ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 組織からさがす > 森との共生推進室 > 特別保護樹木一覧(H31.4.12更新)

特別保護樹木一覧(H31.4.12更新)

印刷用ページを表示する掲載日:2016年2月22日更新
 樹 木 名所  在所  有胸高周囲(cm)樹高(m)

推定樹齢(指定時点)

指定年月日
 1クスノキ豊後高田市新栄算所区76023600S49.3.15
 2フェニックス豊後高田市呉崎豊後高田市2001265S50.1.7
 3イスノキ杵築市大田白木原白木神社40021600S50.1.7
 4カキ豊後高田市黒土富山寿満17016.5240S50.1.7
 5イチイガシ国東市国見町赤根一円坊赤根社29027300S51.3.9
 6ケヤキ国東市国東町大恩寺文殊仙寺565301,000S49.3.15
 7クスノキ国東市武蔵町三井寺椿八幡神社79022950S49.3.15
 8イチョウ別府市大字内成大野秀永1,000301,000S49.3.15
シダレザクラ別府市大字東山安楽寺1261080S49.3.15
10ウスギモクセイ別府市大字鉄輪安波利一18210200S49.3.15
11クスノキ大分市大字下戸次楠木生八幡社1,080221,000S49.3.15
12イチョウ大分市大字広内円通寺750221,380S49.3.15
13イヌマキ大分市大字鶴崎剣八幡宮22011400S49.3.15
14ホルトノキ大分市大字八幡柞原八幡宮48025430S49.3.15
15カゴノキ大分市大字廻栖野立川幸人根元 35013150S53.3.22
16タブノキ大分市大字佐野白石昭50025350S61.4.11
17クスノキ大分市大字久土久土神社40020600H元.10.3
18トチノキ大分市大字今市高岩神社641361,200S49.3.15
19ムクノキ由布市挾間町鬼崎同尻馬見塚義人57024300S50.1.7
20クスノキ臼杵市大字井村三島神社72025600S50.1.7
21アコウ津久見市大字綱代赤崎神社36012500S49.3.15
22ウバメガシ津久見市大字中央町宮本地区220400S49.3.15
23タブノキ津久見市大字津久見谷川天満社60020350H14.1.8
24クスノキ佐伯市船頭町大分県62018500S49.3.15
25ビャクシン佐伯市大字長良真正寺330111,000S49.3.15

26

ミツウメ佐伯市大字青山高瀬精一根元 103180S51.3.9
27ナギ佐伯市弥生大字床木水無地区20416390S61.4.11

28

イチイガシ佐伯市宇目大字木浦内神崎神社60030600S50.1.7
29ナギ豊後大野市三重町上田原御手洗神社680151,000H14.1.8
30ナツメ臼杵市野津町大字野津市原高節185400S50.1.7
31ヤマモモ臼杵市野津町大字八里合正光寺37015400S51.3.9
32イチイガシ豊後大野市清川町左右知羽田野富士正1,200201,000S49.3.15
33ムクノキ竹田市大字会々竹田市47031356S51.3.9
34イチイガシ竹田市大字植木六柱神社48028254S53.3.22
35イチョウ竹田市荻町大字新藤荻神社92035387S49.3.15
36ツクバネガシ竹田市久住町大字久住戸坂アヤメ21015306S51.3.9
37カヤ九重町大字菅原佐藤良作根元 630201,200S49.3.15
38イチョウ玖珠町大字大田長尾嘉人1,10023900S49.3.15
39マツ日田市隈町八坂神社185277S49.3.15
40クスノキ日田市大字西有田大行事八幡宮440281,060S50.1.7
41イチョウ日田市天瀬町馬原穴井登士太530361,000S49.3.15
42ムクノキ日田市上津江町川原伊藤光雄1,00020

不詳

H元.10.3
43イチョウ中津市金谷町大字森の丁貴船神社42031250S49.3.15
44クスノキ中津市大字大貞薦神社1,340251,000S49.3.15
45スギ中津市本耶馬渓町跡田羅漢寺61042390S50.1.7
46シダレザクラ中津市耶馬渓町大字深耶馬光円寺26010350H10.3.20
47スギ中津市山国町中摩諏訪神社73958500S50.1.7

48

イヌマキ宇佐市大字下麻生宇佐市35417407S50.1.7
49クロガネモチ宇佐市大字下高家高家神社34015356S51.3.9
50ソテツ宇佐市大字下乙女宇佐市根元 6005.5554S53.3.22
51イチョウ宇佐市院内町西椎屋西椎屋神社1,120361,600S49.3.15
52スギ(右)宇佐市院内町斉藤藤群神社59031400H14.1.8
53スギ(左)

66032400H14.1.8
54ツバキ日田市大字高瀬高瀬秋吉2039.5350H15.2.18
55クロマツ宇佐市大字住江貴船神社28011.5300H15.4.25
56オンツツジ(南)豊後大野市朝地町上尾塚田部勇
根元 122
7.0
200
H15.7.29

57

ムクノキ国東市国見町赤根古幡社
427
7.5
300
H18.3.14
58ケンポナシ
208
22.5
200
H18.3.14
59スダジイ宇佐市大字西大堀熊野神社
580
27
500
H20.4.8
60ヤマザクラ佐伯市大字海崎字竹ノ脇中野地区

475

22.8

120  

H23.10.28

61

ヤナギ宇佐市大字江須賀宇佐市

280

5.0

不詳

H25.2.5
62イヌマキ佐伯市大字堅田佐伯市西野地区区長

354

20

480

H25.10.8

63ムクノキ宇佐市安心院町寒水江藤敏廣77028370H29.5.12

1.クスノキ

1.算所の大クス

1

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 600年
樹高   : 23m
幹周   : 7.6m
所在地 : 豊後高田市大字新栄字屋敷
所有者 : 算所区

 

来 歴
 豊後高田市大字新栄字屋敷、琴平宮の境内に聳える巨樹。ご神木。市指定天然記念物。
 琴平宮は金比羅宮とも呼ばれる。無格社。創立年代不詳。鳥居に安永3年(1774)建立の銘がある。境内にはご神木のほか、イスノキ2本、イチョウ1本があり、いずれも目通り周囲160cm余。この方は鳥居建造の前後に植えられたものと推定される。 
 クスノキの推定樹齢は、600年。樹型、生育環境、活力等から、もっと若い年代を主張する人もいる。
 当所の所在地は、標高100m余の台地で沖積世粘土層。付近は往時の瓦土採集場。土層は構造、堅密度ともに堅。かつ、踏圧つよく生育環境はきわめて劣悪。指定当時すでに主枝の枯損の記録がある。平成3年の19号台風で各枝に裂損被害を生じたが、その後、樹勢は回復傾向にあり、現在、良好な状態を保っている。
 神域せまく、さらに道路拡張等のために分断され、算所区の屋敷神さまの趣がある。鎮座地、屋敷の地名に相応しい氏神さまといえる。

↑このページのトップに戻る↑

2.フェニックス

2.呉崎小学校のフェニックス

2

樹種名 : フェニックス
樹齢   : 65年
樹高   : 12m
幹周   : 2.0m
所在地 : 豊後高田市大字呉崎1545
所有者 : 豊後高田市(呉崎小学校)

 

来 歴
 豊後高田市大字呉崎、呉崎小学校校庭に成立。南洋産ヤシの一種。呉崎小学校のシンボルとして、校歌にもうたわれている。 フェニックスはカナリー諸島原産で、日本名はカナリーヤシ。フェニックスは俗名。
 この木は明治43年(1910)、当地出身の軍艦出雲乗組員、日浦源蔵氏が、マライ半島ペナン島に寄港したとき、浜辺で拾った實5個を土産に持ち帰って播いたものという苗をそだてたのは、当時呉崎小学校に勤務していた安部彦一先生。五個のうち一個が発芽生育したのが現在の姿である。
 ヤシ科植物は幹に形成層を欠き、細胞分裂をしないで、肥大成長は一個一個の細胞が肥大するのみ。したがって、この大きさはヤシ科植物としては極限に近い。
 この木は初め呉崎小学校の旧校舎校庭に成立していたものを、昭和58年(1983)に現在地に移植したもの。移植後も活力が衰えないのは奇跡である。呉崎小のシンボルとして、関係者の愛育のたまものであろう。
 上記、フェニックスの由来については、呉小の大正7年卒業生、倉成実夫氏の記録による。

↑このページのトップに戻る↑

3.イスノキ

3

樹種名 : イスノキ

樹齢   : 600年
樹高   : 21m
幹周   : 4.0m
所在地 : 杵築市大田白木原477
所有者 : 白木神社

 

来 歴
 杵築市大田白木原字花渡路に鎮座する白木神社境内に聳える巨樹。県指定特別保護樹木。ご神木。
 白木神社は、昭和30年に、花渡路山神社に宮の木山神社を合祀したもの。前社は現在地に所在。創建は大宝元年(701)と伝えられる。
 社前の鳥居を潜って右側、石橋の手前に成立する。幹下部に大人が立って入れるくらいの空洞があり、黒く焦げている。終戦の年(1945)付近の腕白坊主どもが、洞の中に棲むフクロウを捕らえようと燻したのが因で、枯損部に延焼し、消防団が出動するほどの騒ぎになったという。
 怪我の功名で、これが空洞腐朽防止の外科手術的役割を果たしている。樹勢旺盛、老衰の兆しはない。鳥居を挟んで左側にもイスノキの伐痕があり、伐痕径から推し現在木より大きい。昭和28年6月の大雨被害によって倒伏したものという。社殿背後の社叢にも数本の大径木が成立している。当地方は古くから山野に自生するものも多く、神社境内のものも、社叢構成植物として自生したものか。ただ、鳥居の両側のイスノキと、社庭周囲のタブノキ、ムクノキ、ヤブツバキなどは、人手によって移植、管理されたものであろう。

↑このページのトップに戻る↑

4.カキ

4.真玉のおべん柿

4

樹種名 : カ キ
樹齢   : 240年
樹高   : 16.5m
幹周   : 1.7m
所在地 : 豊後高田市黒土上前田
所有者 : 富山寿満

 

来 歴
 豊後高田市黒土、所有者富山寿満家の旧屋敷跡に植えられている名木。県指定特別保護樹木。
 おべん柿の由来については、西高国語サークル編「仏の里の民話を訪ねて」第55話、河野繁文作の民話がある。それによると、昔みすぼらしい旅の修行僧が水を求めて施しを乞うたが、誰も見向きもしなかったとき、おべんという婆さんが水を与えた。僧はお礼に柿の実3個を渡した。その柿の種が芽生えて成長したのが、この「おべん柿」の元祖木になったのだと伝えられている。
 カキは、日本・中国・韓国及び北米の原産で、わが国で品種改良されて、日本を代表する果樹となった。県内に分布する渋柿系統には、川底(旧下毛郡と玖珠郡の一部)・ジージョ(旧前津江村)・田夫時(旧朝地町)・甚吉(旧朝地町、玖珠郡、旧大分郡)・祇園坊(旧安心院町)とおべん柿が代表的なものとされる。
 県内に現存する古木では、庄内町阿蘇野の「えぶくろ柿」(推定樹齢200年)が知られているが、おべん柿はこれと同年代か、それより古く、幹周り、樹高ともに大きい。
 おべん柿の元祖木は、2本並んで立っているが、指定木は入り口からみて奥の方である。大きさ、樹型、活力に差はない。秋から冬にかけて枝もたわわに実をつけている姿は、近所の名所となっている。

↑このページのトップに戻る↑

5.イチイガシ

5

樹種名 : イチイガシ
樹齢   : 300年
樹高   : 27m
幹周   : 2.9m
所在地 : 国東市国見町大字赤根字一円防
所有者 : 赤根社

 

来 歴
 国東市国見町大字赤根字一円坊、赤根社境内、南鳥居の北側に聳える巨樹。ご神木。
 赤根社は旧赤根村社。祭神は大山津見神ほか八柱。創立年代不詳。別号山祇社。正鹿山祇神を祀るに由来する。山神社とも称されるが、字仲小野、字下二ツ井の二所の山神社を明治10年本社へ合祀したためという。また、大分市の賀来神社の祭神、善神王を勧請し、当社境内で独特の大松明立の火祭り、ぜんじょう祭りが、秋の例祭に催される。ただし、善神王は幟をご神体とする伝承を守って神殿境内地にはなく、赤根社と大字畑の古幡社の境内を隔年交互に挙行するという。
 境内の南と北の入り口に鳥居が建っており、一基に宝歴9年(1759)、他の一基に文化6年(1809)建立の銘がある。
 北の鳥居の南側にもご神木と同じ大きさのイチイガシが成立しており、おそらく、神殿建築か鳥居建立のみぎり、神宿る木として献納したのではなかろうか。その他にも社庭の周辺に、イチイガシ2本、スギ、シダジイ各1本が植えられている。目通り周囲は320~350cmで、同年代の植栽かと思われる。神域は狭いが配置は単木的であり、社叢といえるような構成ではない。

↑このページのトップに戻る↑

6.ケヤキ

6.文殊仙寺の大ケヤキ

6

樹種名 : ケヤキ
樹齢   : 1,000年
樹高   : 30m
幹周   : 5.65m
所在地 : 国東市国東町大恩寺2433

所有者 : 文殊仙寺

 

来 歴
 国東市国東町大恩寺、文殊仙寺の境内、鐘楼門の北下手に聳える巨樹。社叢は、県指定天然記念物の「文殊仙寺の自然林」で、高木層はウラジロガシである。当時は、六郷満山28本寺の一つで、大化4年(648)、あるいは天武天皇7年(677)に、役小角が開いたともいう。本堂は天文7年(1538)、山門は延宝8年(1680)の建立である。
 参道両側に、スギ並木が植栽されている。本堂敷地内、ご神木に指定されているスギは、推定樹齢400年、目通り周囲400cm、樹高35m、本堂並びに山門建立の前後に植栽したもののようである。英彦山権現の配寺として興味深い。
 また、梵鐘は、応永4年(1397)、善栄の作。境内の十王像には、永和4年(1378)の銘がある。
 大ケヤキは、林冠上層構成木ウラジロガシに比べ、樹型いちじるしく奇形を呈し、国東溶岩(新第三期安山岩)に吃立して、風化土層皆無の状態にもかかわらず、いまなお、樹勢旺盛である。(平成11年度に緑の募金事業により治療)ウラジロガシ群叢が極盛相にたっする前、すでに前生樹として成立していたもので、開山後まもなく自生したものであろう。

↑このページのトップに戻る↑

7.クスノキ

7.椿八幡社のクスノキ

7

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 950年
樹高   : 22m
幹周   : 7.9m
所在地 : 国東市武蔵町三井寺
所有者 : 椿八幡神社

 

来 歴
 国東市武蔵町三井寺、椿八幡社境内、楼門前の石橋を渡った北側に聳える巨樹。ご神木。県指定特別保護樹木。
 当社は、武蔵郷の旧郷社。社記によると、天平元年(765)、三井の御座所峯に影行、後に現在地に奉斉したと記録されている。クスノキは、現在地に遷座したときに献納し、ご神木として育てられたものと伝えられる。遷座の年は、「椿社縁起」によれば治安三年(1023)、「椿八幡宮大縁起旧規略」によると文永四年1267)となっている。どちらかをとるかで、樹齢140年の開きができる。指定調書は、古い年代を採っている。
 このクスノキは武蔵郷のシンボルとして、遷座以来氏子一同が連綿と愛育してきたところ。武蔵町の町の木にも指定され、武蔵東小学校の校歌にも、「空にそびえる大くすの」と歌われている。亭々と聳えていた樹冠も、戦後の相次ぐ台風の被害で梢頭を欠き、枝葉も透けた姿になっている。社叢にはご神木クスノキのほか、クスノキ2本、ケヤキ1本、タブノキ1本、スギ約20本が成立。目通り周囲は250ー400cm。それよりやや小さいが、珍木としてオガタマノキ1本がある。何れも人手によって移し植えられたもの。旧社屋、旧社叢は野火によって焼失したが、塀の外にあったご神木は、類焼を免れたのだと伝えられる。社殿の再建は延宝六年(1678)、現社叢はそれ以後の造営である。

↑このページのトップに戻る↑

8.イチョウ

8

樹種名 : イチョウ
樹齢   : 1,000年
樹高   : 30m
幹周   : 10m
所在地 : 別府市大字内成1539
所有者 : 大野秀永

 

来 歴
 別府市大字内成字太郎丸、大野秀忠家の庭先、南西隅に聳える巨樹。雌木。市指定保護樹木。
  大野家の前を鳥越峠から朴木に通じる市道の北側、1.5mぐらいの崖上にあり、道路に沿った水路にまで板根を下ろしている。乳根(気根)もみられる。
 根元近くに薬師如来堂が建っており石像を安置している。縁起不詳。乳のでない婦人が薬師如来に祈願して、イチョウの樹皮を煎じて飲むと、乳がでるようになるという言い伝えがある。また、樹下に「一五番 山城国観音寺」と刻んだ石碑が建っている。薬師如来堂とともにイチョウの縁起が知りたいところ。日本地名大辞典(大分県版)によると、近世の内成村には寺社が多いが、内成村七仏七社の七仏(御許山蓮台寺・二葉山善光寺・観開山東蓮寺・梨洞山石城寺・西雲山西蓮寺・悟護山大応寺・帰国山極楽寺)のなかにもその名はない。石碑の刻字も鮮明、石像の色彩も鮮やか、あるいは近代の造営になるものか。
 イチョウは老大木にもかかわらず、根元下の農耕用水に夏期通水しているためもあって、いまも樹木の状態は良好である。樹冠は東西27m、南北20mに広がり、占有面積は400m2を越えている。夏の終わりには多数の実をつける。

↑このページのトップに戻る↑

9.シダレザクラ

9.安楽寺のシダレザクラ

9

樹種名 : シダレザクラ
樹齢   : 80年
樹高   : 10m
幹周   : 1.3m
所在地 : 別府市大字東山
所有者 : 安楽寺

 

来 歴
 別府市大字東山字城島、真宗大谷派東光山安楽寺の寺庭、石段を上り山門をくぐると、鐘楼の南側に成立する巨樹。
 安楽寺は、県道東山-庄内線、城島公民館の庄内よりに建立されており、縁起によれば元禄13年(1701)の開基。本堂の造営は天保3年(1833)。再建は昭和3年と伝えられる。
 シダレザクラは山野に自生するウバヒガンザクラ(一名エドヒガン・アズマヒガン)の変種で、イトザクラとも称される。漢字表記姥彼岸はウバヒガンザクラの略で、姥歯無きを葉無きに喩えたものという。(牧野日本植物図鑑)
 このサクラの親木は、大正10年に150年生ぐらいで枯死。3本の株萌芽枝が成長していたが一本は風で倒れて現在二本が残っている。樹幹の広がりは、東西15m、南北13m。その威容は親木にそっくりだという。南側の幹は大きく南に傾き2本の支柱で支えているが、枝葉は道路上に広くかぶさっている。
 鐘楼の北側にイチョウの巨樹があり、目通り周囲216cm。サクラとともに本堂造営のさいの植栽と思われる。初代のサクラが本堂造営前の天明年間(1781~89)に、すでに成立していたとの言い伝えには疑問が残る。寺庭にはこのサクラとイチョウのほか、めぼしい樹木はない。

↑このページのトップに戻る↑

10.ウスギモクセイ

10. 鉄輪のウスギモクセイ

10

樹種名 : ウスギモクセイ
樹齢   : 200年
樹高   : 10m
幹周   : 1.8m
所在地 : 別府市大字鉄輪
所有者 : 安波利一

 

来 歴
 別府市大字鉄輪熱の湯通り、旅館富士屋(当主安波利一氏)の庭園に植えられている庭園樹。
 モクセイは中国の原産。漢名は厳桂。金桂(キンモクセイ)・銀桂(ギンモクセイ)・丹桂(ウスギモクセイ)などの品種名の総称。ウスギモクセイは花色が淡黄白色であることに由来している。
 幹の根元は空洞化しているが、その中に、幹周り40cmと38cmの若い株を取り込んでいる。空洞外周が腐朽剥脱する前に、不定支根を地上に降ろしたもので、空洞化した樹木にはときにみられる現象である。
 このモクセイは、明治40年、家屋造営のさい、利一氏の祖父利吉氏が、旧在所の北中(ほくじゅう)から移し植えたものという。邸内には同時に移植した数本のサツキの古い株もある。
 樹幹は円筒形に刈り込まれており、東西4.6m、南北4.4mの広がり。若い株を取り込んでいるためか、樹勢は旺盛であるが、樹木本来の姿(自然型)ではない。

↑このページのトップに戻る↑

11.クスノキ

11. 楠木生八幡社のクスノキ

11

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 1,000年
樹高   : 22m
幹周   : 10.8m
所在地 : 大分市大字下戸次
所有者 : 楠木生八幡社

 

来 歴
 大分市大字下戸次字楠木生、楠木生八幡社の境内、神殿の北側に聳える巨樹。ご神木。
 神域の広さはおよそ0.5ha。ほかに、クスノキ・イチョウ各三本、エノキ・ムクノキそれぞれ一本の巨樹がある。ご神木に次ぐクスノキの目通り周囲の大きさは312cm。ムクノキは450cm。指定木の幹は地上4mぐらいで四本に分岐、それぞれに支幹を形成し、それからまた多くの枝に岐れ枝葉を大きく広げている。樹幹の占有面積はおよそ10a。神域の1/5を占めている。
 社伝によれば、北朝の延安元年(1356)、このクスノキに八幡大神の御影が顕れたので、神殿を造営して移祀したと伝えられる。ご神木の別名は影迎木。この地の呼称楠木生の由来でもある。
 楠木生村は江戸期~明治8年の村名。文禄3年(1594)早川長敏領のとき、豊臣秀吉検地条目制定。楠木生地名はそのころが起源とされる。
 このクスノキは環境庁発行「巨樹・巨木林調査報告書」1991年版によれば、目通り周囲の大きさでは、樹種別県内第3位。全樹種を通じて第8位。

  ↑このページのトップに戻る↑

12.イチョウ

12

樹種名 : イチョウ
樹齢   : 1,380年
樹高   : 22m
幹周   : 7.5m
所在地 : 大分市大字広内441
所有者 : 円通寺

 

来 歴
 大分市大字広内字福良、天台宗九鹿猪山円通寺の境内に聳える巨樹。ご霊木。市指定名木。
 円通寺開山は百済僧日羅上人。本尊は千手観音。縁起によると、日羅が山を登るとき、九匹の鹿猪が道を開いてくれたことが命名の起であるという。九六位山の呼称の謂いでもある。鎌倉時代に大友貞観が堂宇を再建、十二坊を建てたと伝える。天正14年(1586)、島津軍との兵火に遭い廃墟となる。寛永9年(1632)、量海法印が寺跡のイチョウの大樹の洞にかくしてあった本尊を見出し中興した。その子清雄法印、堂宇改築、梵鐘を寄進したと伝える。
 参道の石段をのぼったところ、楼門の手前、なだらかな石畳道の西側に聳立する。南北に3本並んで成立しているが、ご霊木は南側のもの。中央と北側の2本は同株で、中央のものは既に枯死し、北側のものはその萌芽枝が成長したもの。目通り周囲の大きさは、南から800cm、380cm、425cmの順。 
 ご霊木の幹は、地上2mの辺りから複雑に分岐しているが、1本の主幹と3本の支幹に大別される。東側の1本の支幹は、2mぐらいで朽ちて折損し、折損部からの萌芽で新支幹を形成している。主幹は分岐点から3m辺りでさらに三股に分岐しており、平面写真では判明しにくいほどに交叉している。世紀の風雪に耐え、その間兵火にもまみえた歴史の重みを象徴している。

↑このページのトップに戻る↑

13.イヌマキ

13樹種名 : イヌマキ
樹齢   : 400年
樹高   : 11m
幹周   : 2.2m
所在地 : 大分市大字鶴崎3丁目
所有者 : 剣八幡宮
 

来 歴
 大分市東鶴崎3丁目、旧郷社剣八幡社の社庭、神殿東側に成立する老大木。市指定名木。
 幹は地上8mで二股に分岐しているが、台風被害を防ぐため、それより3mぐらいを残して切断されている。東側の支幹に3本、西側の支幹に数本の萌芽枝が成長し、新支幹を形成しつつある。
 隣接して南側にムクノキの老大木がある。市指定名木。目通り周囲240cm、樹高30m、屹立していた雄姿も平成3年の19号台風で、10m辺りで折損被害をうけ、老醜をさらす姿になっている。折損部分の落下により神殿の屋根は大きく壊された。
 また、それより南10mぐらいを隔てて、チョウセンヤマナラシの巨樹も聳えていたが、台風被害を防ぐため地上10mで切断してある。
 当社の創建は正保2年(1645)、社伝によると、宇佐八幡の宝剣が飛来して、神木にかかったのを奇端として、藩主細川光久公が社殿を造営したと伝えられる。剣社の呼称の由来。当地はキリシタンが多く、キリシタン対策として神祇崇拝を奨励したという。
 神域の広さはおよそ20a。当地は通称「藪の内」と呼ばれ、樹木繁るところとされているが、社庭周辺に成立している樹木は、上記3本のほかは、メタセコイヤ・クスノキ・スギなど、何れも近年に植えられたもので社叢といえるものはない。

↑このページのトップに戻る↑

14.ホルトノキ

14.柞原八幡宮のホルトノキ

14樹種名 : ホルトノキ
樹齢   : 430年
樹高   : 25m
幹周   : 4.8m
所在地 : 大分市大字上八幡
所有者 : 柞原八幡宮
 

来 歴
 大分市大字上八幡、旧国幣小社柞原神社境内、表参道楼門手前東側に聳立する巨樹。
 社伝によると、当社は天長4年(828)、延暦寺の金亀和尚が八幡大菩薩宇佐宮に、千日参籠して示現を蒙り、分霊を奉じて同7年創祀。承和3年(837)宝殿造進。現在の本殿は安政年間(1654~60)、楼門は元和9年(1623)の再建。神仏混淆の「宮寺方式」で、神仏判然令までは僧侶が祭祀官であったという。表参道のスギ並木に、天台密教の修験行者の巨杉信仰の跡が偲ばれる。
 指定木のホルトノキが自然ばえのものか、人為で育てたかは議論のわかれるところ。社殿背後のスダジイ・コジイ・イチイガシ林のなかには、自然ばえの幼・壮令木が点在するが、年代の開きが大きく、天然更新の連続性は疑わしい。社庭のイチョウ、参道のスギと同じように人為で育てられたものと思う。
 幹は地上6m辺りから一主幹、三支幹に分岐して四周に広がり、樹冠占有面積は200m2に達している。ホルトノキを南蛮貿易ゆかりの渡来種とするのは誤り。印度・中国・台湾・日本中部以南に自生。和名モガシ。ホルトノキはオリーブの漢名、斉蝶果を音写して訛ったものとされ、黒藍色楕円形の漿果と、紡錘状の核がオリーブに似ているところからの誤用という。

↑このページのトップに戻る↑

15.カゴノキ

15. 廻栖野立川邸のカゴノキ

15

樹種名 : カゴノキ
樹齢   : 150年
樹高   : 13m
幹周   : 根元3.5m
所在地 : 大分市大字廻栖野
所有者 : 立川幸人

 

来 歴
 大分市大字廻栖野字塚野、立川幸人家の屋敷内に聳える巨樹。市指定名木。
 立川家は国道442号線、田園橋から南に入り、塚野公民館の南にむかい、巨木群に囲まれた広壮な邸宅を構えている。
 カゴノキはこの屋敷の北側道路脇に成立。並立してバクチノキ・シロダモ・ヤブツバキの巨樹がある。バクチノキの目通り周囲は200cm。北側の道路を少し東に下ったところ、同家の屋敷林内にアラカシとヘラノキの巨樹がある。アラカシの目通り周囲は200cm、市指定名木。
 カゴノキの根元近くに、通称「八幡様」の小石祠が鎮座。カゴノキは八幡様のご神木とされる。
 アラカシの根元近くにも、通称「お殿様(おとさま)」と呼ばれる石造無縁塔が建っている。もとは五基あったというが、いまは一基のみ。アラカシとヘラノキはこのお殿様のご神木。古老の伝承によれば、この地は聖地といわれ、周囲は竹林であったがタケノコは1本も生えず、地区民に崇敬されていたという。
 一個人の邸宅に、八幡様やお殿様の石祠や石塔が建ち、ご神木とされる巨樹のほか、バクチノキやシロダモなどの名木が存在する由緒が知りたいところ。当主立川幸人氏の言によれば、父は2歳のとき死別。系図は火災で焼失。縁起についての伝承は憶するところがないという。

↑このページのトップに戻る↑

16.タブノキ

16. 佐野荒神社のタブノキ

16

樹種名 : タブノキ
樹齢   : 350年
樹高   : 25m
幹周   : 5.0m
所在地 : 大分市大字佐野1677
所有者 : 白石 昭

 

来 歴
 大分市大字佐野、所有者白石昭家の西北およそ250m、馬場公民館裏(北側)の農道行き詰まり、小高い丘状の台地の南隅に聳える巨樹。市指定名木。
 主幹は地上2m辺りで3本の支幹に分岐、南側の支幹と中央の支幹との間に空洞があり、この空洞のなかに荒神のご神体を安置してあるというが、いまは空洞が癒合して、なかの様子は窺えない。根元近くの北側に荒神社の小宇が建ち、石祠が安置され、ご神体の身代わりにご幣を納めていると聞く。
 現在洞跡には小さいシュロの木が自生しているが、中央の支幹は両側のものに比べて樹皮の色が淡く、洞部分から発生した萌芽枝が、支幹に成長したようにもみえる。
 むかし、この地では子供が育たないので、洞の中に荒神を祀って、ご神木として信仰したに創まるとされる。荒神は三宝荒神ともいい、仏、法、僧の三宝の守護神。三面六臂で怒りの相を表し、竈の神として信仰される。
 荒神社の背後は、モウソウチク・ヒノキなどが植えられ、いわば、屋敷林的経営形態で、荒神社も屋敷神としての色彩を濃く醸している。西側は小さな崖を隔てて、佐野川が流れ、南と東は水田に接している。タブノキの由来については拠るべき資料がない。あるいは、自生種でこの地方の近世の森林構成の指標となる貴重な遺産かもしれない。

↑このページのトップに戻る↑

17.クスノキ

17. 久土神社のクスノキ

17

樹種名 : クスノキ

樹齢   : 600年
樹高   : 20m
幹周   : 4.0m
所在地 : 大分市大字久土
所有者 : 久土神社

 

来 歴
 大分市大字久土、久土神社の境内、正面入口の石段を上ってすぐ右側、鳥居の手前に聳立する巨樹。ご神木。市指定名木。
 久土神社は久土川の左岸、昭和井路と交叉するところから、およそ400m上流に鎮座する。神域の広さ約170a。
 クスノキは地上3mぐらいで、第一枝が支幹となって二股状になり、主幹はそれより3mぐらいでさらに数本の支幹に分岐して傘状に大きく枝葉を広げている。樹冠の占有面積は280m2。踏圧はげしい環境にもかかわらず、樹勢は極めて旺盛である。
 社庭にはクスノキのほか、ムクノキとタブノキの巨樹がある。目通り周囲の大きさは、240cmと360cm。ムクノキは市指定名木。
 当社の祭神は天照皇大神ほか三神。往時の呼称は神明様。明治元年の神仏判然令により諸社を合祀して久土神社と改称。創祀年代不詳。寛文10年(1671)、社殿を造営。社庭のクスノキ・ムクノキ・タブノキは、永徳2年(1382)年に植えられたものと伝える。

↑このページのトップに戻る↑

18.トチノキ

18. 高岩神社のトチノキ

18

樹種名 : トチノキ
樹齢   : 1,200年
樹高   : 36m
幹周   : 6.4m
所在地 : 大分市大字今市
所有者 : 高岩神社

 

来 歴
 大分市大字今市、高岩神社の境内に聳える巨樹。ご神木。
 高岩神社は国道442号線、今市公民館近く、バス停高岩神社入り口に第一鳥居がある。そこからの表参道はつぶれて畠となって通れない。第二鳥居からは石畳の狭い道が残っている。第三鳥居からは七十二段の急勾配の石段が続き、さらに十二段の石段上に鎮座する。裏参道も狭い回り道で、大型車の通行は困難である。
 縁起によれば、当社は天安2年(858)、紀州熊野本山の神主田辺少納言が、熊野三所権現の分霊を奉じ、豊後国津守宮熊野三所大社を造営した。さらに当地が景勝にして、神霊鎮座にふさわしいとされ、高岩宮熊野三所大社の神殿を建立したとされる。
 トチノキは貞観5年(863)、田辺少納言が、熊野本宮に津守宮鎮座、高岩宮遷宮の経緯を報告に参宮したさい、実を持ち帰り奉記の記念に植えたものと伝える。ご神木はその時の一本で、神殿前社庭の南西隅に成立、幹は地上8mで6本の支幹に分岐(1本は折損して分岐点で切断)、東西29m、南北30mに枝葉を広げ亭々と聳えている。他に2本が神殿背後の北西側に残っている。トチノキのほかは、神殿背後の社庭にナギ2本、イスノキ・バクチノキ・タブノキ各1本、神殿前十二段石段東脇に、イチイガシの巨樹、名木がある。イチイガシの目通り周囲の大きさは420cm。

↑このページのトップに戻る↑

19.ムクノキ

19. 鬼崎馬見塚邸のムクノキ

19

樹種名 : ムクノキ
樹齢   : 300年
樹高   : 24m
幹周   : 5.7m
所在地 : 由布市挾間町鬼崎同尻
所有者 : 馬見塚義人

 

来 歴
 由布市挾間町鬼崎字同尻、馬見塚文雄邸に聳える巨樹。
 馬見塚家は三代続いた造り酒屋。当主の父義人氏は、元町長、県議会議員。死後廃業、当主は大分市に転出。広壮な邸宅も庭は荒れ、住宅・酒蔵は廃屋となっている。
 ムクノキは、母屋裏の酒蔵の東側に、建物を覆うように樹冠を広げている。樹冠占有面積はおよそ60m2。蔵内を常温に保つための配慮という。酒蔵の背後は堤防なしに大分河畔につづき、樹下に二基小石祠が鎮座する。祭神不詳。水神・火神を鎮めるために建立したものであろうか。ムクノキとの縁起もわからないが、水神・火神やどる神木として石祠とともに崇めていたのではなかろうか。今は護るべき家もなく、あたら椋鳥の宿るにまかせている。
 ムクノキの幹は、地上6mで二股に分かれ、それぞれに分岐して傘状の樹冠を形成している。河畔で日陰地のせいか、数本の不定根が地上に匍い、みごとな板根を形造っている。熱帯雨林ではよくみられる現象だが、暖帯林では珍しい。
 国道210号線バス停「向の原入口」、馬淵橋付近より眺める、馬見塚邸のムクノキの雄姿は、同尻土囲のシンボルであり、往時の土豪の大邸宅を忍ばせるに充分である。

↑このページのトップに戻る↑

20.クスノキ

20. 三島神社のクスノキ

20

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 600年
樹高   : 25m
幹周   : 7.2m
所在地 : 臼杵市大字井村
所有者 : 三島神社

 

来 歴
 臼杵市大字井村、旧郷社三島神社社叢に聳える巨樹。
 コンクリート舗装の裏参道を登ったところ、神域南際の林縁、水田に接して成立している。
 三島神社の主祭神は大山祇命。本社は伊予今治ノ浦に浮かぶ大三島に鎮座。大山祇命は天照大神の兄神、日本総鎮守三島天神と称され、那智(河野)水軍の守り神。徳治2年(1307)河野対馬守道有の嫡男柚ノ木谷八郎忠道、御分霊を奉じて芝尾に着岸、仮殿を建て安置。翌延慶元年、現在地に遷宮したと伝えられる。
 表参道入口の鳥居に宝歴3年(1451)建立の銘がある。表参道の石垣や石畳、社庭の造園等神域の整備はこのころのことであろう。社庭の南隅、裏参道よりの入口の鳥居東側に、御神木のスギがある。目通り周囲330cm。
 社叢の自然林のなかの大径木には、そのほかにクスノキ2本(325cm・340cm)、ホルトノキ2本(370cm・340cm)、タブノキ1本(435cm)の巨樹が吃立している。この群叢構成から推して、社叢の自然林は遷宮後の造成になるものであろう。
 指定木のクスノキの主幹は、地上7mのところで折損。その辺りから六本の支幹に分岐し、かつ、近接して並立する、大きい方のホルトノキと樹冠錯綜して、全体として北に傾いてみえる。

↑このページのトップに戻る↑

21.アコウ

21樹種名 : アコウ
樹齢   : 500年
樹高   : 12m
幹周   : 3.6m
所在地 : 津久見市大字綱代
所有者 : 赤崎神社
 

来 歴

 津久見市大字綱代字奥、旧村社天満神社(通称赤崎天神)の境内を蔽う巨樹。市指定天然記念物。
 赤崎小学校校舎の西端裏、三十三段の石段を登ったところ、津久見湾に面した丘陵上の南端、大きな岩石にへばりついて生育している。樹冠占有面積はおよそ600m2。樹下に赤崎天神が鎮座してる。当社は、もと大字日見の天神ヶ浦に元禄2年(1689)に創始。亨保2年(1717)現在地に遷座。大正7年崖崩れの災を避けて、アコウの北側から南側に移転した。境内の北端に金毘羅社が、向かい合って建っている。縁起にもアコウの樹下に遷座とあるから、270年前すでに大木だったことがうかがえる。そこのアコウの発祥、ならびに生態については、赤崎小学校理科クラブ(四-六年生九名)の、1990~1991年の二年間に亘る興味深い観察記録がある。海流や漂着物の調査を行って、沖縄や台湾からの漂着物があることを確かめ、アコウのタネや根の一部が漂着し、この地に根を下ろしたのではないかと推測。伝承の正しさを裏付けている。
 アコウは赤崎小の校章にも配され、シンボルとなっている。秩父系粘板岩の岩上に、東西三株に分岐して根を張っている。真ん中の一番古い株は、樹高3.5mで折損。幹はすでに朽ちて、空洞の一部を残すのみ。西側の大きい方の根回り周囲は910cm、東側の小さい方は610cm。岩にへばりついて下がった気根は、地上にのびて六株の分幹に成長しつつある。

↑このページのトップに戻る↑

22.ウバメガシ

22. 姥目公園のウバメガシ

22

樹種名 : ウバメガシ
樹齢   : 400年
樹高   : 9m
幹周   : 2.2m
所在地 : 津久見市中央町7-1
所有者 : 宮本地区

 

来 歴
 津久見市中央町、姥目公園内に繁る古木。
 中央町は大字津久見浦の一部で、昭和42年の成立。日豊線津久見駅の開業以来、数次にわたって埋め立てられた地区で、姥目、塩屋、角尾崎などの海浜に因む地名を残している。姥目の地名も、ウバメガシ繁る里に由来する。
 ウバメガシは、この公園の中央部に横たわる老樹で、姥目公園のシンボル的存在。津久見駅の開業は大正5年。駅東側の津久見浦の海岸は、埋め立てによって市街化し、大字津久見浦は中央町をはじめ、八町の現行地名分離独立した。姥目海浜のウバメガシ林で、いまも残っているのは2本だけである。他の1本は津久見駅の西隣の、麻生正義氏の庭先に残る巨樹。目通り周囲262cm、樹高10m余。県指定天然記念物。(姥目のウバメガシ)
 公園のウバメガシは、幼壮時より浜風の影響を強くうけて、大きく西に傾き、地を這うように伸びている。重心を自力で支えることができず、中央部3m、梢頭部3.5mのコンクリート枠で支えている。梢頭部は7.7mで折損している。
 この横たわった主幹から幹萌芽が簇生し、多数の支幹で樹冠を形成している。公園の管理は宮本区。公園の北側に住む鈴木智統氏が、公園の清掃、樹木の保護に奉仕している。

↑このページのトップに戻る↑

23.タブノキ

23. 谷川天満社のタブノキ

23樹種名 : タブノキ
樹齢   : 350年
樹高   : 20m
幹周   : 6.0m
所在地 : 津久見市大字津久見
所有者 : 谷川天満社
 

来 歴
 津久見市大字津久見字谷川、谷川天満社の境内に聳える巨樹。市指定天然記念物。

↑このページのトップに戻る↑

24.クスノキ

24. 住吉ロータリーのクスノキ

24

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 500年
樹高   : 18m
幹周   : 6.2m
所在地 : 佐伯市船頭町
所有者 : 大分県

 

来 歴
 佐伯市船頭町、旧郷社住吉神社の元ご神木。
 住吉神社は住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)と神功皇后を祀る。臼坪の五所明神の一所の神であったものを、宝歴3年(1753)、白潟の若宮八幡社境内に末社として創建。佐伯藩船手組の守護神として崇敬厚かったことから、文化3年(1816)、船手組の本拠地船頭町に遷宮。その地域を住吉と呼ぶようになったという。明治中期に郷社に昇格、船頭町全域の氏神となる。昭和36年国道386号線開設にあたり、市道一つを隔てた中江川河畔に遷宮。神社跡は住吉ロータリーとなっている。 
 クスノキはこのロータリーの中央に保存されている。枝下高、北側5m、南側3.5mのところから、それぞれ数枝に分岐、支幹を形成している。交通障害のため、北側の大支幹1本、南側の中支幹1本を切除しているが、なお、南北18m、東西15mにも枝葉を広げ、樹冠占有面積は200m2にも及んでいる。
 このクスノキは住吉に遷宮のさい、ご神木として白潟の元宮より移しうえられたものと伝えられる。撤去が問題となったとき、永らくご神木として崇めてきたものを、伐採するに偲びないと、船頭町全体の氏子200戸の嘆願と、巨樹・巨木保存に理解のある行政側の後盾もあって、残屋保存に成功した。いまでは、ロータリーの象徴として、広く佐伯市民に親しまれ、道行く人々の心と眼を癒している。

↑このページのトップに戻る↑

25.ビャクシン

25. 真正寺のビャクシン

25樹種名 : ビャクシン
樹齢   : 1000年
樹高   : 11m
幹周   : 3.3m
所在地 : 佐伯市大字長良200
所有者 : 真正寺
 

来 歴

 佐伯市大字長良字市谷、真宗大谷派真正寺の山門内左側、白壁の土塀にそって佇立する巨樹。
 主幹は地上1.5mあたりから、臥伏して支柱で支えられ、梢端部のみが直立して樹冠を形成している。樹冠の腐朽著しく、健全部はわずかである。
 昭和25年、二股に分岐して、塀の外に伸びていた大支幹を、樹冠下の水田が陰地になるとの苦情で切除したことも、呼吸作用を圧迫して、腐朽を早めた一因と考える。
 寺歴不詳。住職由良賢明氏の話によると、慶長18年(1614)、天台宗比叡山延暦寺の末寺、法音寺の寺跡に、由良國義の弟にあたる人が建立したものとされる。同姓ながら、現住職との系累不明。由良國義実在の記録は、史実に見えるという。法音寺の寺歴、ビャクシンの来歴についても一切不明。ビャクシンはビャクダンとも俗称される。当寺のビャクシンも、長い間ビャクダンと呼ばれて、地域の人々に親しまれてきた。香木の白檀はビャクダン科の広葉樹で、インド南部、チモール、ジャワの原産。ヒノキ科のビャクシンとは別種。
 ビャクシンには園芸品種が多く、匍匐性のものから直立するものまで、ヒノキ葉状のもの、スギ葉状のもの、両方の葉をつけるものもある。ハイビャクシン・タチビャクシンなど、和名もさまざまである。
 指定木は、寺名に因んで真正ビャクシン、近江伊吹山の系統に列したい。

↑このページのトップに戻る↑

26.ミツウメ

26. 棚野「高瀬邸」のミツウメ

26

樹種名 : ミツウメ
樹齢   : 180年
樹高   : 3m
幹周   : 根元1.03m
所在地 : 佐伯市大字青山7285
所有者 : 高瀬精一

 

来 歴
 佐伯市大字青山字棚野、高瀬精一氏宅の庭先にある梅の古木。
 「三つ梅」の呼称は一花に2~4個多くは3個の実をつけることに由来する。
 約190年前に市内堅田地区より現在地に移植されたとされ、又祖先が藩の刀持であったとも伝えられているので、藩より拝領の品か出所が定かではない。
 主幹は地上1m付近で大きく五分岐(東北の支幹は切断)しそれぞれ伏臥直立ち、入り乱れた大枝細枝を出し直径約7mの半球型のみごとな樹冠を形作っている。(毎年5月刈込剪定を行う)
 梅の寿命は約300年、100年を超えると幹に空洞を生じるといわれるが本樹も主幹部は材部腐朽し空洞を生じている。花は小輪(茎3cm前後)重弁(16枚)紅梅芳香花期は12月より翌年2月まで、1月下旬から2月上旬が見頃。実は5月下旬に熟し小梅より少し大きめ(短茎1.0~1.5cm)苦渋味強く美味ではない。梅の一変種公称「ざろんばい」(座論梅、重葉梅ヤツウメ、三品梅)白花と紅花とあり、座論梅という名の起こりには諸説がある。初め一花に数果(3~8個)結果するが熟するに随って落ちるもの多く、残るは2~3個で「実りの座を争うに似たり」、又、応永年間に二人の住持が左右位置の座論をし勅命により上座下座が定まりその時賜った梅が一花に二果実った、又、宮崎県新富町の「湯の宮の座論梅」は座論梅音頭にもなっているが、これは所在地の所有権の座論又実を拾う場所決めの座論からと伝えられている。或いは大小枝の格好が人が立膝をして座論している格好に似ているからとも言われ定かではない。

↑このページのトップに戻る↑

27.ナギ

27. 愛宕社のナギ

28

樹種名 : ナギ
樹齢   : 390年
樹高   : 16m
幹周   : 2.04m
所在地 : 佐伯市弥生床木
所有者 : 水無地区

 

来 歴
 佐伯市弥生床木字水無に鎮座する愛宕社の、参道石段の登り口、崩壊した鳥居の左背後に聳える巨樹。雄木。
 加藤清正の朝鮮出兵のさい、毛利公の家臣が持ち帰って植えたものと伝えられる。同じ伝聞のものに「五所明神のナギ」、「洞明寺のナギ」、「宿善寺のナギ」があり、何れも県指定天然記念物。
 当社のナギは、樹冠下部の枝を頻繁に除去したこともあって、前記三本に比べ樹型はやや見劣りするが、同来歴のものと思われる。ともに保存して歴史の証人とするため、特別保護樹木に指定したもの。愛宕社はこの地方の村々に鎮座しており、弥生町の現行政区一二大字のうち、大坂本、江良、尺間、堤内、床木の地に祀られ、床木には字一ノ瀬と水無に二社がある。一ノ瀬愛宕社は旧村社、水無愛宕社は無格社であったという。
 この弥生町内の愛宕六社は、何れも尺間山愛宕神の分霊を勧請して祀ったもので、修験霊場に相応しく険阻な石段の上に造営されている。水無愛宕社の七九段の野面石積の石段は、なかば崩落して苔むしているものの、他社の検知石積の整然と並ぶものより、むしろ、森厳な趣がある。
 鳥居は崩壊して銘不詳。背後に二基の神灯が献納され、文久4年(1865)、建立の銘がある。神域には寺跡も残っており、神仏習合時代は修験行者の往来も繁かったと伝えられる。現在の氏子は8戸。往時賑わった6月24日と11月24日の夏冬の祭りにも、参詣する人はまばらである。

↑このページのトップに戻る↑

28.イチイガシ

29

樹種名 : イチイガシ
樹齢   : 600年
樹高   : 30m
幹周   : 6.0m
所在地 : 佐伯市宇目大字木浦内
所有者 : 神崎神社

 

来 歴
 佐伯市宇目大字木浦内字払鳥屋、旧無格社神崎神社裏山の社叢に保存されている巨樹。10数本のイチイガシ巨木群の中の最大径のもの。
 地上11.5mのところから四枝幹に分岐しているが、1本は風害をうけて切断され、三枝幹で樹冠を形成している。
 神崎社の祭神は抜土十六柱神・菅原道真霊で、天満社であったものを、明治初年に字神事谷に鎮座していた大山祇命を招聘して合祀したもので、山神社の性格ももつ。古来傾山山麓には猪鹿が多く棲息し、狩猟も盛んだったことから、山入りに祭し安全と豊猟を祈願したものであろう。神社に接して四軒の民家があるが、現在も猪害に悩まされているという。
 平成2年編集の宇目町史社寺編神崎神社の脚注に、「往古神武天皇此ノ地ニ駐御アラセラレシトキ、此ノ地方全テ陰森タル山林ナリシヲ、人民生息スルニ及ビ神地ヲ開キシモノナラン」と誌している。
 イチイガシは祖母・傾山系山麓の、肥沃で湿潤な地帯に、極盛相として広く分布していたが、人斧入るに従って姿を消し、宇目町ではこの社叢の地域と、鷹鳥屋神社社叢と傾山麓に残存林が僅かにみられる。社叢にはイチイガシのほか、スダジイ・コジイ・クロガネモチ・ヤブツバキ・アオキ・メグスリノキなどが混生しているが、構成種は単純である。社前に目通り周囲330cmと、253cmのスギとヒノキの巨樹が聳えているが、社殿造営後の植栽になるもの。

↑このページのトップに戻る↑

29.ナギ

29. 御手洗神社のナギ

30

樹種名 : ナギ
樹齢   : 1,000年
樹高   : 15m
幹周   : 6.8m
所在地 : 豊後大野市三重町上田原947
所有者 : 御手洗神社

 

来 歴
 豊後大野市三重町上田原字馬場、旧村社御手洗神社の鳥居の前に聳える巨樹。県指定天然記念物。ご神木。
 株は主幹を中心とする幹の群れと、北東側にやや離れて斜上する3本の支幹が集まって、大きな株にまとまっている。幹の内部には空洞がある。枝張りは東に9m、西に8m、南に3m、北に10m程度である。雌株で秋には結実する。
 古書によると、宝亀2年(771年)に光仁天皇が豊後の国を訪れた時、熊野(現在の和歌山県)から西国の方まで光があふれる夢を見た。天皇はこの夢を何かのお告げと感じ、太政大臣の藤原公孝を豊後の国に向かわせた。彼が豊後で光のありかを探っていると、水を満々とたたえた泉がある霊地を見つけたので、御手洗神社と名付け社殿を建立した。この時、天皇の夢で出てきた熊野にある熊野神社から、ナギの枝を持ってきていたので上下逆さまに地面にさしたところ、自然に生育して現在の大木になった、と記されている。その書物から推定すると樹齢は1000~1200年と考えられている。
 なお、熊野神社は天皇家が古くから信仰している神社で、ご神木はナギであり現在でも巨木がある。これと御手洗神社のナギが同じかどうか不明だが、ナギの巨木を眺めていると古代の出来事に思いを馳せずにはいられない。

↑このページのトップに戻る↑

30.ナツメ

30. 普現寺のナツメ

31

樹種名 : ナツメ
樹齢   : 400年
樹高   : 8m
幹周   : 1.85m
所在地 : 臼杵市野津町大字野津市
所有者 : 原 高節

 

来 歴
 臼杵市野津町大字野津市、嵯峨山普現寺境内、本堂前の寺庭中央部に成立している名木。
 寺記によれば、当寺は曹洞宗月桂寺末寺。開基は普現寺殿。開山は覚菴和尚。いまの地での再興一世は大安智端和尚。現住職原高節和尚は一六世。開山は天正の始め(1573~)、再興は天保年間(1644~48)とされる。
 寺域は広壮で、高い石段を築き、石垣を廻らせた、小高い丘上の台地に、大迦藍を構え、ナツメのほか、トガ・センダン・イチョウ・イロハモミジ・ギンモクセイ・クス・タイサンボクなどの庭園樹を配し、気有壮大な寺院建築である。ことに、本堂前に安置されている普現菩薩の銅像は、一一世泰源井悟と一二世錦嶺禅悦和尚が、二代三年を費やして鋳造したもので、天保13年(1843)年の建立とされ、その威容は寺域をさらに森厳なものにしている。楼門を囲む白塀の外域の広大な寺有林は、常緑広葉樹を主とする自然林で、スギやクヌギも混植してあり、林の一部は椎茸栽培のほだ場となっている。
 ナツメは地上1mぐらいのところから二股に岐れ、目通り周囲はそれぞれ121、128cm。老齢のため樹皮の表面は腐朽化し、ノキシノブが各部に着生し幹の北半面は苔で蔽われている。そのため、樹勢衰弱、枝葉の伸びにも活力がみられない。寺域で一番古いナツメは、開山か再興まもなく植えられたものであろう。

↑このページのトップに戻る↑

31.ヤマモモ

31. 正光寺のヤマモモ

32

樹種名 : ヤマモモ
樹齢   : 400年
樹高   : 15m
幹周   : 3.70m
所在地 : 臼杵市野津町大字八里合
所有者 : 正光寺

 

来 歴
 臼杵市野津町大字八里合字名塚、浄土真宗西本願寺派正光寺境内に聳える巨樹。雄木。
 寺記によると、開基一世善貞和尚は、天正年間(1573~92)、旧名塚村に草庵を結び正光寺と号したが、門徒との不和で退院、無住寺となる。後に廃寺民家となる。現代の正光寺は、旧名塚村の富農石高10石の吉良石衛門上尉の居宅。その子 孫三郎が相続して出家、善慶と号し二世住職となる。寺院の建物は吉良家の居宅。現世吉高泰之は一五世住職。再興年代不詳。
 寺の正面20数段の石段のうえに建つ古刹だが、楼門、鐘楼のほかは迦藍の面影は薄い。
 ヤマモモは境内北西隅に成立。幹の南側、地際1mのところに、直径75cmの大きな空洞があり、地上3、5mの折損部まで通っている。折損部のすぐ下から発生している第一枝と第二枝は、二股状に分岐して支幹となっている。西側の第二支幹の下から発生した萌芽枝は、垂直に伸びて主幹に替わっている。第二支幹の梢頭も2mぐらいで折損しているので、樹冠は西に偏っている。
 このヤマモモは、再興後の寺歴とともに生きてきた老大木で、枝葉にはなお活力がみられるものの、幹枝の損傷による樹冠の不整型はいなめない。寺域にはヤマモモのほかはめぼしい庭園木はなく、枯死したカヤの残骸とイチョウの中径木が存するだけである。目通り周囲は200cmと220cm。

↑このページのトップに戻る↑

32.イチイガシ

33

樹種名 : イチイガシ
樹齢   : 1,000年
樹高   : 20m
幹周   : 12.0m
所在地 : 豊後大野市清川町左右知
所有者 : 羽田野 富士正

 

来 歴
 豊後大野市清川町左右知、羽田野富士正氏所有林。奥嶽川上流(宇田枝川)右岸河岸段丘上に聳える巨樹。幹周りの大きさでは樹種別全国第1位。(1991年環境庁調べ)
 御嶽山(標高560m)の頂上より2kmぐらい下がったところ、林道間の内線から少し入った国有林との境にある。奥嶽山山頂一帯は秩父古世層からなり、常緑広葉樹の天然性林が残っている。尾根部のイチイガシ・アカガシ・スダジイを高木層とする部分は県指定天然記念物。(御嶽の原生林)
 頂上に御嶽神社が鎮座し、行袴権現を祀る。山神社。山麓に御嶽麓社があり、その上宮にあたる。近世、山腹に御嶽堡(杉ヶ城)があり、加藤長房が拠る。天正12年(1586)、島津軍の攻撃に遭い落城。城域一帯の現大字宇田枝は近世の宇田枝村。寛政3年(1791)の村高四〇五石、五六戸、二二九人と記録されている。
 また、明治10年の西南の役のときは陸軍参謀本部がおかれ、作戦の中心地になったという。(清川村誌)
 いまは人跡未踏にみえる御嶽山一帯も、往時は人の出入りも繁く、この付近の林相が人類文化の影響を全く受けていないかどうかは疑わしい。指定木のイチイガシは、このうち数少ない天然林の極盛層群落の残存木の一本であろう。主幹は地上19mぐらいのところで折損、中心部は空洞になり、胴の直径は170cm、西側の幹下部は大きく開け、胴のなかは黒く焦げている。胴中に石祠を祀ってあるが祭神不明。近くに板碑があり、「大乗妙典一宇石塔」明和5年(1772)建立の銘があるが、石祠との関わりについて知る人はいない。

↑このページのトップに戻る↑

33.ムクノキ

34

樹種名 : ムクノキ
樹齢   : 356年
樹高   : 31m
幹周   : 4.7m
所在地 : 竹田市大字会々
所有者 : 竹田市

 

来 歴
 竹田市大字会々、おたまや公園の東南隅、稲葉川沿いに成立する、いわば菩提の木。
 おたまや公園は岡藩主中川公の菩提寺、碧雲寺の墓地庭園区域にあたり、史跡公園として整備中である。遺蹟の構成は、寺院の迦藍区域と歴代藩主、老職、歴代住職の墓域及び池(竜吟池)などの庭域からなる。碧雲寺は慶長17年(1612)、二代藩主中川久盛によって建立。久盛候の藩主在位は、慶長17年~慶安4年の39年間。三代藩主久清は藩務に没頭し、墓所も久住町七里田にあるところから推して、碧雲寺の迦藍の造営、竜吟池の築設、馬場の整備、庭園木配置等、すべて久盛の手になるものと思われる。
 この庭園は戦後の一時期、製材所の敷地となって、竜吟池もなかば埋められ庭園木も殆ど消滅した。当時の面影をとどめるのはこのムクノキのみで、おたまや公園のシンボル的存在となっている。
 久盛候在位は、いまより340~380年前、樹齢推定のてがかりとなっている。

↑このページのトップに戻る↑

34.イチイガシ

35

樹種名 : イチイガシ
樹齢   : 254年
樹高   : 28m
幹周   : 4.80m
所在地 : 竹田市大字植木
所有者 : 六柱神社

 

来 歴
 竹田市大字植木字横入、六柱神社の境内に成立する巨樹。ご神木。
 六柱神社は別称横入りさま。磐土命ほか五柱の神を祀る。六柱神社の称号の由来。直入郡誌によると、大宝元年(701)、和田裏(豊後水道)の海士石宮を供奉三宅山にきたる。このとき、海士烏帽子を石にすえる。その所を烏帽子石または烏帽子岳となずけて、石祠を安置した。翌2年正月今の地に遷座。と縁起を繙いている。
 三宅山は、竹田市と朝地町の境にあり、標高372m、最高峰を烏帽子岳という。頂上に大石あり、烏帽子に似ているところから、故事にならって、烏帽子石と称するようになったというのが石祠の由来。
 万治3年(1660)、熊沢蕃山が岡藩主中川久清に招かれ、この山に植林を勧説し、峰にマツ、沢にスギを植えたことが記録されている。一説には、中川久清いまの地を三宅山本宮の下宮とさだめ、ここから石祠を遙拝したと伝えられる。口伝にすぎないが、下宮参道の石段の両側に聳える一○数本のスギの巨木と、三宅山山麓の植林とが連想されて興味深い。
 ご神木のイチイガシは、参道のスギよりは古い年代のもので、自生していたものを神宿る木として、大事に育ててきたものと思われる。

↑このページのトップに戻る↑

35.イチョウ

36

樹種名 : イチョウ
樹齢   : 387年
樹高   : 35m
幹周   : 9.20m
所在地 : 竹田市荻町新藤
所有者 : 荻神社

 

来 歴
 竹田市荻町新藤、荻神社境内に聳える巨樹。ご神木。
 荻神社は旧村社。景行天皇ほかを祀る。創建年代不詳。毎年4月下旬、春の例祭で奉納される「ゆたて神楽」は、県指定無形民族文化財。約400年前から伝えられる勇壮な神楽で、当日は近郊近在から善男善女が参拝し、湯を浴びて無病息災を祈る。門外不出の五神面もある。
 ご神木のイチョウは、慶応2年(1866)の大火で北側の樹皮を焼き焦がしている。地上5mのところに乳根を生じ、さらにその上5mのところにケヤキが着生し、高さ20mに達している。
 生育環境、樹型、着生植物等から推して、ゆたて神楽創始のころには、すでに神宿る木として崇められていたのではなかろうか。樹皮の焼焦、ケヤキの着生等、竹田市大字城原の城原神社境内の大イチョウと類似して因縁深い。
 環境庁発行「巨樹・巨木林調査報告書」(1991年版)による目通り周囲の大きさでは、県内第4位。

↑このページのトップに戻る↑

36.ツクバネガシ

36. 猪鹿狼寺のツクバネガシ

37

樹種名 : ツクバネガシ
樹齢   : 306年
樹高   : 15m
幹周   : 2.10m
所在地 : 竹田市久住町大字久住
所有者 : 戸坂アヤメ

 

来 歴
 竹田市久住町大字久住、天台宗久住山猪鹿狼寺門前の小高い丘の上に成立する巨樹。塚脇に居住している戸坂アヤメ氏の所有。
 当寺の縁起によれば、建久4年(1119)、将軍源頼朝は富士の巻き狩りに先立って、梶原景高と仁田忠常、阿蘇大宮司の許に遣わし、巻き狩りの作法を学ばせた。両人は帰途久住高原で巻き狩りの演習をしたが、久住山が殺生禁止の山だったため、頼朝に言上。のち頼朝は高原の中にあった、本宮の大和山慈恩院を久住山猪鹿狼寺と改称させ、山の神の怒りを鎮めたと伝えられる。名跡猪鹿狼寺跡は、現在の久住山南登山口付近にある。寛永年間(1624~1644)宝棕法院によって現在地に遷されたと伝えられる。細川候の祈願所としても著名である。
 塚上にはツクバネガシのほか、カヤ・ムクノキ・アラカシ・ヤマザクラなど、ほぼ同年代と思われる数本の巨木が混生しているが、天然性のものではない。
 この塚は狩りの獲物の供養を行って、山の神を鎮めるために築設したのではなかろうか。ツクバネガシをはじめ一群の樹木は、神宿る木としてこの塚を守り鎮めるために植えられたものと考えたい。
 当寺の遷座は今からおよそ350年前、塚上の樹林の年代ともほぼ一致する。

↑このページのトップに戻る↑

37.カヤ

37. 菅原の大カヤ

38

樹種名 : カヤ
樹齢   : 1,200年
樹高   : 20m
幹周   : 根元6.30m
所在地 : 九重町大字菅原
所有者 : 佐藤 良作

 

来 歴
 九重町大字菅原、菅原天満宮と浄明寺の中ほどにあたり、水田に囲まれてこんもり繁る老大木。
 根元より二股に分岐し、南側の大きい方の目通り周囲は490cm、小さい方は216cm。大きい方が主幹で空洞がある。小さい方は年代を隔てて、萌芽が株立ちしたものである。また、大きい方にも、小さい方にもキズタが纒繞し、それぞれ径25cm、15cmに達している。東側の根元近くには目通り周囲120~150cmのイヌガヤ三本が株立ちしそのため神社側からは、こんもりとした森にみえる。 
 菅原天満宮前に掲示してある「榧の木の由来」記によれば、延喜元年(901)三月、菅原道真公が太宰権師に左遷される途中、刺客の眼をさけるため、浄明寺(当時は天台宗安全寺)の住職で在京時の学友観応を訪ね、1カ月滞留した。滞在中にこのカヤの壱の枝で自像を刻み、形見として観応に送ったのが現天満宮のご神体「南無天満大自在天神」とされる。この故事に因んで草谷村を菅原村にあらためたという。
 菅原天満宮はもと安全寺内に習合していたが、寛永10年(1633)、浄土真宗に改宗、寺号も浄明寺と改称したとき、現在地に遷座した。別称「赤兵子天満宮」の号にも、菅公に因んだ故事が伝えられている。伝承のカヤの木が現存木とすれば、樹齢は1000年をはるかに超すことになるが、真木大堂の四体のカヤの仏像彫刻とおなじく、歴史のロマンとして大切に伝えたい。

↑このページのトップに戻る↑

38.イチョウ

39

樹種名 : イチョウ
樹齢   : 900年
樹高   : 23m
幹周   : 11.0m
所在地 : 玖珠町大字大田
所有者 : 長尾 嘉人

 

来 歴
 玖珠町大字大田字石坂、所有者長尾家墓地(現廃墓)の北西隅に聳立する巨樹。雄木。
 イチョウは幹に大きな洞があり、コウモリ、クロヘビなどが群棲していたが、昭和の初年、隣接のクヌギ林の火入れの余火が飛び火。丸2日間燃え続け消防車も出動する騒ぎになったという。しかし、そのため腐朽部は炭化し、患部の外科手術的役割を果たしている。そのためもあって、老樹にもかかわらず、旺盛な生育をつづけている。ただ、平成3年の19号台風で、樹幹北側の二股状に分岐していた第一側枝が折損し、残った枝葉も手痛い打撃をうけ、こんもりしていた樹冠もいまは透けてみえる。
 イチョウの根元に石像を安置した石祠が鎮座している。平井六天神の一つといわれる。平井天神は玖珠郡衆の一人、豪族平井殿が文永の役(1274)、弘安の役(1281)に出兵して凱旋するとき、戦勝記念に太宰府より天満天神を招請して、平井台地一帯に配したとされる。
 同町太田の小川通安氏(玖珠町教委)の調査によれば、六天神は平井区の各土囲(石坂・中組・下組)に、石像または木像が石祠、小堂に納められ、その傍らに大木や大木の根株が残っているものがあり、創祀以来、霊木として崇めていたのではなかろうかという。石祠の一つに延宝○年(1670年代)の銘がある。石祠、堂宇の建立は後代のことであろう。

↑このページのトップに戻る↑

39.マツ

39. 八坂神社のむらくもの松

40

樹種名 : マツ
樹齢   : 277年
樹高   : 6m
幹周   : 1.85m
所在地 : 日田市隈町2丁目
所有者 : 八坂神社

 

来 歴
 日田市隈町二丁目、八坂神社境内に成立するクロマツ。庭園樹仕立て。市指定天然記念物。
 伝えるところによれば、隈八坂神社は宝永元年(1704)、代官、室七郎左衛門によって再建された。このマツは、そのとき隈町年寄、高倉喜左衛門が献納したものという。一説には翌宝永二年、隈町の森善兵衛という人が、品質優秀な数本の苗木を京都から取り寄せて、境内のあちこちに植えたものの1本であるとも伝えられる。
 地上80cmの幹周りは200cm、地上1mのところから二股に岐れて横に這い、東に20m、西に15m、全長35mに及んでいる。樹高5m。樹型の誘導も見事なら、保育、剪定の技術にも優れ、歴代宮総代の精魂こめた管理の跡がうかがえる。
 当社は有名な日田祇園祭りの守護神で、祇園社または祇園天神とも称される。そもそも八坂神社の宗山は、京都祇園に鎮座する旧官幣大社八坂神社。別号祇園神社の由来は貞観18年(876)、僧円如が牛頭天王を祀ったとも、白雉9年(667)、新羅の牛頭山の神を祀ったともいう。牛頭天王は天竺の祇園精舎の守護神である。
 「叢雲の松」の苗木を京都の地に需めたのも、宗山の縁にあやかったものか。

↑このページのトップに戻る↑

40.クスノキ

40. 大行事八幡社のクスノキ

41

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 1060年
樹高   : 28.0m
幹周   : 4.40m
所在地 : 日田市大字西有田
所有者 : 大行事八幡宮

 

来 歴
 日田市大字西有田字大行事、旧石松村社、大行事八幡社のご神木。
 参道の石段を上ってすぐ左側、拝殿に接して成立し、ほぼ同年代のエノキと並立している。ご神木。
 社記によると、当社は日田郡主大蔵永将によって創建されたとされる。宇佐八幡が一の宮、日田の大原八幡と京都の男山八幡が二の宮、当社は鎌倉の鶴岡八幡とともに三の宮にあたる。(中村市三郎氏調査)
 石段の左側にイチイガシの巨木が成立し、七五三縄を巻く、第二ご神木か。神宿る木の風格は本尊に優る。昭和の初年一〇数本のクスノキが林立し、鎮守の森の面影を残していたというが、いまは前記のほかは、神殿裏にクスノキとカヤの中径木が数本残っているだけである。
 指定時(S51)の推定樹齢1060年は創建の年に一致するが、生育環境、樹型より推して、文明17年(1485)、石松城主大蔵鑑正によって再建されたとき、献木したものとみるのが妥当ではなかろうか。なお、亨保18年(1733)にも、石松村氏子一同によって再建したことが記録されているが、当時はすでにご神木として亭々と聳えていたものと思われる。

↑このページのトップに戻る↑

41.イチョウ

42樹種名 : イチョウ
樹齢   : 1000年
樹高   : 36.0m
幹周   : 5.30m
所在地 : 日田市天瀬町馬原
所有者 : 穴井 登士太
 

来 歴
 日田市天瀬町馬原字高塚、高塚愛宕地蔵尊の境内、参道最後の石段の上り口の左側に聳立する巨樹。ご霊木。県指定天然記念物。
 寺伝によると、天平12年(740)、僧行基が聖武天皇の命をうけ、筑後に下った帰りにこの地に立ち寄り、イチョウの木の下で、天下泰平、豊国繁栄の祈りを続けているうちに、イチョウの木の乳房の型をした珠玉があらわれた。瑞祥をよろこんだ行基は自ら一体の地蔵像を刻んで安置したという。乳の少ない婦人は、自分の歳の数だけの乳頭を布ぎれでつくって、イチョウの木に括りつけると不思議に乳がでるようになると伝えられる。神仏習合の形式を今に残した珍しい地蔵で、善男善女の参詣が後をたたず、正月三ヶ日の参拝は県内でも宇佐神宮についで多いという。イチョウ台地は、参道開設のさい斜面をけずって均したため、イチョウの南側の根元は2.5mの石垣をきずいて埋められている。そのため、イチョウは株立ち状となり、主・支幹一〇本余、その後に萌芽したものを加えると大小二〇余株を数える。
 総株の外周は地表で15.3m、主株の目通り周囲は465cm、総株の樹高20m。落雷の被害をうけて梢頭が裂損し、亭々と聳える樹型ではない。
 縁起によると、行基が燦然と輝く珠玉をみたとき、イチョウはすでに5人で取り囲むほどの大きさであったと伝えている。樹齢は想像の範囲をこえるが、生半可な樹木学の知識で類推するよりも、伝承は伝承として尊びたい。

↑このページのトップに戻る↑

42.ムクノキ

43

樹種名 : ムクノキ
樹齢   : 不詳
樹高   : 20m
幹周   : 10.0m
所在地 : 日田市上津江町大字川原字浦手野
所有者 : 伊藤 光雄

 

来 歴
 日田市上津江町大字川原字浦手野、伊藤鶴松家の裏手、小高い塚状の丘のうえに聳立する巨樹。
 環境庁発行「巨樹・巨木林調査報告書」(1191年版)によると、目通り周囲の大きさ10mは樹種別で県内第一位。平成3年の19号台風で二股の支幹が裂損したが、なお、600cmの主幹を残している。この大きさでも県内順位の一〇指内に入る。
 このムクノキは「山の神」宿る霊木と伝えられ、村人の山入り、狩はじめの安全を祈願する霊場でもあった。かって、この木の根元には千手観音を祀る小堂が建っていたが、屋敷の拡張、道路の拡幅などのため崖状地となり、参拝が危険となったため、下手の道路脇に遷座している。
 残存主幹にも大きな空洞があり、かつ、偏った樹冠のために南に傾いている。南崖下に伊藤家の母屋があり、直撃の危険にさらされている。伊藤家は、「県指定」の重みもあって、伐採をためらい、下手の安全な場所に新居を建設した。村人共有の霊木として後世に遺す意志は尊いが、自然保護のあり方を問われることがらでもある。
 また、このムクノキは年々たわわに実る木の実をもとめて群れ集う小鳥の楽園としても、近在に知れわたっている。

↑このページのトップに戻る↑

43.イチョウ

44

樹種名 : イチョウ
樹齢   : 250年
樹高   : 31.0m
幹周   : 4.20m
所在地 : 中津市金谷
所有者 : 貴船神社

 

来 歴
 中津市金谷に鎮座する貴船神社、別号金谷神社の表参道の鳥居を潜ってすぐ左側、社前東南隅に聳える巨樹。ご神木。
 当社は高おかみ神など三神をまつる。口碑伝えるところによると、ご神体苞に包まれて、山国川を流れていたのを拾いあげて祭祀したという。天明7年(1788)の創建とされ、故事に因んで「スボの宮」とも号し、金谷区の氏神である。
 そもそも貴船神社の号は、京都北山の貴船山に由来するもので、旧官幣中社貴船神社(京都市左京区)が宗山である。古来乞雨、止雨などの水神として信仰厚いものがある。
 貴船神社は県内に105社鎮座し、合祀されたものを含めると481社あるという。(郷土史家高橋三郎氏調べ)宇佐郡、下毛郡に多く、中津市内にも九社が配されている。小玉治美氏(郷土史家)によれば、江戸中期に日出町大神、国東町岩屋、宇佐市沖の須などで貴船講が普及し、それにともなって貴船社を勧請した例があるというが、当社の創建も江戸中期(八代将軍吉宗のころ)にあたり、当社を含む近郊九社もそのころの招請かと思われる。
 金谷貴船社は由緒ある縁起にもかかわらず、社叢にはイチョウのほかめぼしい巨樹は見あたらない。社庭を囲んで点々と成立している小・中径木は、戦後記念樹的に植えられたものであろう。社域も狭く、いわゆる鎮守の森らしい森厳さは醸されていない。

↑このページのトップに戻る↑

44.クス

44. 薦神社のクスノキ

45

樹種名 : クスノキ
樹齢   : 1000年
樹高   : 25m
幹周   : 13.4m
所在地 : 中津市大字大貞
所有者 : 薦神社

 

来 歴
 中津市大字大貞、旧県社薦神社、別名大貞八幡社の境内の入口、東向きの三重の楼門の前、旧流鏑馬場に樹冠をひろげる巨樹。
 目通り周囲の大きさでは、全樹種を通じて県内第1位。平成3年の19号台風の被害で枝葉の傷みが著しいが、新萌芽が族生しつつあり樹勢回復の兆しをみせている。
 薦神社の謂われは、養老4年(720)、隼人の乱鎮圧に宇佐八幡の託宣があり、大神諸男は三角池の薦で枕をつくり、神輿に納めて征討に出発した。このことからお薦刈り行事がはじまり、承和年間(834~848)、ここに社を建て薦神社と号したと伝えられる。薦はむしろの謂いで、枕にしたのは菰(マコモ)のことと思われるが、神社の称号としては、薦の方が尊厳がある。明治元年の神仏分離令以前は八幡大明神とも称され、中世には六坊があり、近世には上修院、南坊、新坊に住職が定住していたという。神社の神域は、かっては二六町歩余を擁した社叢の大密林も、第二次大戦の進展にともない軍需用地に転用され、内宮の薦池も埋め立てられてしまった。神域周辺に残されている一〇数本のクスノキの巨木が、僅かに昔日の面影を残している。
 神殿裏側の第二ご神木のクスノキは、目通り周囲610cmに達し、七五三縄を廻らせている。クスノキの樹齢を推し量る手だてはみつからない。

↑このページのトップに戻る↑

45.スギ

45. 羅漢寺の大スギ

46

樹種名 : スギ
樹齢   : 390年
樹高   : 42m
幹周   : 6.1m
所在地 : 中津市本耶馬渓町跡田
所有者 : 羅漢寺

 

来 歴
 中津市本耶馬渓町跡田、天台宗羅漢寺のご霊木。旧参道の中程、仁王門を少し昇ったところに聳える巨樹。傍らに横井家墓地ほかの墓地群がある。
 平成3年の19号台風で梢頭部をはじめ枝の大部分に手痛い打撃をうけ、樹冠はすっかり透けてみえる。樹皮に落雷の跡と思える裂傷もある。アオスギ系。
 寺の縁起によると、延文五年(1360)、僧昭覚がこの地の石窟に住み、僧建順とともに羅漢菩薩500体を刻んだと伝えられている。のち足利義満(1358~1408)、羅漢寺の寺号を与え、管領細川頼之が諸堂迦藍と仏舎利を納める宝塔を造営したという。旧参道もほぼ同年代の開設かと思われる。
 石畳の旧参道は門前より仁王門まで610m、九州自然歩道に編入されている。門前の智剛寺から仁王門の手前、禅海堂までの参道両側には、二〇数本のスギ、ヒノキがあり、昼なお暗いほど鬱蒼と繁っていたが、前記19号台風の被害で半数が倒され、残存木も枝葉の傷みがひどく、往時の森厳さは失せている。
 ご霊木は2本ならんで聳立していたというが、いまは一本のみである。慶長5年(1600)、臨済宗より曹洞宗に改宗、そのころ仁王門の改宗か造営が行われ、同時にご霊木も植えられたのではなかろうか。

↑このページのトップに戻る↑

46.シダレザクラ

46. 光円寺のシダレザクラ

47

樹種名 : シダレザクラ
樹齢   : 350年
樹高   : 10.0m
幹周   : 2.60m
所在地 : 中津市耶馬渓町大字深耶馬
所有者 : 光円寺

 

来 歴
 中津市耶馬渓町大字深耶馬、光円寺に聳える巨樹。市指定天然記念物。
 浄土真宗本願寺派竜求山光円寺の御神木であるこのシダレザクラは、天文2年(1553)に玖珠郡八幡村志津里にあったものを移転し永住再建され現在に至るものと伝えられています。
 境内のしだれ桜は樹齢350年以上といわれ、門前の町道上に10m四方にたれさがっており、開花の季節には見事な花を咲かせる。

↑このページのトップに戻る↑

47.スギ

47. 諏訪神社の大スギ

48

樹種名 : スギ
樹齢   : 500年
樹高   : 58m
幹周   : 7.39m
所在地 : 中津市山国町中摩字庄屋
所有者 : 諏訪神社

 

来 歴
 中津市山国町中摩字庄屋、諏訪神社の神殿裏に聳える巨樹。
 樹高60m余は県内の樹木では最高の高さ。当社は康歴年間(1377~1380)に、この地に土着した信州諏訪源氏系の武士の一族によって、信州諏訪神社から勧請したものとされる。神仏分離令によって、諏訪神社と号するまでは諏訪大明神と呼ばれ、英彦山系天台密教の修験場で、密教系の遺蹟、遺品が数多く残っているという。近くの丘の上には、往時大行事社が鎮座していたといわれ、地名を大行事と名付けている。
 また、近くに文殊堂があり、鎌倉期のものとされる木彫りの天部像が安置されている。神社創建以来からすでに修験場として開山していたことがわかる。ご神木のスギは諏訪大明神勧請のとき、神宿る霊木として修験行者の寄進になるものか。おそらく、英彦山系の「行者スギ」系統のものを挿し木したものであろう。樹幹に霜裂痕がみられるのも、風雪にたえた長い年代が偲ばれ神さびて尊い。アヤスギ系で樹皮によじれがみられる。

↑このページのトップに戻る↑

48.イヌマキ

49樹種名 : イヌマキ
樹齢   : 407年
樹高   : 17.0m
幹周   : 3.54m
所在地 : 宇佐市大字下麻生
所有者 : 宇佐市
 

来 歴
 宇佐市大字下麻生、旧麻生中学校の廃校跡、旧校門を入ってすぐ左側、運動場の西南隅に吃立する巨樹。
 戦前、この地は旧郷社麻生神社の仮宮(御旅所)の在ったところ。麻生神社は大字麻生字台に鎮座し、仲衰天皇ほか二三神を祀る。治安3年(1023)、宇佐八幡より勧請したもの。別称麻生八幡社。
 仮宮を守り鎮める樹木としては、このイヌマキ1本が残っているだけで、他は中学校建設のときに切り払われている。ご神木であったというこのイヌマキにも標徴する七五三縄もない。
 イヌマキは暖地森林に自生する常緑高木。倒卵型暗紅色の実は食用となる。往時はスギをマキと呼び、本種はスギに劣るところから犬マキと称したという。(牧野日本植物大図鑑)
 幹周りの大きさでは樹種別全県第1位。(1991年環境庁調べ)目通り周囲300cm以上のものは県内に3本だけ。第2位は別府市八坂神社の350cm、第3位は庄内町笛加倉の300cmである。ご神木としても珍しく、この木のほかは、大分市鶴崎の剣八幡社(220cm)ぐらいであろう。

↑このページのトップに戻る↑

49.クロガネモチ

49. 高家神社のクロガネモチ

50

樹種名 : クロガネモチ
樹齢   : 356年
樹高   : 15.0m
幹周   : 3.40m
所在地 : 宇佐市大字下高家
所有者 : 高家神社

 

来 歴
 宇佐市大字下高家、旧高家郷社、高家神社の神殿右側に聳立する巨樹。
 ご神木は神殿左側に成立するクスノキ。ほぼ同年代の植栽と思われる。
 当社は、天慶3年(940)、筑前宗像大社の分霊を勧請して創祀したものという。明治維新前の称号は宗像神社、神祇は宗像宗臣氏。由緒ある神社ではあるが、区画整理の煽りをうけて神域も狭められ、旧郷社の風格をいちじるしく削がれている。
 神殿両側の2本の巨木のほかは鎮守の森らしい植生はなく、寛永、寛政のむかし、神祇建築の粋をつくした拝殿、本殿建築の威容にもかかわらず、神域の森厳さに重みを欠くのが惜しまれる。
 拝殿は寛永18年(1641)、本殿は寛政3年(1791)の建立。現在の本殿はその後に改築したもの。クロガネモチとクスノキは拝殿再建の記念として献木したものと伝えられる。
 クロガネモチは樹勢旺盛であるが、平成3年の19号台風で樹冠上部の主・支幹ともに切断されて、梢頭部を欠く姿になっている。ご神木のクスノキも台風による傷みがひどく、吹き飛ばされた枝葉の傷口から無数の萌芽が族生し、寄生木状にみえる。樹勢の衰えが憂われる。

↑このページのトップに戻る↑

50.ソテツ

50. 八幡小学校のソテツ

51

樹種名 : ソテツ
樹齢   : 554年
樹高   : 5.5m
幹周   : 根元6.0m
所在地 : 宇佐市大字下乙女
所有者 : 宇佐市

 

来 歴
 宇佐市大字下乙女、八幡小学校校舎前、校庭の東隅に築かれた卒業記念庭園に植えてある名木。 
 庭園前に建っている銘石の由来記によると、この大ソテツは下乙女に住む中島頼種氏が、文明5年1473)、豊後佐賀関より入手、移植されたと伝えられる。昭和32年、創立80周年記念事業として特別寄贈をうけ、中島今朝五郎邸から、校庭に再び移植されていた。それを、平成3年3月、第40回卒業記念庭園の造成にさいして、現在地に三度移植したものである。 佐賀関より移植したときの樹齢は、50年生ぐらいといわれ、樹齢推定の根拠となっている。永年校庭に成立していたために踏圧をうけ、かつ、深植えのため、分けつ、成長ともに、本来の生育を遂げていないのは惜しまれる。

↑このページのトップに戻る↑

51.イチョウ

52

樹種名 : イチョウ
樹齢   : 1600年
樹高   : 36.0m
幹周   : 11.20m
所在地 : 宇佐市院内町西椎屋
所有者 : 西椎屋神社

 

来 歴
 宇佐市院内町西椎屋字鹿の上、旧村社椎屋神社境内、拝殿西側に聳える巨樹。ご神木。市指定天然記念物。雌木。
 幹の南側は、大正14年7月8日の大雷雨により裂落し、残存主幹を中心に12本の萌芽枝・株生木が分岐し癒着して株状になっている。
 当社は社記によると、大正2年(1574)、当所に鎮座していた菅原天満宮に、字十ヶ平に在った貴船神社を合祀して西椎屋神社と改称。後椎屋神社と呼称するようになったという。伝承によれば、天平のころ(729~749)、西椎屋の滝壺に大蛇が棲み、里人から恐れられていた。あるとき、竜神を祀れば鎮まるとの託宣があったので、高おかみ神ほかの水神を祭神とする貴船神社を合祀したところ、大蛇が姿をみせなくなったという。年号にずれがあるが、伝説、伝承のロマンでもある。
 拝殿前にスギ3本、イチョウ2本、ケンポナシ1本の巨樹があり、目通り周囲は260~310cm、推定樹齢は250~300年。付近に灯籠二基建立。宝永元年(1704)、正徳2年(1712)献納の銘がある。拝殿造営の記念に、献木、献灯したものとされる。本殿、神殿は合祀後の造営になるもの。環境庁発行「巨樹・巨木調査報告書」(1991年版)によれば、目通り周囲の大きさは県内第2位。第1位は玖珠町平井墓地にあるもの。

↑このページのトップに戻る↑

52.スギ(右)

52.藤群神社の二本スギ

54

樹種名 : スギ
樹齢   : 400年
樹高   : 31.0m(右) 32.0m(左)
幹周   : 5.90m(右) 6.60m(左)
所在地 : 宇佐市院内町斉藤
所有者 : 藤群神社

 

来 歴
 宇佐市院内町斉藤、藤群神社の境内、鳥居をくぐった両側に聳える巨樹。ご神木。
 社殿によれば1363年に藤群神社成立との伝承があるが、確実な資料によれば、1712年成立の資料があり、そのころ以前に大スギは神社内に存在していたと思われる。
 昔は斉藤部落のみの神社であったが、その後、斉藤地区10部落の10社が合社された。
 大スギは2本とも推定樹齢400年以上と思われるが、神社に向かって右が目通り周囲の大きさ590cm、樹高31m、左側は目通り周囲の大きさ660cm、樹高32mと成長に若干の差が見られる。
 神社成立後、氏子が境内にスギを植栽し、氏子及び地域の人々により代々大切に守り育てられ、今日に至ったものである。この2本の大スギは藤群神社の森として重要であるばかりでなく、広く町内外の人にも知られており、「藤群神社のスギ」として地域のシンボルともなっている。

↑このページのトップに戻る↑

53.スギ(左)

53.藤群神社の二本スギ

54

樹種名 : スギ
樹齢   : 400年
樹高   : 31.0m(右) 32.0m(左)
幹周   : 5.90m(右) 6.60m(左)
所在地 : 宇佐市院内町斉藤
所有者 : 藤群神社

 

来 歴
 宇佐市院内町斉藤、藤群神社の境内、鳥居をくぐった両側に聳える巨樹。ご神木。
 社殿によれば1363年に藤群神社成立との伝承があるが、確実な資料によれば、1712年成立の資料があり、そのころ以前に大スギは神社内に存在していたと思われる。
 昔は斉藤部落のみの神社であったが、その後、斉藤地区10部落の10社が合社された。
 大スギは2本とも推定樹齢400年以上と思われるが、神社に向かって右が目通り周囲の大きさ590cm、樹高31m、左側は目通り周囲の大きさ660cm、樹高32mと成長に若干の差が見られる。
 神社成立後、氏子が境内にスギを植栽し、氏子及び地域の人々により代々大切に守り育てられ、今日に至ったものである。この2本の大スギは藤群神社の森として重要であるばかりでなく、広く町内外の人にも知られており、「藤群神社のスギ」として地域のシンボルともなっている。

↑このページのトップに戻る↑

54.ツバキ

54. 高瀬のツバキ

55-155-2
樹種名: ツバキ樹齢: 350年 
樹高: 9.5m幹周: 2.03m
所在地: 日田市大字高瀬所有者: 高瀬秋吉
来 歴
 日田市大字高瀬字松金の高瀬秋吉氏宅前の市道路肩にある古木。所有者高瀬秋吉氏の先代 故高瀬重市氏が記した「高瀬家の歴史」によると、荘園時代から続く名家であり、家屋の棟には「当家に限り滅びし事なし」と記されている。          
 このツバキは高瀬家の敷地の隣接を走る松金神社に通ずる市道の路肩に成立する4本のうち、下から2番目のもので、高さ3.5mの幹(過去に折損した部分)からほぼ根元部まで幹内部が腐朽により空洞化しており、幹の北側(道路側)、地際1.2mのところに、縦60cm、横30cmほどの大きさの開孔がある。 また、5月になれば花を咲かせ、枝葉には活力がみられるものの、根元周囲の約半分をコンクリート舗装されているため生育環境はいなめない。周辺にはツバキのほか周辺の樹木を日田市の保護樹林として指定されている。

↑このページのトップに戻る↑

55.クロマツ

55. 貴船神社のクロマツ

56-156-2
樹種名 : クロマツ
樹齢   : 300年
樹高   : 11.5m
幹周   : 2.80m
所在地 : 宇佐市大字住江
所有者 : 貴船神社
来 歴
 宇佐市大字住江字宮ノ下、貴船神社の境内に聳える巨樹。
 この貴船神社は、養老3年(719年)に今戸万久郎代官が京都より柳ヶ浦に勧請し暫時宇佐市郡各所に建立した内の一つである。
 中野幡能氏の柳ヶ浦町史によると、「貴船神社は大字住江字宮ノ下に鎮座す、境内の面積254坪あり松樹多し、創立年時及び由緒不明」と記されているが、鳥居には、寛文7年(1658年)記されている。
 このクロマツは、平成7年よりボランティアで基金を募り薬剤注入施し近年増加している松食い虫から防除しており、天上は傘状に広がり、根上がりの形状も良好である。建立当時より神社の御神木としてに生きてきた老大木で、近年増加傾向にある松食い虫等の影響からマツが激害を受ける中、樹齢300年を誇る不老のマツである。

↑このページのトップに戻る↑

56.オンツツジ(南)

                 

58
           樹種名 : オンツツジ
           樹齢   : 200年
           樹高   : 7m
           幹周   : 根元1.22m
           所在地 : 豊後大野市朝地町
           所有者 : 田部 勇

来 歴

 豊後大野市朝地町上尾塚平原の明専寺の付近の墓地に育成している。樹木に関する口伝や記述は見あたらないが、所有者によると、墓地の利用がはじまった頃に、人為的に植栽されたと考えられるとのことである。墓石の記述から推定樹齢200年と考えられ、樹木医の調査でも同様の見解がだされれている。

↑このページのトップに戻る↑

57.ムクノキ

                 

59
           樹種名 : ムクノキ
           樹齢   : 300年
           樹高   : 7.5m
           幹周   : 4.27m
           所在地 : 国東市国見町赤根
           所有者 : 古幡社

来 歴

 国東市国見町の古幡神社の境内に生育している。樹木に関する口伝や記述は見あたらないが、土地所有者によると、古幡社が建立された頃に、御神木として人為的に植栽されたと考えられるとのことである。

↑このページのトップに戻る↑

58.ケンポナシ

60
           樹種名 : ケンポナシ
           樹齢   : 200年
           樹高   : 22.5m
           幹周   : 2.08m
           所在地 : 国東市国見町赤根
           所有者 : 古幡社

来 歴

 国東市国見町の古幡神社の境内に生育している。樹木に関する口伝や記述は見あたらないが、土地所有者によると、古幡社が建立された後に、御神木として人為的に植栽されたと考えられるとのことである。

↑このページのトップに戻る↑

59.スダジイ

59. 熊野神社のスダジイ

61

樹種名 : スダジイ
樹齢   : 500年
樹高   : 27m
幹周   : 5.8m
所在地 : 宇佐市大字西大堀
所有者 : 熊野神社

 

来 歴
 宇佐市西大堀の熊野神社境内に聳える巨樹。天上は傘状に広がり、根上がりの形状もよく樹木の王の風格を保っており、地区住民のシンボルとなっている。
 熊野神社の由緒は不詳。スダジイの由緒は、神社が宗教法人令によって規則等を届け出た昭和21年5月10日に「椎ノ木目通り直径4尺高さ15間」とあ る。

↑このページのトップに戻る↑

60.ヤマザクラ

60. 海崎のヤマザクラ

62.ヤマザクラ(佐伯市)

樹種名 : ヤマザクラ
樹齢   : 120年
樹高   : 22.8m
幹周   : 4.75m
所在地 : 佐伯市大字海崎字竹ノ脇
所有者 : 中野地区

 

来 歴
 中野地区所有の森林内にあり、長年特に手を入れられることもなかったが、今日の大木となるまで健全に生育しており、訪れる人に自然の恵みの偉大さと美しさを感じさせている。

↑このページのトップに戻る↑

61.柳ヶ浦小学校のヤナギ

61. 柳ヶ浦小学校のヤナギ

柳ヶ浦小学校ヤナギ

樹種名 : ヤナギ
樹齢   : 不詳
樹高   : 5.0m
幹周   : 2.80m
所在地 : 宇佐市大字江須賀(柳ヶ浦小学校内)
所有者 : 宇佐市

 

来 歴
 柳ヶ浦小学校内にあり、昭和20年4月21日の空襲で校舎や講堂の半分が倒壊、消失し、校庭の樹木もほとんどが倒れ、焼けてしまう中で奇跡的に生き延びて今日に至る。
 倒壊した「柳田清雄の碑」やコンクリート塀に残る「機銃掃射による銃弾跡」とともに戦争の悲惨さ、平和の尊さを今に伝えるものとして平和学習の教材などとして活用されています。

↑このページのトップに戻る↑

62.イヌマキ

62西野地区のイヌマキ

イヌマキ

樹種名 : イヌマキ
樹齢   : 480年
樹高   : 20.0m
幹周   : 3.54m
所在地 : 佐伯市大字堅田
所有者 : 西野地区区長

 

来 歴
 西野地区を南北に縦断する市道府坂佐土原沿線にある巨樹。
 植栽されたのは大永7年(西暦1527年)に当該地付近で栂牟礼城主(当時の佐伯城)の嫡子が9歳で自刀したことを当時の村人が哀れみ、慰霊するための墓碑の建立時と云われており、以来村人が大事に育て今日の大木となっている。
 樹勢は良く葉量も豊富であり、植栽の云われにより西野地区のシンボルとして昔から「西野のお塔」のヒトツバ(地元のイヌマキの呼び名)として住民から愛されている。

↑このページのトップに戻る↑

63.ムクノキ

63. ムクノキ

ムクノキ

樹種名 : ムクノキ
樹齢   : 370年
樹高   : 28.0m
幹周   : 7.7m
所在地 : 宇佐市安心院町寒水
所有者 : 江藤 敏廣

 

来 歴
  龍ノ宮神社の御神木。市指定天然記念物。
  龍ノ宮は八大竜王を祭る。水と農耕の神として知られ、旱魃の常襲地である当地に徳川時代から祭られてきたとされる。神仏分離令後に龍ノ宮は寒水三島神社に合祀された。
  現在は隣接する祠に観音像を祭っている。この観音像は大正九年に庄屋宅で祀っていたものを遷座したものという。

↑このページのトップに戻る↑


大分ラグビー情報についてはここをクリックしてください