (佐藤朱音 平成14年7月8日)
◎同 人 バレエで初の精神治療(昭和63年10月28日)
◎同 バレエのルーツ・ソ連 バルーキン教授を迎えるに当たって  (竹内永 平成元年8月10日)
◎同 地方復権そのはざまに・地方と文化編(昭和54年3月9日)
◎同 県民バレエ「白鳥の湖」をみて(竹内永 昭和46年10月7日)
◎すばらしき仲間 遅咲きのバラの花(アドバンス大分)
◎芸館だより  (荘厳・華麗・古典の粋 キエフ・バレエ 竹内永 平成2年12月)


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