
日本の稲作は、二千数百年前に朝鮮半島等より伝来したと言われております。
人は、古代より、豊潤な水が流れる川を中心に集落を形成し、自然の大地を水田に変えて文明を築いてきました。
人々の生活は水と共にあり、時には自然の猛威にさらされながら、生命の源である稲作と文化・文明を守ってきました。
稲作と文明社会、それは人と水との長い闘いの歴史でもあります。
大分県にも、先人達の多大な労苦と英知を費やした貴重な土地改良施設が
多々建設され、歴史を感じさせる建設物として、地域で息づいています。
この土地改良施設は、今でも農業・農村を支えており、適正な維持管理のもと、歴史的遺産として後世に受け継いでいかなければなりません。

“白水“の名の通り、石張の堰堤一面を滑らかに流れ落ちる水は白い泡となり、細かなしぶき
は陽光を受けてキラキラと輝き、まるで白いカーテンのようです。その芸術的な水の流れの美しさは、見る者をしばし別世界に誘ってくれます。
白水貯水池は、竹田市と荻町の境を流れる大野川上流の大谷川に造られています。
竹田市と緒方町の約400haの水田、畑地を潤す富士緒井路の水源として建設されたもので、堰堤の長さ87m、高さ14m、貯水量60万tの重力式練石積
ダムです。
昭和6年から13年まで、工事に費やされ、堰堤の造りは一個一個の石を丁寧に積み上げて、見事な曲線となって、オーバーフローする水がすばらしい幾何学模
様を描いています。
さらに、右岸の武者返しや左岸の階段状のデザインは、美的感覚に優れ、おしゃれな設計で、合理性と美しさを兼ね備えたダムは大分県が誇る貴重な遺産です。
平成11年に国の重要文化財に指定されました。
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堰堤に一個一個の石を積上げ、見事な曲線を構築 |
左岸側階段式減勢工
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右岸側武者返し
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明正井路は、祖母山麓からの豊富な水を集めて流れる緒方川の水を竹田市入田出合で取水し、
緒方町と清川村をかんがいする幹線水路と分水した支線用水路で構成されています。谷は橋を架けて越え、山は隧道で掘りすすむなど、苦労の末、大正13年に
竣工したものです。
明正井路の水路橋は、全部で実に17基を数え、これほど多数の石橋を用いた大規模かんがい施設は全国的にみても珍しいものです。
明冶42年から調査を始め、会津出身の矢島義一氏が設計・施工にあたりました。幾多の試練を乗り越えて完成しました。
第一号石拱橋は、石工の扱い易い大きさに規格化された石を整層積みにした6連の石造アーチ橋で、先覚者の苦労が随所ににじみでています。
音無井路は、大野川支流の大谷川の熊本県内で取水し、延長13kmの水路によって竹田市宮砥の180haの
耕地を潤すもので、明治31年に完成しました。
井路内でたびたび水利争いが生じ、その対策として、耕地面積に応じて三地区に比例分水できるように工夫された施設が、昭和9年に施工された「円形分水」と
呼ばれる円形の分水施設です。
円形は二重で内外を仕切る壁には等間隔に小窓が設けられており、中央に湧き上がった水は小窓を通って外側の円形溝に流れ、そこでは仕切りにより3分配して
おり、小窓の数や小窓に設けられた蓋や仕切り板の高さにより分水量が調節される仕組みになっています。
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