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ペトロ・カスイ岐部 -日本人巡礼者として聖地エルサレムへ-

印刷用ページを表示する 更新日:1985年7月1日更新

1985年7月号 広報おおいた

ペトロ・カスイ岐部 -日本人巡礼者として聖地エルサレムへ-

説明

国道213号沿い(国町町大字岐部957-1)に立つペトロ・カスイ岐部像 。昭和40年9月24日にペトロ・カスイ岐部遺徳顕彰会が設置。舟越保武作。
1619年の秋深いころ、ペトロ・カスイ岐部は日本人巡礼者として聖地エルサレムに入り、さらにその1年後には念願のローマに達する。彼が日本を出て6年目のことで、33歳であった。ペトロ岐部は周防灘に面した国東半島浦辺の里(国見町岐部)に1587(天正15)年に生まれた。日本名茂勝。大友水軍岐部一族の血を引き、父も母も熱心なキリシタンであった。熱い振興の心と水軍の進取の気性をうけたペトロ岐部は1614(慶長19)年、キリシタン禁令でマカオ追放され、彼の不屈の戦いが始まる。マカオからインドゴアへわたり、ここから徒歩でいくつもの大砂漠を横断、数千キロを歩きとおしてローマ入りを果たす。ローマで司教に昇進するが「日本の信者のため働き、殉教する」と再び苦難の旅を重ね、県令きびしい日本に潜入する。布教活動中の1639(寛永16)年捕らえられ、江戸で殉教、52歳。死の直前、同志に「耐えよ、天国にゆける」といい残したという。

場所

場所:国東市国見町

カテゴリー

食・文化・史跡

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