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日米草の根交流サミット大分大会
大分県知事 広瀬勝貞
来年7月、大分県で日米草の根交流大会が開催され、アメリカの市民や学生が多数やって来ます。
「それ何?」と訝る方も多いと思います。
今は懐かしい日米貿易摩擦の厳しかった頃、アメリカでこんなブラックジョークが流行ったそうです。冷蔵庫もTVも自動車もメードインジャパンに席捲される中で、アメリカのお祖父さんが孫に話しました。「昔、アメリカと日本は戦争をしたんだよ。」戦争を知らない孫の曰く「へぇー、そして日本に負けたんだ!」
これは大変だ、このままでは日米関係そのものまで冷え込んでしまう、戦後築いてきた日米の協力関係を草の根レベルまで再認識し、後世に引き継がなければならない。という訳で、この日米草の根交流事業が始まりました。1991年の京都大会を皮切りに、毎年、日米交互に開催され、100人~150人の老若男女が開催地を訪れ、ホームステイも交えて心尽くしの手作り交流をしています。
「なぜ大分県でやるの?」と二の矢が来そうです。
大分県はアメリカと結構人的な交流があります。大分県は人口当たりの留学生の数では日本一ですが、アメリカからも74人の若者が来ています。中学校に配置されている英語指導助手(ALT)76人のうち39人はアメリカ人です。既に、大分市はテキサス州オースティンと、別府市は同ボーモントと姉妹都市として往き来しています。
経済関係も緊密です。大分県には世界でも名の通った製造業の生産拠点がありますが、その多くは先ずアメリカでビジネスを拡大し、それから世界に展開していきました。
ホームステイを受け入れるとなると億劫なところもありますが、一歩踏み出してやってみると、案外心も通じ合うし、お互い教えられるところもあって、末永い付き合いが生まれるものです。7月にこれも日米の草の根の組織ですが、米日カウンシルの会議があってカリフォルニア州のいわゆるシリコンバレーに行きました。ICTの日進月歩の動向やビッグデータによる新たなビジネスの可能性など、最先端の潮流に触れ、いろいろ考えさせられました。今度は先方から来てくれるというのですから、なお良いチャンスです。
この活動を持続的に推進していくために基金が造られています。日米草の根交流の原点は太平洋を漂流したジョン万次郎と、これを救ってアメリカに連れ帰り支援したホイットフィールド船長の友情だという訳で、両名の名前を冠しています。2人の結びつきから始まる日米市民レベルの善意の交流は、両国の安定的な関係の維持発展に大きな貢献をしました。そんな草の根交流に今度は私たち大分県民が一肌脱いで協力できればと思っています。
今年は9月にカリフォルニア州サンディエゴでアメリカ大会が行われ、最終日には大分県からも代表が行って、来年のために誘客活動をしてきました。
県政だより新時代おおいたvol.96 2014年9月発行