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自由民権運動に燃えた、大井憲太郎

印刷用ページを表示する 更新日:1985年11月1日更新

1985年11月号 広報おおいた

自由民権運動に燃えた、大井憲太郎

説明

宇佐市院内町役場に建つ大井憲太郎像。昭和45年2月、明治100年記念事業で町が設置した。
天保14年、大井憲太郎は宇佐郡高並村(宇佐市院内町)の農家の三男坊に生まれ、大正11年東京の寓居に死ぬまでの80年を自由民権の旗の元に火のように燃えて生きた。幕末から明治維新へ、封建日本が近代日本へ生まれ変わろうとする波瀾激動の時代であった。薩長の藩閥政治に真っ向から挑戦、人民の政治関与を根本とする民選議員の早期開設を唱える。これに対し時期総称を訴える加藤弘之(ドイツ学者)と派手な論争を演じ、その名は天下に喧伝され、民衆の喝采を浴びる。このとき大井は馬城台二郎のペンネームを使ったので、人呼んで「馬城将軍」。馬城は郷里宇佐の馬城山(御許山)による。若い頃から、漢、蘭、仏学を学び仏法典を多数翻訳、その幅広い学識と仏法典研究で得た自由の心が一人の激情の思想家を生んだ。「人存スレバ即チ自由アリ、自由滅スレバ即チ人死ス」の主張は現在では当然だが、時代が百年早すぎた。明治初めに彼の目は百年先の今を見ていた。

場所

場所:宇佐市院内町

カテゴリー

食・文化・史跡

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