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大分港

印刷用ページを表示する掲載日:2016年2月10日更新

概要

大分港は、瀬戸内海の西端、別府湾の中央に位置し、豊後水道や関門航路、瀬戸内海の海上交通の要衝にあります。古くは貿易港として栄え、現在は大型工業港へと変貌しました。
本港の背後に位置する大分市は、大分県のほぼ中央にあって別府湾を臨み、気候は温暖な内海型気候区に属する自然条件に恵まれた地域です。古くは南蛮貿易を盛んにし、九州文化の中心として隆盛を極めました。明治以降、県都として行政の中心となり、昭和39年1月には新産業都市の指定を受け、鉄と石油を基幹とする大分臨海工業地帯の建設を軸に、商工業都市として大きく発展しました。
本港は近代的な大型工業港である一方、唯一市民が海にふれあえる西大分地区では、西大分ウオーターフロントを核として、背後の丘陵地や別府市から大分市にかけての海岸に位置する観光施設と連携し、魅力的な賑わい空間を創造する取り組みも行われています。

沿革

約450年前、時の領主大友宗麟がポルトガルや明との交易を行った由緒ある港で、当時は我が国でも有数の貿易港でした。大友氏滅亡後は貿易も衰微したままでしたが、時代の要求により、明治末期から大正初期にかけて近代港湾としての整備が始まり、これを契機として急速に阪神地域との海上交通が盛んになり、鉄道網の整備と相まって東九州における海、陸の接点として重要な地位を占めるに至りました。
昭和2年には第2種重要港湾に指定され、昭和7年から14年までは内務省直轄事業として港湾施設の整備が行われましたが、第二次世界大戦により港湾機能は打撃を受けました。
大戦後は漸次港湾機能も回復し、昭和25年の港湾法の制定に伴い、昭和26年に重要港湾に指定され、国の管理を離れ港湾管理者(大分県)により管理運営されることになりました。
昭和30年に出入国管理令に基づく出入港の指定、昭和40年に関税法に基づく開港の指定、昭和42年に港則法に基づく特定港の指定、昭和47年に植物防疫法に基づく植物防疫港の指定を受け、順次港湾機能整備がなされてきました。
この間、日本経済の拡大に対応するため、昭和34年以降、エネルギー資源確保の目的のため石油配分基地(西大分地区)、木材積出埠頭用地(住吉地区)の整備が行われ、大分鶴崎臨海工業地帯の造成が開始されました。その後、昭和39年の大分地区新産業都市の指定などを経て、産業基盤の整備が着実に進められ、近代的な大型工業港へと変貌しました。
平成6年には輸入促進地域(FAZ)に指定され、平成8年、その中心とななる大在コンテナターミナルに水深14m岸壁、ガントリークレーンが整備、供用開始されました。
一方、港の整備とともに背後の交通網の整備も進み、東九州の物流、情報交流の拠点として大型流通業務団地の整備、九州横断自動車道や東九州自動車道の整備など背後地へのアクセスが飛躍的に向上しています。
大分港(西大分地区)
大分港(6号地、大在公共ふ頭、7号地)

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