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大分県桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)について

印刷用ページを表示する掲載日:2020年2月25日更新

大分県桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)

 当聖地は、大分市にあった旧陸軍歩兵第72連隊の陸軍墓地として設けられたもので、大分市に駐屯した連隊等の関係戦没者及び郷土出身戦没者を合祀しています。
 県では昭和30年からこれを譲り受けるとともに名称を桜ヶ丘聖地として、現在、(一財)大分県遺族会連合会に委託して管理を行っています。
☆沿革
・明治41年、旧陸軍歩兵第72連隊が大分市に駐屯した際、陸軍墓地として設置される。
・大正8年、日本がシベリアに出兵し、郷土部隊である72連隊が黒龍州ユフタで、敵の攻撃により全滅し、同年に、303基の戦没者の墓が敷地内に建立される。 
・昭和4~9年、齋南事変戦戦没者等の慰霊碑が3基建立される。
・昭和28年3月、大分県が敷地内に納骨塔を建設し、終戦当時大分連隊区司令部が保管していた分骨4,000柱と戦後外地から持ち帰った無名戦士の遺骨を納骨する。
・昭和30年3月、この旧陸軍墓地を大分県が大蔵省から譲り受け、名称を桜ヶ丘聖地とする。
大分県桜ヶ丘聖地(旧陸軍墓地)写真1
桜ヶ丘聖地写真2
☆場所  大分市志手5組他
☆面積  6,876.04平方メートル
☆主な施設等
○墓碑等
 (1)ユフタ戦没者墓碑  シベリア出兵にて戦死した軍人等の墓碑
 (2)ドイツ人墓碑     第一次大戦中に大分収容所内で病気により亡くなったドイツ人兵士の墓碑
 (3)満州事変墓碑    満州事変にて戦死した軍人の墓碑
○記念碑等
 (1)齋南事変戦没者碑
 (2)旧衞戍地埋葬者合祀碑
  ・明治37、38年戦役
  ・明治41年韓国事変
  ・大正3~9年戦役
 (3)満州事変戦没者碑
 (4)納骨塔  大分聯隊区司令部に保管されていた分骨4千柱及びその後の復員処理による遺骨を納骨
 (5)(旧)記念館  戦没者の遺品等を収蔵するために使用されていた建物
☆管理について
・大分県が大分県遺族会連合会に委託して実施しています。

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